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王都3

 いつ眠ったのか、全く記憶にない。頭の下からエディの腕が出て行く感覚で目が覚めた。僕は咄嗟にそこへ縋り付く。   「おっと……起こしてしまったか?フィルはまだ寝ていて構わないよ」    ぼんやりと目を開けようとしたところで、優しく髪を撫でられる。それが心地良くて、僕はまた目を閉じた。    次に目を覚ましたのは、もうお昼前くらいの時間帯だった。今日は誰も起こしに来てくれなかったように思う。  僕がのそりと身体を起こすと、エディが着せてくれたのか、昨日脱ぎっぱなしにしていた筈のワンピースをちゃんと身に纏っていた。頭が全然働かず、ベッドの上で枕を背に暫くぼんやりしていると、ノックをしてラロが入ってきた。お茶のセットが乗った小さなワゴンを押している。   「おはようございます、フィシェルさま」   「おはよぅ……」    僕の様子にラロは笑顔のまま、蜂蜜をたっぷり入れた温かいお茶を渡してくれた。熱すぎないそれを飲むと、甘さが喉に染み込むような気がした。それを感じてようやく、喉が少し引き攣っていて声が出しにくかったのだと理解する。   「……ごめんなさい、寝坊してしまって……」   「いいえ、大丈夫ですよ。本日はエドワードさまより色々と言いつかっておりますから」   「え……?」   「さあ、落ち着かれたら軽く湯浴みをいたしましょう。それからお食事のあとお召替えをしまして、夕方の陛下への謁見についてルシモスさまよりお話していただく予定です」    エディが何と言いつけたのか気になったけど、予定の話に思考が持っていかれた。そうだ、今日は謁見があるんだ。お茶を飲み干してカップを返し、ベッドから下りる。   「わ、分かりました……」   「ではこちらへ」    僕はラロに手を引かれ、一階へ連れて行かれた。僕の部屋にも隣接した小さな浴室があるけれど、一階には革張りのマッサージベッドや送風器が置かれた広い脱衣所と大きな浴室がある。  初めてそこへ向かったとき、僕は「一体なんの為にこんな立派なものが?」と思ったものだ。  でも、昨日エディが一緒に寝に来て確信した。多分、エディも時々ここで入るんだ。古い歴史を持つリグトラント王家の中で、歴史上最も優秀な騎士王子とまで言われているエディだから、こういうこともあるのかもしれないけど……家が幾つもあるなんて信じられない。  僕はまさか、これらが全て僕の為に用意されているとは全く考えられなかった。もしここにルストス辺りがいれば…… 「フィシェルだって至純じゃん!めちゃくちゃ貴重な国の宝だよ!」  などとツッコミを入れてくれたかもしれないが、生憎とルストスは王都から出ているので、この時の僕にそれを教えてくれる人物は誰も居なかった。    軽く湯浴みを、と言われたはずなのに、当然のように大浴場の方へ連れて行かれ、どこもかしこも念入りに洗われた後、恥ずかしがる間もなく革張りのベッドへ寝かされた。侍従たちが僕の四方を囲み、身体を揉み解す。また身体や髪に何やらいい匂いの液体を塗り込められて、僕はエネルギーが足りず働かない頭でぼんやりそれを受けた。  その後僕は下着の上からシンプルな白いワンピースのようなものを着て、乾いた髪を丁寧に結い上げてもらう。  僕には何がどうなっているのか分からないが、編み込まれた髪は緩くて落ちてくることも、キツく突っ張ることも無く、綺麗にまとめられていた。    あらゆることに世話を焼かれるのだが、僕はエディとの二人暮らしや、旅の間にラロが少しずつ手を貸す領域を広げてきたことで、随分と感覚が麻痺していた。一番初めにここまで世話をされると聞いたときは、怒ってさえいたというのに……    シンプルな格好に暖かいローブのような上着を羽織る。髪結いを邪魔しない為だったのか、着せられていたワンピースは襟ぐりが広く、少し寒かったので有り難い。  部屋に戻り食事を取っていると、女性の侍従が一人小さな紙袋を持って部屋に入ってきた。気付いたラロが紙袋を受け取って何やら話を聞く。  内容はここまで聞こえなかったけど、僕はそれを横目に、チーズを乗せてオーブンで焼かれたグラタン風のパン粥を少しずつ食べていた。バターが仄かに香る濃厚なクリームによく煮込まれ、口当たりが滑らかになったパン粥は、美味しい上に優しく僕の空腹を満たした。    僕の食事が一息つくと、ラロはお茶を淹れてから僕に先程の紙袋を見せた。   「ご注文されていた香水が届きました」 「あ、なるほど……いつ頃アーニアに渡せるかな?シーメルン家へ送ったほうがいい?」   「それなのですが……」    コンコン、とノックの音がしてそちらを見ると、ちょうど扉側に控えていた侍従の一人が扉を開けたところだった。   「……フィシェル様!」   「アーニア!」    僕はびっくりして手に持っていたデザートのベリーを皿の上に落とした。ラロがその手をさり気なく掴まえて僕の指先を拭う。なんていうか……自然とこういうことをされると、僕はどんどんダメ人間になっていく気がする……  部屋へ入ってきたアーニアは、黒地のワンピースに白いエプロンドレスを重ね着し、ふわふわの髪を頭の後ろの高いところで一つに纏めていた。   「良かった、許可が出たんですね。会えてすごく嬉しいです」   「フィシェル様にまたお会い出来て、わたくしも嬉しいですわ。本日よりフィシェル様付きの侍女として、レアザ館で働くことになりました」  アーニアは綺麗な淑女の礼をした。   「アーニア・シーメルンです。改めてよろしくお願いいたします、フィシェル様」   「こちらこそ……よろしくお願いします」    僕たちを笑顔で見守っていたラロが、他の侍従が持ってきた包みを受け取って、紙袋と一緒に僕に手渡す。   「フィシェルさま、こちらを……」   「あ、そうだ。ありがとう」    僕は一度立ち上がりながら、包みの中身を確認した。せっかくなので広げたまま一度アーニアに見せることにする。   「アーニア、これ……昨日やっとできたんです。良ければ……アーニアにもらってほしいです」    旅の間に何度かアーニアと裁縫しながら話をしていたので、作りかけのこれも当然見られているのだが、アーニアはまさか自分宛だとは思っていなかったようで、目を丸くして驚いていた。最初にハンカチに刺繍したものを渡していたのもあるかもしれない。   「まあ……こちら、ほんとうに……わたくしに?」   「はい。えーと……これリボンなんですけど……刺繍だから表裏があって。こっちが表。裏はこんな感じになっています」    素早く隣に来たラロが僕から包みを受け取って、リボンを捲ってアーニアに見せてくれた。僕は香水の入った箱を取り出す。   「えーと……まずこの刺繍した花の名前が、レイーマと言うんですが……」   「はい。存じておりますわ」   「あ、そうなんですね。よかった。それでこれは……僕がノルニにいた時に、よくパウロさん達に渡すものに刺していた花で……ほんのり土の魔力を持っているんです。きっとアーニアにも良く似合うと思って。それで、この箱が」   「……メルクリル商会……もしかして、香水ですか?」    流石侯爵令嬢。僕より詳しいらしい。   「そうです。僕がサンプルを確認して選びました。ノルニに咲いていたレイーマのような、控えめで甘い香りの香水です。リボンに少し付けて使うのはどうかなと思って……」   「まあ……!本当に嬉しいですわ。大切にいたします。ありがとうございます、フィシェル様」    にっこりと笑うアーニアは、まさしく可愛らしいレイーマの花のようで、僕まで嬉しくなる。包み直してもらったリボンをラロから受け取り、箱を戻した紙袋と合わせてアーニアにそれを渡した。  僕付きの侍女ではあるけれど、アーニアは侯爵令嬢なので、シーメルン家からアーニア付きの侍女が一人レアザに付いてきている。名前はリゼというそうだ。アーニアの背後に控えていた彼女も、可愛い笑顔で挨拶をしてくれた。    食事を片付けに侍従達が出て行き、アーニアも一度退室した。僕はしばらく食休みをしたあと、着替えの為に隣の部屋へ移動する。簡単な着替えなら服の方を運んでもらって自室で着るのだが、ちゃんとした格好をするときは僕が行かなければならない。  上着を取り去られ、シンプルな白いワンピースの上からドレスを着せられていく。その為に襟ぐりが広めの作りだったのだと今更理解した。  途中で合流したアーニアがしっかりポニーテールにリボンを付けてくれていて、僕はアーニアと話して現実逃避をしながらドレスを着た。    初めに長い靴下のようなものを履く。それをリボンで腿の辺りで結び、白いスカートを頭から被る。それから胸元に硬めの布地を押し当てられ、背中側で布の両端に紐を通し、キツく編み上げられた。  後は胸の布地が固くて屈めない僕に、侍従達がどんどんいろんなものを取り付けていく。  肘から先がフリルとレースで膨らんだ、朱色の上着のようなものを羽織る。胸に新たに当てられた、袖と同じく朱色の生地に金糸の刺繍が施されている、硬く分厚い布。それと上着を、脇の手前辺りで繋いで留めていく。僕にはどうやって留めているのか最後まで分からなかった。  腰に巻かれたスカート……のような、とにかく派手な布は、うっとりするほど美しい刺繍がならんでいる。後半は鏡の中のそれを食い入るように眺めていた。  椅子に座らされ、編み込まれてアップになっている髪に、赤い花のコサージュを付けてもらう。今日のベールは淡い桃色で、裾に刺繍が施されたレース生地だった。   「こちらは王宮魔導師様が新しく作ったものです。糸の色が変わりましたが、最高位の魔導師様がお作りになられたので、効果は以前の黒地と同じように調節されているはずです。何か不都合があればお申し付け下さい」    僕は朱色のドレスに合わせて作られたようなベールを見た。部屋のカーテンを引かれて、午後の日差しが差し込んでも確かに眩しくはない。でも、まさかとは思うけど……   「……このベール、もしかして幾つも作ったの?」   「はい。その日の装いに合わせて、お色や模様が選べるようになっていますよ」    僕は困惑しながら鏡の中の自分を見た。  本当に自分で言うのは悲しいけれど、女の子にしか見えない。   「フィシェル様、お綺麗です」   「お肌が白くていらっしゃいますし、唇も綺麗な紅色で……お化粧はいりませんね……」   「そ、そう……」    僕は周りの侍従たちの言葉にぎこちない笑みを返しながら、椅子に座ってドレスの刺繍を見ていた。ラロが気を利かせて鏡を近付けてくれる。  僕は刺繍を指でなぞりながら、小さくため息をついた。余りにも素晴らしい仕事だった。  予め織り込まれた生地の模様に合わせて刺繍をしてあるのだ。つまり最初の布織りの段階から刺繍の絵柄まで決まっていた……?いや、流石にそんな訳はないか……でも、これはすごい……  ただ刺繍をするだけじゃ表現できない、立体的な花園がドレスの中にあった。それを自分が着ていることに衝撃が走る。僕は男なので、女の子のようにしか見えないのは釈然としない部分はあるけれど、こんなにも美しい刺繍を纏えることは素直に嬉しく思えた。  腕を持ち上げて袖を見ると、内側の白いレースに引き立てられた、少し濃い紅色の袖口が目に入る。そこにもレース刺繍が施されていて、僕はこのドレス一着に掛けられた労力を思って、暫くしみじみと見入っていた……  その隙に足を台の上に置かれ、慣れないであろう僕の為の、ヒールの高くない赤い革の靴を履かされた。   「はぁ……すごいな……」   「ふふ。フィシェル様、ずっと刺繍をご覧になっていますわね」   「あ……うん。本当に綺麗で。やっぱり王都の職人は素晴らしいですね……」    アーニアは僕の隣に椅子を持ってきて座り、一緒に僕のドレスを眺めた。   「そのドレスは気に入りましたか?」 「は、はい……まだ男なのにドレスを着ていることが信じられないですけど……刺繍はすごく綺麗です。これを着ているのが僕なのは、なんだか……夢みたいな感じです……」   「まあ。夢みたいなんて……ふふ。実はこのドレスを選んだのは、わたくしなんですの」    僕は驚いてアーニアを見た。アーニアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。   「アーニアが……?」   「ええ。色々とありましたけれど……やはりドレスが何着も必要になると聞きましたから。ドレスに関してはわたくし……流石に詳しいんですのよ」   「確かに、そうですよね。アーニアは侯爵令嬢ですから……」   「それで、フィシェル様に似合いそうなデザインを先に王都へ連絡していましたの。ちょうど懇意にしているお店に、手直しをすればフィシェル様にサイズが合いそうなものがあって。良かったですわ」    アーニアはそう言いながら、立ち上がって僕の周りを一周して頷く。旅の間にラロに細かく採寸をされてはいたのだ。その数字も併せて先に王都へ連絡がいったようだ。   「完全にオーダーメイドというわけではないですけれど……これなら全然問題ありませんわね」   「良かった……」    僕は胸にそっと手を当てて呟く。   「じゃあこれから、こういうときはアーニアに相談してもいいですか?」   「うふふ。もちろんです。わたくし、そういうときの為にここにいるんですもの。今はまだ侍女としてあまりできることは無いですけれど……色々と覚えてみせますわ」   「ありがとう、アーニア。来てくれて、本当に心強いです」    僕が笑顔を返すと、アーニアは少し顔を赤らめて顔を背けた。   「フィシェル様、狡いですわ……可愛らしすぎます。わたくし、ちゃんとフィシェル様の男装も見ているはずなのに」   「だ、男装……!?ちょ、ちょっと待って下さいアーニア!こっちが女装で、今までのが普通なんですよ!」   「あっ!失礼いたしました……」    僕が苦笑すると、アーニアも申し訳なさそうに笑った。でも……僕も鏡の中の自分みたいな人を見て、男性のイメージは持てないと思うから……仕方がないのかも。自分で言うのは本当に悲しいけれど……    着替えて暫くしてから、忙しそうなルシモスがレアザに顔を出し、謁見の段取りを教えてくれた。 「謁見の間では、エドワード様がフィシェル様の手を引いて下さいます。リグトラントは長く続く王政ですが、そこまで堅苦しい訳ではありません。エドワード様が頭を下げられたら真似をして、話し掛けられたら返事をして下さい」   「は、はい」   「陛下からフィシェル様への質問ですが……分からないことは分からないで構いませんし、答えたくないことには無理を為さらなくて良いです。エドワード様もフォローして下さるでしょうし……言葉遣いは、普段のフィシェル様ならまあ問題ないでしょう。ベールについても予めお伝えしてありますから、そのままで結構ですよ。断りも必要ありません」    僕は些か拍子抜けしていた。もっと細かい儀式めいた作法があるかと思っていたのだ。素直にそう伝えると、ルシモスは珍しく口角を上げた。   「ふふ……確かに、王族にはそんな印象もあるかもしれませんね。ですが現国王のチャールズ陛下も、次期国王のウィリアム皇太子殿下も、気さくな方々ですよ。ちょっと気さく過ぎるくらいです」   「え……そうなんですか……?」   「ええ、まあ……」    僕は目を丸くして口元に手をやった。ルシモスはそんな僕の姿を見て嘆息する。   「そうされていると、本当に深窓のご令嬢にしか見えませんね……やはり元々の、フラジェッタ様の教育が宜しかったんでしょう」   「でも僕も……舌打ちとかしますよ?」   「えっ!?」    思わず声が出た、という様子で口を押さえているのは、僕の後ろに控えていたラロだ。僕は苦笑した。   「一人で暮らしているときは……ままならないことが多くて、特に自分に苛々して舌打ちが出たりしたなぁ」    最近は全然……というか今は大体周りに人がいて聞いているし、不満もないので舌打ちは出ていない。   「ラロほど驚きはしませんが……私も意外ですね。フィシェル様は穏やかで静かな方だと思っていましたから」   「うーん……激しい性格じゃないとは思いますけど……」   「普段のご様子でしたら、きっと陛下や皇太子殿下は、フィシェル様が気に入るはずです」    僕は首を傾げた。コサージュと長いベールが重くてあまり動かすのは怖かったけれど、伝わったと思う。   「ふふ……お会いすれば分かりますよ。それでは私はこれで失礼させていただきます。本当はエドワード様が来ると言ってやかましかったんですが……とにかく今は留守中に溜まった騎士隊の雑務が忙しいもので……この後、謁見の時間にはエドワード様がお迎えに来られると思います」   「あ……はい。分かりました。エディにお仕事頑張ってください、と伝えておいてもらえますか?」 「かしこまりました。では、失礼いたします」    ルシモスが出て行くと、僕は自室のソファでホッと身体の力を抜いた。ラロがお茶を淹れてくれる。お茶請けに小さな焼き菓子が数個出ていたので、僕はそれを一つだけ食べた。   「……ねえラロ……着替えるの、早かったんじゃないかな?」   「……確かに早めのお召替えでしたが、フィシェルさまには……ドレスにも慣れていただく必要があるかと思います。そのうち一日中着ていただく日も来るかもしれませんから」    僕は喉の奥が引き攣った気がして、慌てて温かいお茶を飲み込んだ。   「これを一日中……?」   「ドレスも慣れですわ、フィシェル様。そのうちそれを着て、ダンスもできるようになりますわよ」    僕はぎょっとしてアーニアを振り返る。   「えっダンスって……踊るってこと?冗談です……よね?」   「うふふ。どうでしょう」    アーニアの笑顔が怖い。でも……想像力に乏しい僕でもこれだけは分かる。   「多分……やったことないけど、ドレスとか関係なく……僕、絶対下手くそだと思います」   「フィシェル様は根気がありますから、練習を重ねれば問題無いとは思いますが……でもきっとエドワード様なら、フィシェル様に足を踏まれても……笑って踊り続けると思いますわよ」    それは不思議と想像できたので、僕は頷いた。   「まずは今日を乗り切らないといけないですね……」    僕はため息をついて、いつの間にかおかわりが注がれていたお茶を飲む。   「ルシモスは詳しく言ってなかったけど、どんなことを聞かれるんだろう」  ラロとアーニアが顔を見合わせる。ラロの指示で、二人以外の侍従は退室した。   「……やはりオルトゥルムのことは話題に上りますわよね」   「うん……」   「今後の対策のお話になるのでは?」   「それもあるでしょうけれど、今回のことについて……フィシェル様がどうお考えなのかを聞かれるのだと思いますわ。何せ、お生まれが特殊ですから……リグトラントはあくまでも善意でオルトゥルムを助けようと考えていますが、オルトゥルムからすれば信奉する始祖古竜の討伐なんですもの……」  僕はぐっと拳を握りしめた。   「ですから、リグトラントの血もオルトゥルムの血も引くフィシェル様がどうお考えなのかを、陛下は確認なされるとわたくしは思います」    ラロはなるほど、と頷いているが、僕は心臓がドキドキして落ち着かなくなった。考えていることはある。でも……それを陛下に言って良いものだろうか。  僕は悩んだ末、アーニアとラロに相談することにした。   「一昨日の夜、ルストスと話して……思っていたことがあるんですけど……それを陛下や皇太子殿下に……エディにも話していいか悩んでいて。聞いてくれますか?」   「ええ、もちろんですわ」   「アーニア様もお座り下さい。お茶をお淹れします」    僕の相談相手としてのアーニアは、侍女ではなく僕が頼りにする友人だ。それを心得ているラロが隣へ座るアーニアにも良い香りのお茶を淹れてくれる。   「……僕は、白竜の御子の魂を捧げ続けてヴォルディスを生かしてきた、僕の家族を止めたいと思っています。呪いを解いて助けたいんです」   「ご家族……確かに、アルヴァト殿下とルストス様のお話の通りなら、フィシェル様はオルトゥルムの王子様ですものね。ヴォルディスへ生贄を捧げるというのは、アルヴァト殿下がこちらへ来られた事からも分かるように……恐らく王族が主導しているのでしょう」   「はい……それに加えて、テアーザではリグトラント国民を攫っているとか。つまりお父様は……僕の母さんが生まれ育った国を、もう白竜の御子が生まれる確率を高める為の手段としてしか見ていない……ということなのかなって……」    アーニアは、固く握った僕の拳にそっと手を重ねた。それでハッとして、そこから力を抜く。   「僕を捕えようとしているのも、息子に会いたいからじゃない。ヴォルディスの為です。僕は……それが悲しくて。せっかくお父様がいると分かったのに、お父様は僕のことを……」 「フィシェル様……」   「もし呪いが解けたら、お父様とちゃんとお話できるかもしれない。アルヴァト兄様の他の兄弟とも、話せるかもしれない。僕は……本当に自分のことばかりです。リグトラントの人たちも、怪我をしたり、もしかしたら戦って死ぬかもしれないのに……エディだって、戦わなくてはいけないのに。それでも僕は、自分の家族を救わなければと思っているんです……」    アーニアが僕のベールの下にそっとハンカチを差し入れ、頬を伝う涙を拭ってくれた。   「フィシェル様は、エドワード様を信じておられるのですね」   「……エディが負けるとは思っていません」    アーニアは優しく微笑んだ。   「家族を助けられるかもしれないと分かれば、その可能性に手を伸ばすのは自然なことですわ。フィシェル様がそう思えるのは、エドワード様の勝利を信じているからでしょう。確かにリグトラントも無傷ではすまないでしょうし、フィシェル様に至っては今回、囮のようなお立場ですから……ヴォルディスを討つには相当な危険が伴うはずです。それでもご家族を助けようとされるフィシェル様は、立派ですわ」   「そうでしょうか……」   「わたくしはそう思いますし、陛下もきっと分かってくださいますわ。ルストス様の言うことを受け入れた上で、もしオルトゥルムについての質問をされるとしたら、フィシェル様の素直なお気持ちを聞きたいからに違いありませんもの」    僕は気が付くとアーニアに抱き締められていた。そうされると、リボンからふわりとレイーマに似た甘い香りが漂う。生まれ育ったノルニを思い起こさせる、優しくて大好きな香りだった。   「僕は……僕には戦う力がないんです……エディや他のリグトラントの人に戦ってもらうしかなくて……でも、生贄なんて。魂を喰らわせるなんて。ルストスは……神の定めた魂の理を歪める、ヴォルディスやオルトゥルムには……遠からず神罰が下ると言っていました。そうなる前に、助けなくちゃ……」   「フィシェルさま……」    今度はラロが悲痛な面持ちで僕の背中を撫でてくれた。  オルトゥルムのことは、考えれば考えるほど怖くなっていく。僕自身が身勝手な人間だと言うことも、どんどん日のもとに晒されていく。  口から日の下に言葉として出てしまえば、焼け爛れたような醜い感情だと、自分で目の当たりにすることになる。    だって僕は……本当は。  家族も当然助けたいけれど、何よりエディのそばにいたい。  だから、家族が率先して僕をヴォルディスに捧げたがるのは……困るんだ……  本当は心の奥底に、そういう気持ちがある。    それを思い切って打ち明けると、アーニアはくすくすと笑って僕から離れた。   「ふふ……良かったですわ。フィシェル様がちゃんとご自分の気持ちを理解しているのだと分かって。……最初のお話だけでは、聖人様かと思いましたもの。それもフィシェル様らしいといえばそうかもしれないですけれど……でも、フィシェル様だって人間ですものね」   「アーニア……」   「これは騎士学校で最初に習ったことですけれど……人は皆、自分の大事な物を守る為に争うそうですわ。それはわたくしにも良くわかります。自分の大切なもの……その領域を侵されたと思ったとき、人は攻撃的になる。精霊の囁きを陛下が受け入れた時点で、リグトラントはオルトゥルムと戦う覚悟をしています。重要なお立場のフィシェル様が、ご自分の一番大事な部分を自覚しているのは、良い事ですわ」    ラロも頷いている。僕は息を吐いて、鼻をすすった。   「僕はエディが大事で……そばにいたいんです。すごく一方的で、勝手な気持ちなんです……でも、ヴォルディスのことがなくなれば、僕は……至純として、エディのそばにいられるんじゃないかって……なのにその為には、エディに戦ってもらうしかない。それが……苦しいです」    言葉にして吐き出してしまうと、例え醜い感情でも、自分でその形をよく理解することができた。  ……テアーザを発つ日の朝、ルストスに何か教えてもらえないかと思った。僕自身も戦う方法を。でもどうやらそれは無いみたいで、僕は唯のお姫様だと言われて……悔しかった。  結局一番大事な人に戦ってもらうしかないのかと、絶望的な気持ちになった。 「フィシェル様……大丈夫ですわ。エドワード様ならきっと、無傷でけろりとしてヴォルディスを倒してしまいますわよ。そう信じておられるのでしょう?」   「……はい。そうですね」    僕が笑顔を作ると、二人はホッとした顔で肩の力を抜いた。      

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