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王都1

 レアザ館に着いてから丸一日経った。時間がないと言われているこのときに、僕は高熱を出して寝込んでしまった。長旅と魔力視の疲れが出たんだろうと、一度診察に来てくれたルシモスが言っていた。中々下がらない熱は確実に僕の体力を奪う。エディともあれから会っていない。  ラロを始めとする侍従達に手伝ってもらい、なんとか身体を清めたり、殆ど飲むだけのような食事を摂ったりはしている。でも熱はまだ下がらなかった。  そんな夜に、ルストスが僕の部屋にやってきた。僕は寝ていたので最初は分からなかったけれど、ルストスは音を立てずにこっそり侵入してきたので、僕は人の気配に驚いて身体を起こそうとした。   「あ、フィシェル!寝ていていいよ。休んでるところにいきなりごめん」    僕は身体をベッドへ押し戻されつつ、ルストスを見た。薄暗い僕の部屋では分かりにくかったけれど、たくさん刺繍された上等なローブを着ている。熱がある今の僕には、普段より更によく見えなかったけれど、かなり細かく……なんだろう、木や蔓草のような……不思議な紋様が縫い込まれていた。   「……ルストス、その服は……」   「ん?ああ、これ?閑吟の正装だよ。会議をこっそり抜け出してきたから……」   「え……?どうして?」   「そりゃあ友達が熱出して寝込んでるって言われたからだよ。エドワード様も協力してくれた。本当は自分が来たかったみたいだけど……今はオルトゥルムの問題に加えて、自分の隊の仕事にも追われてるからね」    僕は苦笑した。ルストスだって相当忙しいはずだ。   「ありがとう……何もおもてなしできなくてごめんなさい。でも来てくれて嬉しいです」    僕がお礼を言うと、ルストスは口元に笑みを浮かべながら、ひんやりとした手を僕の額に伸ばす。   「暫くしか保たないだろうけど、僕なら熱を下げられるから……色んな報告がてら、せめてもの罪滅ぼしに来たんだ。無理させてごめん、フィシェル」    ルストスは謝りながら僕の熱を下げてくれた。人間の体温の振れ幅は小さいのに、ここまで的確に僕の平熱を狙って調節できるなんて……   「……すごい。ありがとうございます」   「僕が悪かったわけだし……このくらいは。とりあえず、楽にしてていいから報告を聞いてくれる?」   「は、はい。何でしょうか」    僕は身体をルストスの方へ向けた。ルストスはベッドのそばにあった椅子に腰掛ける。   「チャールズ陛下と、ウィリアム皇太子殿下には全て話した。僕を通してアルヴァト殿下と交渉し、恐らく数カ月以内に……ヴォルディスを精霊国の何処かへ誘き出すことになる」   「そうですか……僕はその間、やはりエディの半身として過ごす……というのでいいんですか?」   「うん。それで……フィシェルのお母様のことなんだけど」    ルストスは珍しくどう言おうか悩んでいるような顔になった。   「フィシェルが金髪で青い瞳で、魔力の色は黄色っぽいって言ってたから……光精霊に好かれてるのかな、と思った兄様が、最初はその辺りの家系を調べていたんだ。光の魔法は視覚誤認とか……そういうのも上手いから、ノルニの特殊な結界も納得がいく。それにフィシェルそっくりの美しい人なら、愛し子の可能性もあるし。……でも違った」    僕はそれで母の身元がちゃんと分かったのだと思った。  ノルニの結界については、テアーザを出てからエディに聞かされていた。アルヴァト兄様の話も少し引っ掛かっていたし……どうやら僕を隠す為に、空からは森にしか見えない特殊な結界らしいのだ。それは母さんが手を貸したという。   「……今から二十年くらい前、リグトラント西部にあるリアターナという街で、とても評判の可愛い踊り子がいた。リアターナはそこそこ大きな街で、歌や楽器、踊りとか……そういう芸術に特化した街なんだ。だから貴族とかがよくお忍びで遊びに行ったりもしてて」    僕も小さい時に兄様達といったことあるなぁ、とルストスは言った。   「とある貴族がその踊り子を気に入ってさ。自分の娘にするー!って連れてっちゃったんだ。まあその娘も承諾したみたいだから、そこまで乱暴な……例えば誘拐みたいな話では無かったと思うんだけど。名前も住む場所も新しく用意させて、踊り子を王都に連れて帰ろうとした」    僕は何だか嫌な予感がして、熱が下がったというのに背筋に汗をかいた。   「ところが、テアーザまで来たところで踊り子は……オルトゥルムからこっそり抜け出しリグトラントを見て回っていた当時の皇太子、スクルヴァ・オルトゥルムに出会う。何があったかまでは当人にしか分からないけど……とにかく踊り子はスクルヴァと恋に落ち、オルトゥルムへ渡った。アルヴァト殿下の話と合わせるとこうなる」   「それが母さん……?」   「そう。貴族が踊り子の為に用意した名前は、フラジェッタ・リナ・フレディアル」   「……フレディアル……?それって……どこかで……」   「そう、エドワード様の母方のお家……びっくり!血は繋がってないけど親戚だね!ますます運命感じるなぁ〜」    僕はベッドの中で顔を覆った。ここまでくるとむしろゾッとするレベルだ。こんな繋がりまであったら、流石にエディも僕のことを気味が悪いと思いかねないんじゃないだろうか。   「膂力に優れ、魔力は火の家系のフレディアル家だけど、女性の名前がフラーナとか、フランソワとか……そういう音の使い方なんだよね。それを思い出したら気になってさ……フレディアル家の当主に確認したらすぐに分かった。まあ当主は、フラジェッタはテアーザではぐれてからずっと行方不明だと思ってたみたいだけど。踊り子を自分の娘にしたいなんて強引な話だし、貴族院なんかに知られたら失笑ものだから、大っぴらに探したりも出来なかったようだね」   「そうなんですね……」   「とはいえ気になることもあって……フラジェッタは金髪に薄茶色の瞳だったらしいんだ。青い瞳ってどこから来たんだろう。オルトゥルム王族と契ったから変わったのかな?」   「僕も……それは聞いたことがないです」    でも母さんの瞳は確かに青空のような澄んだ色だった。それを伝えるとルストスは片目を閉じてしばらく考え込んでいた。  僕はフレディアル家のことを聞いてからずっと気になっていることを尋ねる。   「あの……親戚でも、半身になっていいのでしょうか。フリとはいえ……まずいのでは?」    僕の問いにルストスは一度きょとんとしてから、やがてニヤリと口角を上げた。   「それは大丈夫。親戚って言っちゃったけど、血も繋がっていなければ、フラジェッタは結局王都までは来ていない。正式なフレディアル家の人間になれたわけじゃないんだよ。家系図にも名前は載ってない」   「あ……そう、なんですね……」   「まあでも、気になるならいつかリアターナに行ってみたらいいんじゃない?もしかしたら血の繋がった本当の親戚に会えるかもしれないよ」    全部片付いてからだけどね、とルストスは笑った。僕はそう言われて初めて、自分にもまだ血の繋がった人間がいるのかもしれないと思った。  いや、オルトゥルムにはお父様がいるはずだし、アルヴァト兄様にも会ったのだけれど、正直そちらは全然実感が湧いていない……たぶん今でも、「オルトゥルム王族っていうのは冗談でしたー!」って言われた方が「なぁんだ、やっぱりそうですよね!」と納得できる気がする。  この貧弱な身体は答えではあるのかもしれないけれど……やはり僕はオルトゥルムで生活した記憶がない所為か、上手く事実を飲み込めていない。   「僕は……本当にオルトゥルムの血が流れているんでしょうか。アルヴァト兄様と……家族なんでしょうか……」   「……ん?だってフィシェルは、体質が……」   「その……アルヴァト兄様は別として、ヴォルディスに御子を捧げたがっているのは、僕の家族も含まれるじゃないですか」   「ああ……そりゃ実感わかないよね」    そこでルストスは僕の言いたいことを理解したようだった。   「僕の家族が……ヴォルディスを生かす為に、御子を何人も何人も犠牲にしてきたのだと思うと……信じられなくて」   「呪いの所為もあるよ。王族は特にヴォルディスの近くにいるからね。影響を受けやすいんだと思う。アルヴァト殿下はそういった事にかなり抵抗力が強いみたいだよ。フィシェルの姿隠しも見破られたんでしょ?多分……まやかしとか呪いもそう……不可視の力が効きにくいんだと思う」    ルストスはそう言うと、手のひらの上に風で編んだ小鳥を作り出した。小鳥はぴょん、と僕のベッドに飛び乗ると、寝ている僕の目の前まで歩き、鼻先をつついて消えた。   「これを使って、僕はいろんな人と連絡を取るんだけど……アルヴァト殿下のそばへ行くと、魔力が霧散して消えちゃうんだ。だから消えないようにする為には、結構細かく制御しないといけなくて……大量に魔力を使う。……話が逸れちゃったけど……つまりそういう特殊な体質の人間でもない限り、ヴォルディスの呪いからは逃げられない」   「ルストスは……僕のことを運命だと言ってましたね。至純で、白竜の御子で、リグトラントとオルトゥルムのハーフだから……」   「んーと、運命っていうのはそれだけじゃないけど……まあそうだね。フィシェルの特殊な能力は間違いなく運命だと思うよ」   「僕はそれなら、家族を救わなければ」  僕の言葉に、ルストスは目を伏せた。   「本当に血の繋がったお父様だとしたら……僕が行動しなければ。兄様だって、今僕の為に危険を犯してくれている。家族にも呪いの影響があるというなら、僕は助けたいです」   「……フィシェル……君がどうして純に至るものであり、知を繋ぐ御子でもある存在として生まれたか……本当の意味で分かった気がするよ」    ルストスは、ベッドに置かれた僕の手を取った。   「……君の友達として、精霊国の閑吟として、僕が出来ることを精一杯やる。何度だって誓う」   「ルストス……ありがとうございます。ルストスが力を貸してくれるので、本当に心強いです。僕には……力が無いので……」    ルストスとはその後もしばらく色々と話していたけれど、唐突にハッとしたルストスが椅子から立ち上がった。僕は旅の間で割と慣れたものだが、ルストスは精霊の声を聞いて、唐突に驚いたり笑ったりすることがある。この所為で気味悪がられ、友達がほとんどいないと言っていた。   「ルストス?」   「あ……もうそろそろ行かなくちゃ。僕、本当にこっそり抜け出して来てて……戻ったら次はいつ抜け出せるか分からないし、今夜このまま王都を出ようと思ってるんだ。この大窓から出てくから、誤魔化しといてくれる?」   「えっと……それはいいですけど……急にどうしたんですか?」   「ちょっと用事ができちゃって。しばらく来られないかも……」    ルストスはちょっと寂しそうに俯いた。僕と二つしか違わないのに、彼は閑吟として立派に仕事をしている。僕はゆっくり頷いた。   「分かりました。どんな用事か分かりませんが、怪我等しないように気を付けて下さ……そうだ、今度帰って来たら……なにか刺繍したものをプレゼントさせてください。あー……その、ルストスの今の服に比べたら、大したものじゃないですけど」   「……ほんと?僕、友達からなにか貰うなんて初めてだなぁ……精霊たちもフィシェルの刺繍が好きだって言ってる。楽しみにしてるね」   「えっ精霊が……?」  途端に気恥ずかしくなったけれど、自分から言い出したことを楽しみにしていると言われれば頷くしかない。  ルストスは今度は嬉しそうに大窓に手をかける。それを見ると言って良かったと思えた。    床まであるそれは窓というより扉だ。僕の寝室にはバルコニーがあり、そこへ出るためのもののようだ。  ルストスはガラスのドアを開けると、ひらりとバルコニーから飛び降りて行った。確かここは二階か三階だったはずだけど……  連れて来られた時の記憶が曖昧なので、僕は気になって夜のバルコニーへ出た。きょろきょろと外壁を外から見渡し、ぼんやり見える窓の明かりを下から数えて、どうやら三階らしいと結論付ける。  熱の下がった身体に、秋口の夜風が心地良い。僕がしばらくそれを堪能していると、背後から鋭い声が響いた。   「フィシェルさま!」   「あ……ラロ。ごめん……」    ラロが泣きそうな顔で僕を室内へ連れ戻す。なんだかいつも苦労をかけていて申し訳ない。僕はまず今作っているものが終わったら、ラロに日頃の感謝を込めて何か縫うべきなのかも……        夜中に一度熱がぶり返したけれど、ルストスに熱を下げてもらってからは随分と楽になった。翌日には、ベッドの上で枕やクッションを背にして腰掛け、僕は刺繍を始めていた。  どうせしばらく続けると目が疲れるので休憩しなければならない。それもあって、主治医のルシモスや侍従たちの許可も出た。    ルストスが出て行ったというのは、翌朝ルシモスに白状した。流石にルストスのことだから、もうとっくに自分の思う場所へ向かっているだろう。ルシモスはため息をついたけれど、弟が僕にしっかり説明をして行ったことは評価していた。  僕が陛下に会うのは明日になった。もちろん体調がこのまま好転していればの話で、僕は謁見が終わるまで刺繍以外を事実上禁止された。館の外に出るような散歩も駄目らしい。こういうときは趣味特技が座ってできるもので本当に良かったと思う。    まずは旅の間ずっと縫っていて未だに仕上がっていない、アーニアへの贈り物を仕上げてしまうことにした。  簡単なハンカチを渡してから取り掛かったものの……これはかなり時間がかかっている。  黄色い幅広のリボンに、パウロさんたちへよくあげていたオレンジの花の刺繍を、繋がるラインになるようにデザインして端から端まで縫い込んでいる。長さは僕の肩から手首くらいまでだろうか。明るい茶髪のアーニアには、黄色のリボンはよく似合うと思う。茎と葉っぱの部分は、オレンジや黄色を引き立てる枯草色にした。少し茶色が混じったような、くすんだ緑だ。  買ってもらった色糸がたくさんあったので、縫い目の長さを交互に変えて刺す方法で、オレンジの花もグラデーションにした。長短長短……と刺していき、糸を変えて今度は短長短長……と刺していくのだ。そうすると交互になった部分は色が混じり合い、グラデーションも作ることができる。好きな縫い方ではあったけど、花一つ一つにそれをやると時間がかかってしまって……テアーザに来る前から取り掛かっているというのに、未だに終わらない。    緩いS字カーブを描いた草の部分が交互に繋がるように刺し、その間にオレンジの花を刺していく。少し窄んだような五枚花弁はベルの様な形をしていて、ノルニで秋の終わり頃に咲く。レイーマという名前で、晩秋に開花と受粉をして種を作り、種子のまま冬を越えて、春から秋の終わりに向けてのんびり育つ植物だ。花からは控えめな甘い香りがする。  もしできるならと思ってラロに相談してみると、王都で香水を作っている商会からサンプルをもらい、その中から僕が選んだレイーマに近い香りの香水を取り寄せてくれることになった。是非このリボンに香りをつけて使って欲しい。気に入ってくれるといいんだけど……    僕は一度針を置いて伸びをした。あともう少しだ。集中しなくちゃ。  事前に薄く描き込んだ印の通り、一目一目丁寧に刺していけば、いつか必ず完成する。僕はこの頑張れば必ず完成するという点と、出来上がった時の達成感が好きだった。  最初の頃は、沢山ある縫い方を覚えて実践するのに必死だったけれど、今は刺しながら考え事をする余裕さえある。  そういえば、テーブルマナーも一緒かもしれない。やり方を覚えて実践しながら慣れていけば、後は段々意識しなくてもできるようになっていった。そもそも母さんがある程度の基礎はつけてくれていたんだなと今更改めて思う。僕はルストスから聞いた母さんの話を思い返していた。  リグトラントでは結局貴族令嬢にならなかった母さんだけど、オルトゥルムでは数年間は皇太子妃をやっていたはずなのだ。そこで自然とマナーも身についたのかもしれない。  母さんの形見を見て踊り子か旅芸人でもやっていたのかと思ったこともあった。実際に踊り子だったのだ。あの透け感のある重ね生地を腰に巻いて踊っていたのだろうか。僕は……自分の母親のそんな姿を一度も見た事がないし、話も聞いたことがなかった。  幼い頃は特に日々生きるのに精一杯で、ようやく周りのことへ意識が向き始めた頃に母は逝ってしまった。そこからはまた一人で生きることに必死になっていて、母の出自を気に掛けることも無くここまできてしまった。母さんは刺繍をどこで覚えたのだろう。僕はどんな風に産まれてきたのだろう……  そんなとりとめも無い事を考えながら、手を動かす。  端を少し折って、濃い茶色の糸で真っ直ぐラインを引いていく。あまり強く糸を引くと布地が縒れてしまうので、糸の弛みが出ないよう優しく引く。……うん、いい感じだ。   「……っできた!」    僕はベッドから下り、立ち上がって固まった身体を動かした。流石に村で暮らしていたときには、こんなに時間をかけた品物を作った事はない。未だかつてない達成感だった。  僕は縫い目の歪みや隙間、縫い漏れを確認して、リボンをテーブルに広げてみた。僕の目には、まだ自分の魔力で刺繍が淡く光っているように見える。模様が光るのは綺麗だ。  こんな体になったのはオルトゥルムの血のせいだけど、そのおかげでこの光景を見ることができている。不思議な気持ちだった。    僕はラロを呼んで、お茶を入れてもらうことにした。午後はまだ半ば。夕飯まで時間がある。休憩には丁度いい時間帯だ。  お茶の用意をしてもらいながら、ベッドの上の裁縫道具を一度片付ける。その時にラロに完成したリボンを見せた。   「わぁ……大変素晴らしいと思います!きっとアーニア様にも喜んでいただけますよ!」    ラロの後ろにいる他の侍従たちも、うんうんと頷いている。   「そう……なら、嬉しいな」   「香水ですが、恐らく明日には届くと思います」   「ほんと?良かった……早めに渡せそうで」    レアザには住み込みの従業員の為の別館があり、もしもアーニアが来てくれることになればその別館の一番いい部屋を宛行われるという。  ルストスが手を貸していたから恐らく通るだろうとはいえ、流石にしばらくはかかるはずだ。アーニアはエディを少し強引に迎えに来ていたみたいだし……  もしこちらへ中々来られないようなら、香水が届き次第送ってしまうのもいいかもしれない。    僕は万が一リボンにお茶をかけたりしないよう丁寧に裁縫道具と一緒にしまい、とても香りのいいお茶を少しずつ飲んだ。うーん……あんまり詳しいわけじゃないけれど、いい茶葉なんだろうな……  ……僕が言うのもおかしいかもしれないけど、本当に僕がこんな暮らしをしていいんだろうか……      

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