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王都4

 夕方頃……いつもより赤い布地に、僕と同じく金糸の派手な刺繍が施され、肩飾りも豪華なものが付いている軍服のエディが、レアザへ僕を迎えに来た。僕がエディの正装の格好良さに呆然と突っ立っていると、エディもドレス姿の僕を見て暫く固まっていた。  そんな僕にラロとアーニアが、首にフリルを巻いてリボンで留める。   「……すみません、お時間が……」    作業を終えたラロが控えめに僕たちに声をかける。それで我に返って、僕は瞬きをした。   「……驚いた。フィル……今日は一段と美しい。このままここに閉じ込めて、誰にも見せたくはない。謁見など、やめてしまおうか」   「え、エディ……」    僕がいきなり始まった練習に固まると、ラロが手を叩いた。   「さ!もう参りましょう!エドワードさま!駄目ですよ!フィシェルさま、どうかこちらへ」    僕がラロに促されるままおずおずと手を差し出すと、エディは優雅にその手を取ってキスを落とした。   「……ラロ」   「いけませんよ、エドワードさま。そんなことはできません」   「…………仕方あるまい。行こうか、フィル」   「は、はい……?」    エディに手を引かれるまま、僕は皆に見送られて館から出た。一体さっきのエディとラロの会話は何だったのだろう。まさか本気で閉じ込めたい訳もないし……  戸惑いながら門を出ると、なんと馬車が停まっていて驚く。   「え……まさか馬車で行くんですか?」   「……今のフィルなら……王城まで歩けば、四半刻ほどかかるだろうな」   「そんなに……?……確かにここへ来たときも、近くまで馬車に乗って来ましたが……王都って、本当に広いんですね……」   「俺に与えられている宮殿の場所が少し城から離れている所為もあるな。魔獣が出た際すぐに出られるようにと、ルセアはかなり山側に建てられているんだ」    エディはそう言って、背後に聳える大きな山脈を振り返った。僕の目にはぼんやりとしか見えなかったけれど、夕陽に照らされて山の輪郭が黒っぽく見えた。それが今は……恐ろしく思える。精霊の住まう聖なる山なのに。   「翻って王城は、山からは離れたところにある。街に近い方が何かと都合が良い上に、魔獣からも遠ざかれるからな」   「エディ……」    僕はエディに引かれている手に力を込めた。エディがリグトラントの防衛の要なのは分かっているけれど、住まいまでこんな……盾のような配置だなんて。   「フィル……心配してくれるのか?大丈夫だ。俺は魔獣にやられたりなどしない」    そんなの、分かってる。何が相手だって、エディが負けたりするはずないことは。ただ、好きな人がそういう扱いをされていることが悲しくて胸が痛いだけだ。  僕はその言葉を飲み込んだ。言ってもまた困らせてしまうだろう。代わりに精一杯笑顔を作る。   「……はい。そうですね」    広めの馬車に二人で乗り込む。エディは僕の向かいに座って、改めて僕を眺めた。   「エディ、あの……あんまり見られると恥ずかしいです」   「……すまない。見惚れていた」   「え、エディも……すごく格好いいです……」  僕も見たいと思うのに、どうしてだか恥ずかしくて視線を上げられない。受け答えだけでもちゃんとしなければ……   「僕よりずっと男らしくて、憧れます。僕もそんな服が似合ったら良かったんですけど」   「……多分、フィルなら何でも似合うんじゃないか?」    僕は怪訝な表情になった。   「さ、流石にそれは……無理があるんじゃないですか?」 「俺と同じようには似合わないかもしれないが……美少年が軍服を着ているのも、中々良いと思う。是非見てみたいものだ」   「…………」    僕が何とも言えず押し黙ると、エディは苦笑して魅惑的な提案を付け足してきた。   「俺と揃いの形も、面白いんじゃないか?」   「お、お揃い……?エディと?」   「ああ。戦場へ来てもらう時のフィルの服装を悩んでいたんだが……そういうのも良いかもしれん」    僕はエディとお揃いと言われて頭がいっぱいになっていた。よく考えれば今日の服装の色も合わせたようなものだが、全く同じ形というのは想像がつかない。   「フィル?聞いているか?」   「あ……すみません。自分が軍服を着ているのが全然想像できなくて」   「ふふ、まあ物は試しだ。今度用意させよう」    簡単にそんなことを言ってしまえるエディは、やはり王子様なのだと意識させられる。あの広いレアザよりも大きな宮殿に住んでいるのだから、服の一着や二着程度なんて、それは簡単に用意できるのだろうけれど……    そんな話をしている内に、王城へ着いた。僕はエディに手を貸してもらい、慣れない靴に震えながら馬車を降りる。乗るときとは大違いだ。ドレスも重いので、バランスも取りにくい。  レアザならともかく、王城ですっ転んだりしたら目も当てられない。アーニアにある程度ドレスの時の歩き方を教わったとはいえ、慎重にならなくては……  自分のことで精一杯だった僕は、すれ違う騎士達が僕を見て真っ赤になっていたことに、全く気が付かなかった。    王城は……凄かった。僕の視力でははっきり見えなかったけれど、柱の一本一本でさえ細かな装飾が彫り込まれている。リグトラントの地属性の魔導師にかかれば、センスと建築の知識、それと元になる材料さえあれば、確かに何でも作れてしまうだろうけど……  ピカピカに磨かれた乳白色の石の床に、真っ赤な絨毯が敷かれている。それが通路のようになっているのだ。僕は絨毯の両端に施された金糸の刺繍を、立ち止まってじっと眺めたい衝動を必死に堪えて歩いた。   「フィシェル殿、前を向いて」   「は、はい……エドワード、様」    エディの腕に手を添えながら、僕たちはゆっくりと城の中を進んだ。正直僕には何処をどう移動しているのか分からなかったけれど、一階の何処かにある昇降機を使って上の階へ行き、謁見の間へ辿り着いた。  入り口に立っている騎士が、エディと僕を見て恭しく頭を下げる。   「陛下が中でお待ちです」   「ああ」    騎士がゆっくりと扉を開けてくれて、僕たちは中へ入った。緊張して身体が強張る。  絨毯の道を進み、エディが立ち止まって頭を下げたので僕も慌てて合わせる。  エディの腕が上に動いたので、僕も顔を上げた。   「陛下、至純殿をお連れいたしました」   「うむ……」    僕はぼやける瞳で王座を見た。そこへ腰掛ける豪華なローブを着た王様の隣には、エディと似たような姿をした、背の高い男性が一人立っている。二人共、僕の目からでも顔の造形が整っているのだろうなと分かる。流石精霊が愛した王族だ。   「私はリグトラント王国三十二代国王、チャールズ・リグトラントだ」   「皇太子のウィリアム・リグトラントです」   「至純殿、名を聞かせていただけるかな」   「……フィシェル・フィジェットです」    僕が名乗ると、陛下と皇太子殿下はちらりと顔を見合わせた。す、既に何かまずいことがあっただろうか?僕が不安になってエディを見上げると、エディは小さく「大丈夫だよ」と呟いた。   「フィシェル殿。病み上がりに急に呼び付けてしまってすまないな」   「いえ……僕の方こそ、ご挨拶が遅れてしまって申し訳ありませんでした」   「気にする必要はない。フィシェル殿の境遇を聞けば、体調を崩すのも無理からぬことだ」   「は、はい……お気遣いいただき、ありがとうございます……」  僕がぎこちないながらもなんとか笑みを浮かべると、陛下は口元を押さえて押し黙り、ウィリアム様はエディに鋭い視線を投げ付けた。   「エドワード……お前、本当に"彼"だけを妃にするつもりなのか?」   「ええ。そうです。俺は子を成すつもりはありません。他の候補などいらない」   「……さてはお前……その為にドレスを着せてきたな?確かに夜会で彼と踊る様子を見せ付けてやれば、未だ文句を言っている女性達も引き下がるだろうが……」   「……今のところ夜会の予定はありませんが……別の機会にお見せすることもあるでしょうから」    僕はぽかんとして聞いていた。お姫様として扱われるのだからこう言うこともあるのだろうと思っていたが、ちゃんと理由があったらしい。  婚約者候補達の中には、突然の僕の登場に納得していない人もいるようだ。   「まあそうだな。しかし……もしかすると、フィシェル殿を見ればアンジェリカも目が覚めるかもしれんぞ」   「……そうなってくれると、いいのですが……」   「あれもどうしたものか……」   「……?」    僕は僅かに首を傾げた。アンジェリカとは誰だろうか。きょとんとして見上げる僕に、ウィリアム様の顔が更に険しさを増す。僕は内心冷や汗をかいた。疑問に思ったがとても聞ける雰囲気ではない。   「陛下も兄上も……何をそんなに難しい顔をなさっているんですか」   「……こうしていないと、顔がニヤけそうで……」    エディがため息をついた。   「……もう良いでしょう、父上。ウィリアムも」    お兄さんを突然呼び捨てにするエディに驚いたが、エディは物凄く不機嫌そうだった。そんなエディを見て、陛下が立ち上がる。   「うん、もう良いよ、エドワード。あっちで座って話そう。フィシェル殿は、色んなお花のフレーバーティーは好きかな?」   「え!?……えと……はい。お茶は好きです……」    陛下の後ろをウィリアム様も歩き出し、隣の部屋への扉を控えていた騎士が開ける。エディもため息をついてその後を追うので、その人に手を添えている僕も隣室に入ることになった。いきなり気さくな雰囲気になってしまって驚く。まさかルシモスが言っていたのはこういうことなの……かな?  隣の部屋には大きめの丸テーブルが置かれていて、お茶の用意がされていた。エディが椅子を引いてくれたので、大人しくそこへ腰掛ける。  ウィリアム様が先程の険しい顔から一変して、眩しい笑顔で僕に尋ねる。   「フィシェル殿は、ケーキはお好きですか?」   「甘いものは……かなり好きです」    ノルニで偶に手に入る甘味にはしゃぐ子供をよく見ていたので、甘い物が好きというのは少し恥ずかしい。なのでちょっと照れたような言い方になってしまった。  ウィリアム様が笑顔のまま暫く固まっていたが、エディが鋭く名前を呼ぶと大人しく席についた。   「では明かりと断音を」    陛下のその一言で、煌々と点けられていた明かりが、僕が過ごしやすい明るさになった。魔力の流れですぐに部屋の隅に光属性の魔導師がいるのだと分かる。僕の為にわざわざ申し訳ないと思ったけれど、それは最後にお礼をするべきだろう。  僕の視線の動きを眺めていた陛下は、黙って一口お茶を飲む。   「フィル」   「はい?あ……ありがとうございます」    エディの呼び掛けに振り返ると、そっとベールを上げられた。ちらりとエディを見上げれば、柔らかい笑みを寄越される。僕は赤くなって俯いた。   「なるほどねぇ、そりゃ他に誰も要らないよなー?めちゃめちゃ可愛いもんねぇ。見てるだけで顔が緩みそうで、さっきは俺も危なかったよ」    ウィリアム様がニヤニヤしながらエディを見る。近くで改めて見ると、陛下とウィリアム様はエディに近い金茶の髪と瞳をしていた。三人は血の繋がりがある為よく似ている……気がする。でもウィリアム様の整った顔もこの笑みの前では台無しだ。   「ウィリアム、その顔をやめてくれ」   「いやーだってさ、あの戦闘民族が……なに?めちゃくちゃデレデレしちゃってるじゃん。かっこつけちゃって」    エディの練習の成果はしっかりと発揮されているらしい。僕も頑張らなくては。あまりエディの事を好きだと全面に押し出してはいけないのだ。   「ウィリアム……」   「はいはい、分かってるよ。じゃあ話を変えよう」    意気込んだところだったので些か拍子抜けしてしまったけど、話が変わるならそれはそれでいい。僕はとても華やかな香りのお茶を一口飲んだ。   「俺はフィシェル殿の意志を確認したいと思っています」   「は、はい?」   「オルトゥルムに行きたくはないのですよね?」   「はい……」   「ウィリアム!」   「分かってるよ、確認だって言っただろう。……それではこの国で至純として生きていくということでよろしいですね?オルトゥルムには、情報通りならフィシェル殿の家族もおられますし、もしかすると血の繋がった兄弟と殺し合うことになるかもしれない。それは理解しておられますか?」    僕は力無く頷いた。アーニアやラロと話をしていて良かったと思った。気持ちや考えの整理はついている。  僕は当然まだ死にたくはないけれど、白竜の御子でもある人間がリグトラントを選べば、オルトゥルムは黙っていないだろう。   「……分かっています。僕が魂を捧げれば、暫くはオルトゥルムに穏やかな日々が約束されるのかもしれない。でもそれは僕のような人間がずっと犠牲になり続けて、それが今後も続くということ……僕は、もし本当にオルトゥルム王族が身内だというのなら、むしろ僕が諌めるべきだと思っています」    そもそも王族が率先してリグトラント国民を誘拐しているのだ。家族だというのなら、国王がお父様だというのなら、止めなくては。その為には、ヴォルディスを倒して呪いを解く必要がある。  できれば、魂喰らいの神罰が下る前に……  だけど生憎、僕には戦う力がない。   「閑吟であるルストスから精霊の話を聞いて、もうお気持ちは決まっているのかもしれません。でも……僕からも改めてお願いします。どうかオルトゥルムを助けてください」    僕は陛下とウィリアム様を見て頭を下げた。コサージュやベールでバランスを崩さず綺麗に見えるように、お辞儀の仕方もアーニアとラロに教わっている。    エディのことは言えなかった。ここでエディへ抱いている思いを話すわけにはいかなかったから。エディもまた困らせてしまうだろうし……でも、大丈夫。アーニアに言われて気付いたことだけれど、僕自身が一番大事な事を分かっていればいい。  僕はエディの方も見上げた。   「エドワード様……危険な戦いに巻き込んでしまって、すみません。どうか……お力をお貸しください」   「フィル……」    エディは少し驚いたように僕を見ていた。  ウィリアム様は笑い出し、陛下もにこにことしている。   「くっくっ……いや中々素晴らしいお方だ。ね、父上」   「ああ。フィシェル殿、安心されるといい。リグトラントは貴殿の味方だ。ウィリアム、この先のことを話して差し上げなさい」    陛下の言葉に僕は御礼を言ってまた頭を下げた。ウィリアム様は陛下の言葉に頷いて、テーブルについていた肘を下ろし、居住まいを正す。   「まず、フィシェル殿は……オルトゥルム王妃フラジェッタと、そっくりだとお聞きしました」   「は、はい……かなり似ているとは思います」    王妃、と言われて僕はドキリとした。僕が家族を救いたいと言ったのだから当たり前なのかもしれないが、僕のことはあくまで至純として扱うけれど、僕の母はオルトゥルム王妃として扱うらしかった。   「既にお披露目を行いましたから、フィシェル殿の容姿は出回っているでしょう。閑吟ルストスが要求したことですから、この状況を生かして立ち回らねばなりません」    そうか、と僕は思った。母さんの姿を知っている人間が僕を見ると、どうしたって血縁者だとバレてしまう。    「戦いになる以上、フィシェル殿が至純であり、白竜の御子でもあるということは貴族院には公表しなければならないでしょう。オルトゥルムとリグトラントのハーフであるという事までは明かします。その上でフレディアル家当主には、フィシェル殿がフラジェッタ・リナ・フレディアルの息子であるという事も伝えます。当主にはフラジェッタという名前を知らないかと閑吟が確認していますからね」   「ということは、母上や他の兄弟にも……」    エディがそう言うと、陛下が頷く。   「そうだな。妻と子供達には貴族院と同じ情報を。必要であればフラーティアには息子であるお前から詳しく話しても良い。その上で貴族院にはヴォルディス討伐を承認してもらう。既に閑吟たちの署名もある。問題なく通るはずだ」   「分かりました。母上には様子を見てお伝えします」   「うむ……後の問題はリアターナにいると思われる王妃フラジェッタの血縁者や顔見知りだが……あそこはリグトラント西部にあってそれなりに離れている為、仮に姿絵などが届いたとしても……流石にオルトゥルムとの決着がつく数ヶ月の間で、王都まで確かめに来ることはなかろう。もし来たら来たで都度対応すれば良い」   「リグトラントの記録にはフラジェッタという人物は存在していませんからねぇ……しかし名前を聞けばじきにフレディアル家との関係を疑われてしまうでしょう。今フレディアル家の悪い噂は良くない。なにせ……矢面に立って戦うエドワードの血縁ですから……オルトゥルムとの関与でも疑われた日には、いくら閑吟の言葉があっても反対する貴族も出てくるかもしれない。何か裏があるのでは?とね」    僕はゆっくりと話して下さる陛下とウィリアム様の言葉を噛みしめ、頷いた。  エディのお母様はフラーティアと言うらしい。僕はここでようやく、王族についての知識がなんにもないままここに来てしまった事を自覚した。それなのにあんなことを喋ってしまったのだ。べ、勉強しなくちゃ……もっと……   「貴族院の承認が出れば、エドワードにはリグトラント軍を率いてもらうことになる。選抜は下手に貴族院や我々が介入するより、お前が決めた方がいいだろう。騎士隊からでも、魔導師団からでも、好きな人間を選べ。ひと月ほどで選抜・編成……できれば訓練までを終えて欲しい。引き抜くだけではなく、魔獣が出た際に王都を守れるようにそちらも考えて編成してくれ」   「……わかった。やるしかないな」    エディは疲れたように息を吐いた。僕には軍隊の事はさっぱり分からなかったけれど、大変そうなことを言われているというのだけは理解できる。   「あとエドワード。確認なんだけど……フィシェル殿には本当に何にも言ってないよね?」   「言っていない。先程の言葉はちゃんとフィル自身から出たものだ。俺も驚いている」   「うーん……実に惜しい……フィシェル殿下として、オルトゥルムの皇太子になってもらった方がいいんじゃない?」    僕は驚いてカップを取り落としそうになった。   「え!?」   「ではリグトラントは、最大戦力の一人を失うことになる」   「……お前、本当に変わったな……」   「い、一体……なんのお話ですか……?」    僕が早くなる鼓動に胸を押さえながら言うと、陛下が大丈夫だと優しい声色で答える。   「……やはり何も知らないようではないか。ルシモスはきっちり要望通りに働いたらしい。ウィリアムも、あまりからかうものではないよ」   「はい……申し訳ありません、父上。はあ……いいなぁエドワード。俺もガツガツした貴族令嬢じゃなくて……可愛くて性格もいいお嫁さんがほしい」    この辺りになると僕は混乱がピークに達していて、話の内容が殆ど頭に入ってこなくなっていた。  ……妃とかお嫁さんって、フリの話だよね? 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