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荊棘2

 年は僕より少し上くらいだろうか。鮮やかな青緑の髪と瞳で、右目だけに眼鏡を掛けている。短い後ろ髪と対照的な、長い横髪が印象に残るとても美しい男性だった。身に纏う薄い緑灰色のローブもよく似合っている。恐らく精霊の愛し子だろう。 「……まさか、お前は……精霊国の閑吟か?」   「初めまして。アルヴァト・オルトゥルム殿下。お察しの通り、僕は精霊国の閑吟、ルストス・ラートルムです」   「ルストス様……!」   「やあアーニア。僕の囁きは役に立ったでしょ?」    僕は目を擦って、にっこり笑うルストスの魔力を視た。緑と青が混ざり合う不思議な色合い。間違いなく多重霊格者だった。ルストスはそんな僕に向かって人差し指を口元に立てて見せると、アルヴァトの方へ向き直る。 「ね、いいでしょう、アルヴァト殿下。ちゃんと奥さんに身辺整理させてあげて下さい。当然交渉が済むまで不染を誓います。戦争がかかった国際問題ですからね。オルトゥルムにお時間がないのは承知していますが、フィシェルは至純でもある為、我が国の王家にもお話を通していただきたい。まあ僕が囁けば当然不染は守られます。ご存知の通り、そういう国ですから」   「…………いいだろう。閑吟が分かっているなら、今は連れて行くがいい。最後の贄は一年前だ」   「ありがとうございます、殿下。もちろん、諸々心得ておりますよ。フィシェルは何も知らないので、こちらで知を詰め込みましょう。それである程度は納得していただけるかと」   「……分かった」   「伝令の為に魔力を記憶させていただきたいので、失礼ですが御手をよろしいでしょうか」   「……仕方あるまい。さっさとしろ」    ルストスは差し出されたアルヴァトの手の甲に口付けると、恭しく頭を下げた。   「では御前を失礼いたします。さ、二人とも。帰ろっか」    僕は思わずルストスをまじまじと見てしまう。なにせ単身乗り込み、言葉一つであっさりと切り抜けてしまったのだ。  手を貸してもらって馬車から降りると、竜騎兵が何人か細身の竜に乗って周りを取り囲んでいる。その中に馬車を掴んだと思われる大きな竜が一匹いて、僕はその迫力に心臓が止まりかけた。  怯える僕とは対照的に、ルストスは鼻歌を歌いながらその中を歩き出し、直ぐに山道をそれて茂みの中に突っ込んだ。  迷い無く進んでいるので問題ないのだろうけど……どうしてこんなところを道案内できるのだろう?   ルストスとアーニアが魔法で道を作りながら、森の中を進む。しばらくそうやって進んだところで、ルストスが僕を振り返った。   「改めて自己紹介するけど……僕はルストス・ラートルム。最高位の閑吟だとか言われてるよ」   「フィシェル・フィジェットです……」   「まさか至純であり白竜の御子でもあるなんて、驚きだよね!フィシェルはエドワード様と半身になりたかった?」    過去形で言われて胸が痛む。   「は……はい」   「ふーん……なるほど。残念だけど、アルヴァト殿下に誓っちゃったし……やっぱり今染まるのは難しいかな。交渉の間は染まったフィシェルを見せる訳にはいかない。あっちには魔力視もあるし、どう考えても誤魔化せないや」   「はい……」   「それにしても……今日は災難だったね。精霊国の至純は単純な戦力増加だけど、竜の国にとっての白竜の御子は、退知の呪いがかかったまさに死活問題だからさ……向こうが強引な手段を取るのも、分からなくはないんだ」   「ですが、こんなこと……あんまりではないですか!」    声を詰まらせる僕の代わりに、アーニアが怒ってくれる。   「僕もひどい話だとは思うよ」   「ルストス様……なんとかなりませんの?」   「うーん、今のところはどうしようもないかな。一番穏便なのは、フィシェルを差し出してしまうことだから。今も一時しのぎをしただけで、フィシェルを渡さないならオルトゥルムとの戦いは避けられない。猶予は……まあ半年あればいいくらいかな。実際はアルヴァト殿下との今後のやり取りにかかっているけど」   「そんな……」    アーニアが悲痛な面持ちで立ち止まる。その背中を押しながら、ルストスは笑顔で言う。   「大丈夫、リグトラントはオルトゥルムと戦うよ。ヴォルディスの退知の呪いは不治だから、精霊国に太陽がいるこの時代に殺してしまうのがいいだろうね。僕はそう進言しようと思ってる」    今度はあまりにも物騒な話にアーニアまでも言葉を失った。なにも大丈夫ではない。  饒舌な閑吟は歌うように囁き続ける。   「アルヴァト殿下も物分りが良さそうで安心した。己の強欲さから退知の呪いを受けた始祖古竜を、御子の生贄によって生かし続けるなんて馬鹿げてるって……分かってるんだ。あの国で育ったとは思えないほどの慧眼の持ち主だよ」 「え?そうなんですか……?」    流石に驚いて、僕にも声が戻ってきた。先程の会話では、とてもじゃないけどそうは思えなかった。でも、ルストスはニヤリと笑ってアルヴァトの真意を語る。   「アルヴァト殿下は少人数で乗り込んで、フィシェルにまず知識を与え、選択肢をくれたんだよ。フィシェルを妻にすると言い張って、精霊国への先駆けの権利を勝ち取ったんだろうね。名も知らぬ弟の為に頑張るなぁ。今日の派手な襲撃は、おそらく身内への仕事してまーすっていうアピールだよ」    僕は兄から発せられた妻という宣言が、本気じゃないと知って少しだけ安堵することができた。   「それで殿下はあんなに色々と教えてくれたんですの……?ですが……流石に無理がありません?アルヴァト殿下だってこんなに情報を流してしまえば、お立場が悪くなるでしょう」   「それは……良い言い訳があるんだ。白竜の御子は退知の呪いを食い止める為に捧げられる。だから御子が知りたいと言ったことには答えないといけない決まりがあるんだよ。知識を蓄えた白竜の御子を捧げれば、ヴォルディスの知識が戻ると信じてるんだ。なんの根拠もないし馬鹿馬鹿しいけど……向こうは本気で信じてる。そういう文化の国なんだ」    僕たちは再び閉口した。そんな訳の分からない文化の為に、命を振り回されているのだと理解したからだ。渋い顔をする僕とアーニアに、ルストスは尚も話し続ける。   「精霊は、庇護をした人間と同じ肉体を得て人と交わることを選んだ者以外は、大地に溶けて生きていくことにした。魔力を対価に人を助けてはくれるけど、表立って人の世界を動かすことはやめたんだ。だから基本的に精霊は見えないし、限られた閑吟だけが声を聞き、より良い未来を共に模索している。精霊は何が起こるかを閑吟を通して曖昧に教えてくれるけど、選択肢はいつだって人にある」    ルストスが笑うと、まるで精霊が答えるかのようなタイミングで風が吹いた。ルストスの魔力は使われていないし、鬱蒼とした森の中では不自然なタイミングの風だった。それを見せ付けられれば、本当に精霊の声を聞いているんだと納得できてしまう。   「翻って竜の国では、竜が人間を統治する事を選んだんだ。元から肉体を持ち、言葉を話せ、果てしなく長命な生き物だったことが災いしたね。ヴォルディスはどんどん貪欲になっていった。竜の島だけでは満足できなくなったんだ。周りの人間も、自分で考えることをせず、ヴォルディスを神だと持ち上げ続けたんだから、救えないね」    それはまるで退知の呪いそのものだとルストスは嘲笑う。   「そうして精霊国に手を出した。同じ古き生き物の国を手始めに飲み込もうとしたんだ。でもその時精霊国には太陽がいて……ヴォルディスは負けた。当時の太陽は、愛する人間の為に受肉した精霊だったみたいなんだ。人を自分の道具のように扱うヴォルディスに怒った太陽は、打ち負かした強欲な竜を呪った。人間が崇めたヴォルディスの愚かな知を奪ったんだ」   「それが退知の呪いですか……」   「大昔の話だし、太陽が具体的にどうやって竜を倒したのかまでは分からないけど……天敵なのは間違いない。太陽と同じ多重霊格者のエドワード様がいて、至純でも白竜の御子でもあるフィシェルが同じ時代にいるのは間違いなく運命だよ。きっとヴォルディスともう一度戦うことになる。今も多くの精霊たちがヴォルディスは太陽が嫌いだって叫んでて、煩くて仕方ないよ」    ルストスの言葉に精霊が怒ったのか、僕の手を引いてくれているルストスの髪の毛だけが風で乱された。ルストスは忌々しそうに頭の周りを手で払う。   「まあこんな風に直接干渉してくるほど嫌みたいだね」    ルストスはその時初めて、疲れたようにため息をついた。     ルストスの案内で森を歩き続けると、細い山道に行き当たった。なんとそこには馬が二頭繋がれ、僕らの到着を待っていた。僕はもちろん驚いたが、アーニアも流石に驚愕している。   「ルストス様……この未来が分かっていたのですか?」   「どうかな?分かっていたとも言えるし、そうじゃないとも言える。精霊たちが伝えてくるのはいつも、『アルヴァトとフィシェル、おはなし。森の中でおはなしするよ』とかそういう曖昧で幼稚なものだから」   「……え?それだけですか?」   「アーニアの時もそうだったよ。『可愛いフィシェル、お友達ほしいかな?地のお家、開かない扉があるね!』って、それだけ。あとは僕が自分でシーメルン家のことを調べた。地属性の家系と言えばまずはシーメルンだし。調べると……パウロ・シーメルンの駆け落ちと開かずの部屋の事が分かった。そこからフィシェルの友達になれそうな人間を考えて……精霊たちのおすすめはアーニアのことじゃないかなって結論になったんだ」   「な、なんで精霊に僕のことが知られてるんですか?」   「あはは!みんなフィシェルの事が好きなんだよ。精霊たちはずっとフィシェルを見守ってる。何せすんごく久しぶりの至純な上に、美人だって言うじゃないか。でも会ってみて納得した。フィシェル、本当に可愛いんだね」    愛し子の美青年に褒められ、僕は複雑な気持ちになって俯いたが、そよ風が優しくベールを撫でていったので何も言えなくなってしまった。  そんな僕の隣で、アーニアが愕然としている。   「……ルストス様は、そこから、わたくしにあんな囁きを……?」   「ふふ、雰囲気あったでしょ?確かにちょっと大きな選択をさせちゃったかもしれないけど……アーニアはフィシェルの側にいると、必ず良い事があるよ。侯爵令嬢がやった前例はないけど、二、三年くらいフィシェルの侍女をやってみたらどう?騎士学校の代わりにさ」    ルストスの提案にアーニアは瞠目した。僕もちょっと目を見開いた。   「不染の習わしは結構なことだけど、戦える者もフィシェルの周りにいるべきだ。僕がそう言えばいつでも話が通るし、騎士学校の稽古に近い授業もアーニア個人で受けられるようにできる。王城にいれば、条件のいい結婚相手も見つかるかもしれない。自分でも適任だって思ってるんじゃないかな」   「わ、わたくしは……」   「あの、アーニア……僕のことは気にしなくても大丈夫ですから……アーニアが自分の心を殺さなくても良くて、尚かつやりたいと思えることをやるのが一番いいと思います」    僕が我慢できずにそういうと、アーニアは神妙な顔で頷いた。    僕はアーニアとルストスに手伝ってもらって、何とか馬に乗ることができた。こちらの少し大きめの馬はご丁寧に二人乗り用の鞍を付けている。  あの曖昧な精霊の言葉から、どうしてここまで正確に予測ができるのだろう……  そう思って聞いてみたけれど、笑顔が返ってきただけだった。凄過ぎてなんだか怖い。   「アーニアは女の子だからそっちの馬を使って。フィシェルは僕と一緒ね。そんなに上手じゃないけど、一応訓練はしてるから。しっかり掴まってて」   「は、はい。お願いします」   「あれ……フィシェル、エドワード様とアルアに乗ったことあるんだ?」   「え……まさかそういうのも聞こえるんですか……?」   「へぇ、なんだ。最初っからいい雰囲気だったんじゃん」   「わぁあぁあ!」    僕は手を伸ばし、前に乗ったルストスの口を塞ごうとした。   「あはは!閑吟の口を塞ぐのは罪になるよ、フィシェル!」   「えっ……ほ、ほんとですか?」   「本当ですが……ルストス様がからかわないのが一番ですわ!」    スカートの為横乗りにもかかわらず、馬を自在に操るアーニアがルストスをたしなめる。  ルストスは反省する様子もなく楽しそうに馬を走らせ始めた。  僕は初対面の人に必死でしがみつかなければならなかったが、ルストスの背に体重を預けて目を瞑ると、色んな考えがぐるぐると頭を駆け巡って、緊張どころではなかった。   「フィシェル、エドワード様に会ったらやりたいことでも考えてなよ」   「そ、それも閑吟の囁きですか?」   「ふはっ、これは普通のアドバイスだよ!」    ルストスは声を上げて笑った。先程から一番知識を持つ人物が楽しそうなので、僕はこんな状況でも少しは気分が上向いてくるのを感じた。   「染まらなければ、今まで以上にいちゃいちゃしててもいいよ」 「いっ……!?あ、あれは半身の練習だし……それに……エディは僕のこと……そう思っているとは限らないし……オルトゥルム王族の血を引いてるなんて……嫌かもしれないし。この状況だって、迷惑だと」   「それも、気持ちを伝えてみないと分からないことだよ」   「……っ」    僕はルストスの腰に手を回してみて改めて感じていた。  ルストスには、全然どきどきしない。  いや正確に言えば、馬に乗って移動するのが怖くて脈は早いんだけど、エディに触れている時とは違う。上手く言えないけど……やっぱりそれが特別ってことなんだと思った。  ルストスはさっき会ったばかりだけど、僕たちを助けてくれて、色々教えてくれて……好きか嫌いかで言ったらもちろん好きだ。  でもエディみたいに触れて欲しくならない。    ……僕はいつの間にこんな事になっていたんだろう。    練習を重ねているうちに本気にしちゃったとか……そんな情けない理由な気がする。いや、もしかしたら……助けてもらったあの瞬間か、刺繍を褒めてもらった時かもしれない。  思い返せばいくらでもきっかけになりそうな出来事はあった。  なんだ、そうだったんだ。  僕はエディに早く会いたくて堪らなくなった。  思わず回した手に力が入ると、ルストスが笑った気配がした。 「エドワード様の半身探しに閑吟が口を挟まなくて良かったよ……おかげで何もかもちょうどいいタイミングだ」    エディが半身探しに振り回されてどんな苦労をしたか聞いていた僕は、ルストスのその言葉を聞いて渋い顔になった。閑吟という存在がいるなら、精霊の鏡なんて使わなくても良かったはずなのに。  でも……と、僕はそれを考えたところで寒気がした。  エディが苦労したおかげで、僕は自分の望むまま半身のフリをしてあの村を出ることになったようなものだ。僕がそう望んだのはルドラのことがあった後、誰かの半身になることが怖くなったからだ。  何もかもちょうどいいタイミング……確かにそうなのかも知れない。  僕は精霊国の閑吟に改めて畏怖を覚えた。  戦争するだろうと聞いても大して怖くないのは、そのルストスが告げているからに外ならない。  あとは……そう。  エディに敵う相手なんて、いるはずないと本気で思っているからだ。        馬を数時間ほど走らせると、なんと僕たちはテアーザに着いた。段々広くなる道に安堵している間に潮の匂いも近付いていて、もしかしたらと思っていると本当にテアーザまで来てしまった。  僕たちが街に入ると、アルアに乗ったエディが出迎えてくれた。   「フィル!アーニア嬢も!無事だったか!良かった……」   「ルストスが助けてくれました。あの……ら、ラロは……無事ですか?」   「ああ。ルシモスが受け止めてくれたそうだ。怪我一つないが、落ち込んでいるな。早く顔を見せてやるといい」    エディが付いてくるように言うので、僕たちはその後を追った。  ルストスがからかうような口調で僕に声を掛ける。   「会いたかったんでしょ?抱きついたりしなくて良かったの?」   「抱きっ……!?そ、そんなことは……できません……」   「僕にしがみついてるのと何も変わんないじゃん」   「あの……気持ちを告げて本当にいいんですか?だってもしエディが……その、僕と同じ気持ちだったとしても、染まったりしたらまずいんですよね?」   「ああ……それはそうだけど。でも別に好きなら好きでいいんじゃない?愛の力ってすごいよ。精霊の生き方を変えたのも、愛の力だし」   「あ、愛って……」   「素直になりなよ、フィシェル。難しい話は僕がやっとくからさ。あ、そうそう……僕の魔力のことは内緒にしといてね。言ってないから」    さらりととんでもない事を言われて、後ろから思わずルストスの髪を見た。だって魔力に関係なく、あんなに分かりやすい青緑色なのに……と思ったけど、日の光の下では随分明るい緑色に見える。薄暗い森の中とは印象が全く違った。   「ね。分かんないでしょ?兄様と一緒の風だけ使えることになってるから」   「ど、どうして内緒に……?それ……僕以外は誰も知らないんですか?」    聞かれたくない会話は魔法で遮っているだろうと思い、僕は気になったことを今のうちに聞いてしまうことにした。  ルストスはちらりとこちらを振り返って、含みのある笑みを浮かべた。   「内緒にしているのは、その内切り札になるかもしれないから。あと、あんまり戦力的な価値で上に行きたくないからかな。あんまり強いってバレると自由が利かなくなっちゃう。知ってるのはルシモス兄様とフィシェルだけだよ」   「あ、ルシモスも知ってるんですね。良かった……」   「でも兄様も、僕が風と同じくらい水も使えるとは知らないよ。精々コップを水で満たして、氷を一個添える程度だと思ってる。大したことないと思ってるから、内緒にしてくれているところもあるかな。だからフィシェルは、本気で内緒にしてね?」   「うっ……は、はい……」    うっかり口を滑らせることが多いので自信は無かったけれど、自分のことじゃないなら何とか秘密を守れそうな気がした。        エディは人気のない道を選んで通ってくれたが、それでも結構な視線を集めてしまった。僕は俯いて目を瞑り、必死に魔力を視界に入れないようにした。ただでさえ目の前に先程見た海のような鮮やかな色合いの、美しく眩しい青緑が広がっているのだ。  やがて僕たちは、テアーザ一番のホテルに着いた。全部屋で海を見る事ができると謳う最高級のホテルだ。馬を降りるときには、エディが手伝ってくれた。それも嬉しかったけど、情けないことに僕はお礼以外何も言う事ができなかった。  スタッフに馬を預け、当然のように最上階へ案内される。  アーニアは共有すべき事情をすでに知っているので、彼女の為に取られた部屋で一度休んでもらってから合流することになった。女の子だし、着替えもしたいだろう。アーニアの侍女だって心配していると思うし。  僕はエディに手を引かれながら部屋に入る。すると椅子に座って俯いているラロが目に入り、僕は慌てて駆け出した。慣れないことをして足がもつれ、転びそうになったけど構わなかった。   「フィシェルさま!」    僕を見てびっくりするラロを見て、涙が出た。   「良かった……ラロ。心配したんだ……」   「そんな……フィシェルさまの方こそ、ご無事で本当に良かったです。お守り出来なくて、申し訳ありませんでした……」    謝るラロのそばで、ルシモスも僕に頭を下げた。僕は慌てて首を横に振る。   「お守り出来ず、申し訳ありませんでした」   「いえ、そんな……僕は大丈夫でしたから」   「相手が特殊だったから、あれは仕方がないよ」    僕の後ろから、ルストスが口を挟む。僕は少し悩んでから、全てルストスが説明するだろうと思い、ラロを抱き締めて微笑みかけてから離れた。   「あ!エドワード様〜従者に先越されちゃいましたね!抱きしめるの!」   「ルストス……お前はもっと他に話すべきことがあるだろう。ルシモスをよく見ろ。こめかみの血管が凄いことになっているぞ」   「兄様。お怪我がないようでなによりです。大丈夫、ちゃんと話しますから。フィシェル、僕が全部話していい?」   「あ、はい。お願いします」    壁に背を預けて苛々と自分を見る兄に、急いでルストスが話し始めた。    途中で着替えを済ませたアーニアが合流し、ルストスが話を終える頃には、新しくそれを聞かされたエディ、ルシモス、ラロは非常に難しい顔をしていた。   「まさか、フィシェル様がオルトゥルム王族とは……フラジェッタ様のお名前も調べる必要がありますね」   「ルストス、お前は本気でオルトゥルムと戦争するつもりなのか?」   「はっきりいいますと、戦争というよりはアルヴァト殿下と協力し、フィシェルを餌にしてヴォルディスを誘き寄せ、エドワード様がサクッと殺してしまうのが良いと思っています。その後のオルトゥルムがどう出るかは分かりませんが、たぶん呪いが解ければ全面戦争まではいかないんじゃないかな〜」    あまりにとんでもない言葉を使うので、全員驚愕の表情でルストスを見る。いち早く怒りに燃えた兄のルシモスが、ルストスに突風をぶつける。   「この……ッ馬鹿者!はっきり言いすぎですよ!」   「わぷっ何するんですか、兄様!もう!いいですか、退知の呪いはヴォルディスだけでなく、それを崇めるオルトゥルム国民の目も曇らせています。たまたまアルヴァト殿下が先駆けてくれたから良かったものの、もうあの国は呪われた始祖古竜から解き放たれるべきなんです。それを助けるのが、同じく古き生き物を祖に持つ精霊国の役目です」   「る、ルストスさま、でもそれはぼくたちが勝手に決めていいことなのでしょうか?」    ラロの不安げな声を聞いて、ルストスはオルトゥルムの驚異を語る。   「もちろん陛下に最終的な決定は委ねることになりますが……そもそも十年前に向こうが貿易再開を申し込んで来たのだって、目を覚ましたからではなく、フィシェルを探し精霊国民を攫う為です。エドワード様と兄様は、既に拉致事件をご存知ですよね?」   「ああ……その報告も、兄上から受けていた。テアーザの貧しい家の者から少しずつやられていたようだな」   「白竜の御子が……そうすれば産まれるのではないかと、考えてやっているんですよ。意味分かりますよね?」   「なんてことなの……」    アーニアは震える手で口元を覆った。  これには僕も空っぽなはずの胃が重たくなった。つまり僕という前例がある為に、オルトゥルムとリグトラントのハーフなら白竜の御子が生まれやすいのではないかと考え、強引な手段で試しているのだ。   「向こうは明確にリグトラントに害意を抱いていますよ。もしフィシェルを渡すようなことをすれば、オルトゥルムは付け上がるだけです。もうヴォルディスは、自分がなんの為に白竜の御子を渇望しているのかさえ理解していません。放っておけば、リグトラントはいずれただ搾取される側になってしまう」   「ルストス……お前は本当にそこまで分かっているんですか?」    ルシモスの厳しい問い掛けに、弟は無邪気にケラケラと笑った。  短い間だけど沢山話した僕にもルストスの返答は予想がつく。   「分かってるとも言えるし、分かってないとも言えます。精霊の言葉はいつも曖昧なので」   「お前は……ッ本当に……どうしてそう確証の無いことをはっきり言い切れるんですか!」   「それは僕が閑吟として、言葉に責任を持っているからですよ、兄様」    ここぞとばかりに、得意げに決め台詞を吐くルストスを見て、ルシモスは深くため息をついた。  お互い、物事を良く調べて動く人物なのに、こうも正反対になるものなのか。不思議な感じだ。   「はぁー……もういいです。お前と合わないことは、長年兄弟をやっていてよく理解しています。殿下もフィシェル様も命をかけなければならないというのに……お前ときたら!」   「僕は兄様が大好きなんですけどねぇ」   「私は!お前が!嫌いです!ただ能力が優秀なので無視できないだけで……」   「今日は兄様の部屋に泊まっていいですか?」   「絶対に嫌です……」   「そんなぁ」     二人のやり取りを聞いていると、重かった胃も少しずつ軽くなり、元気が出てくる。   「ふっ……ふふ」   「フィシェル様!今笑ったらまずいですわよ!」   「ふふ、ごめんね。兄弟っていいなあと思っちゃって」    そう言ってから、僕は自分にとんでもない兄弟がいると発覚したばかりだと言う事を思い出した。   「あ、いや……僕は別に自分の兄弟のことはどうでも……良くはないですけど、まだあんまり意識できていないので……」    へんてこな言い訳をする僕に、ルシモスはつり上げていた眉尻を下げた。ルストスは相変わらず微笑を浮かべている。   「申し訳ありません。今はフィシェル様のお話の方が大事でしたね……」    話がひと息ついたところで、ラロがお茶を淹れに行った。  それを飲みながら、今後の相談をする。   「とにかくまずはフラジェッタ様の出自の確認ですね。それからお披露目は取り止め、一刻も早く城に向かいましょう。陛下にも判断を仰がねばなりません」   「……そうだな。兄上には悪いが、事情を説明して出立するしかあるまい」   「ああ、そのことですが。マーク様にお伝えする情報は考えたほうが良いですよ」    ルシモスがハッとして弟を見る。その弟は口元に態とらしい笑みを浮かべると、また恐ろしいことを口にした。   「精霊が『裏切り!嘘つき!』って煩いんですよねぇ」   「やはり、そうか……」   「精霊たちはこんな調子なのでどの程度裏切っているのかは分かりませんが……少なくともエドワード様をフィシェルから引き離す意図はあったんじゃないですかね。幸い今回の襲撃は、アルヴァト殿下が身内へのパフォーマンスとして行ったようなものでしたから、助かりましたが。もし一気に海越えをされていればリグトラントは終わっていました。この意味を良くお考え下さい」   「……確かに今日の引き止め方は異常だった。ルストス、感謝する。兄上へどう伝えるかはルシモスと相談して決める。ルシモスは出来るだけ兄上の情報を集めてくれ」   「分かりました」    話が終わりそうでホッと息をしたところで、僕のお腹がきゅぅ、と情けない音を出した。アーニアが微笑んで、隣に座る僕の背に手を当てた。   「お腹も空きましたわね。何も食べてないんですもの」    もうすぐ夕方に差し掛かる時間帯だ。朝から色々あってすっかり食べ損なってしまっていた。   「では、早めの夕食としようか。ラロ」   「かしこまりました。ホテルに伝えてまいります」   「アーニア嬢も一緒にどうだろうか?今日は格式張らずに……その方がフィルも安心するだろう」   「あ、はい!皆良ければ一緒に食べましょう」   「ふふ。ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせていただきますわ」   「んー……兄様がすごく嫌そうにこっちを睨んでる気がするけど、フィシェルが言うなら僕も一緒に食べていいよね!」    その後僕は、食事の用意が出来るまでの間に湯浴みをさせてもらい、用意された部屋で食事をとった。  これくらいの人数なら、全員同時に視界に入れなければ、具合が悪くなることもない。それにベールのおかげで光量が調節されている所為か、ルストスとエディが並んでいても目がちらつくことはなかった。むしろその対照的な魔力の色合いの美しさにため息が出たくらいだ。  ああいつかこういうイメージの刺繍を刺してみたい。一つのモチーフをいろんな色で刺してしまうのはどうだろう。そんな想像も楽しかった。  良かった。色々あったけど、僕はちゃんと笑えている。        

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