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王都8 ※
口を啄みながら視線を絡められると、僕の中の貪欲な部分が期待に首を擡げる。今日のそれはいつもより更に酷くて、僕にはそれが魔力を増やされている熱い体の所為なのか、エディの気持ちに希望を見出しているからなのかいまいち判別できなかった。
両方なのかもしれないけれど、僕としては前者を言い訳にしてしまいたい。そうしなければ、その希望がもしも僕の都合の良い錯覚でしか無かったときに……とても耐えられそうにないから。
エディは器用に僕のワンピースのボタンを片手で外してしまった。その間にも、僕の頭の横に肘を置き、比較的自由に動く方のエディの手のひらが僕の髪を撫で、指先が頬を撫で……と優しく触れてくれるので、段々と思考も鈍ってくる。
エディは僕に思い知ってもらうと言っていた。こんな風にしてもらって、期待をせずにいられるだろうか。
ちゃんと返事を貰えなかったときからずっとそうだ。エディの気持ちは手に入らないんだと、それでもそばにいることが許されるだけ有り難いと……触ってもらえるなら何だっていいはずだと、自分に言い聞かせて諦めていた。エディが優しいのは、元からそういう人なんだって勝手に思い込んで……期待しないようにした。
エディに告白して、駄目かもしれないと一瞬でも思ったとき、僕の心は情けないことに……目を閉じて耳をふさいだのだ。恐ろしかった。もう一人には戻りたくないと、そんな自分の叫びが聞こえてきそうで……怖くて、堪らなかった。
でも、エディがこんな風に優しくするのは僕だけ……そう聞いて、僕は……
「フィル……」
僕は泣いていた。エディが眉尻を下げて僕の涙に吸い付いてくる。涙だって僕の内側から出る体液なので、普段から多少なりとも魔力は含まれるし、特に今は薬のせいで量が増えている。エディにとっては弱くとも毒になるのに。僕が咄嗟に顔を背けると、エディが露わになった僕の耳にキスをした。
「嫌なら……ちゃんと言ってくれ。フィルが本気で言えば、俺は止められる。フィルを傷付けたいわけじゃない」
そこへ落とされる切な気な声色に益々涙が出る。どうしたって、もう……都合のいい希望を抱かずにはいられない。
「い、嫌じゃないんです……ただ……こんな……僕は……っ」
僕はエディの腕に縋り付いた。
「僕は……エディが好きだから……嬉しくないわけが、な、なくて……」
「……フィル……」
エディが優しく抱きしめてくれる。
「ごめんなさい……エディは色々と考えて、言わないようにしていたのに……僕が……僕の所為で、ここまでさせてしまって……」
「……フィル、大丈夫だから。どうか俺に、誤解を解かせてくれ。練習じゃなく、ちゃんとフィルに触れたい」
「は……はい……」
僕が鼻をすん、と啜って頷くと、エディの手が腕に引っかかるワンピースをそっと脱がせてしまった。
「んっ」
温度差のある熱い手は何度触れられても、それだけで気持ちが良い。エディの熱が移って僕の身体も熱くなると、染まれたかのような錯覚もするので、下腹から妖しい喜悦が湧き起こる。
「あ、あっ」
僕の白い胸に浮かぶ小さな二つの浅紅を、エディが優しく指で転がした。そこへの刺激も最近ではすっかり慣れてきてしまって、擽ったいだけを通り越し、ビリビリと鋭い痺れが腰へと走っていく。
「あ、ぅ……っあ!」
「フィルのここは、本当に綺麗な色だ」
「ん、ぁあっ!」
エディがそこへ吸い付き、優しく歯を当てられて僕は思わず逃れようと体を捩る。
「だめ、そこばっかり……あ、あっ!」
「……こちらも反応しているな」
「うぅ……」
僕は思わず顔を手で覆った。しっかりと勃ち上がってしまった中心を、優しく握られる。優しすぎてもどかしい程だった。
その緩やかな刺激に指の隙間から見上げて視線を絡めると、エディは意地悪く笑って、時々使っている香油の瓶を僕の目の前で揺らした。
それを後孔の方へ垂らされると、僕の体はしっかり覚えた快感を心待ちにしてしまう。
「エディ……んッ、ぁ!あっ」
エディの指がゆっくりと入り、僕の内壁へ香油を塗り込める。内部がじんわりと温かくなって、そこの強張りがゆっくりほどけていく。緩んだところで、指を増やされる。
「あ、ぁ……ん、ぅ……ッあ!」
苦しげな僕を見れば、エディはすかさず僕の中の一番感じる部分を押し上げてくる。そこを押され、抽送の度に擦られてしまえば、後は快楽に喘ぐだけになっていく。
「あっぁあっだめ、すぐ……ぃ、あっ……!」
もういってしまう、というところで、不意にエディの指が引き抜かれる。僕は急に快感を取り上げられてしまって、その時点で理性がぐずぐずに溶けていた。続きをして欲しくて僕は目を開ける。
「……エディ……」
エディを見ると、スラックスの前を寛げてスキンを付けているところだった。僕はそれを見て我に返り、息が詰まる。何をするつもりなのか、頭の隅でぼんやりと理解する。
……本当に?
その言葉を何度も内心で呟く。
練習じゃなく、って……まさか……
「フィル」
「あ……」
エディの影が僕に落ちても、いつもの安心感は無かった。エディの熱っぽい瞳の奥に、今まで視たことの無い……激しく燃えるような色の奔流がある。あの優しいエディの中にも、僕を喰らおうとする獰猛な獣が棲んでいるのだ。激しい揺らぎなのに、どうしても綺麗で目が離せない。その色が早く欲しくて目眩がした。どうしたって今日は手に入らないのに。その事実に息が苦しくなるほどだった。
あまりにも美しい、明るい暖色の交わり。
エディがスキンをつけた己を僕の方へ擦り付けてきて、口から自然と熱い吐息が漏れた。
「エディ……」
ああ……でも、本当に?エディは……僕を欲しいと、思ってくれているのだろうか。まさかこれは、それを思い知らせる為の行為なのだろうか……
「フィル……最初はできるだけゆっくりするから」
ぴたりと入り口に宛てがわれ、僕はエディの肩に手を伸ばした。
そこへ手を添えるだけのつもりだったのに、押し寄せる圧迫感に思わず力が入ってしまう。
でも不思議と怖くはなかったし、嫌だとも思わなかった。どんなに辛く苦しかったとしても、嬉しい気持ちの方が強かった。
「あ、あ……ぅ……っ!」
「フィル……痛くはないか?」
痛みは鈍く遠く感じられるものがあるだけだったが、圧迫感が苦しくて僕はふるふると首を横に振った。
「でも……ゃめな……で……」
呻く合間にそう伝えて、僕は固く目を瞑った。エディが僕の瞼に唇を落とし、ゆっくりと腰を推し進める。エディも苦しそうだった。
「……っ初めては、後ろからの方が……負担が少ないと……聞いたが……」
「う、ん……っあ!」
「すまない、フィル……しばらくは、こうさせてくれ」
そう言いながら、エディは喘ぐ僕の顔に何度もキスをした。
「ん、んっ……はぁ……っ」
「全部、入ったよ……フィル」
「……っほんとに……?」
「ああ。ほら……」
エディの指が僕の手を捉え、下腹の先へ導く。張り詰めたエディのものが確かに僕の中に入り込んでいて、涙が出る。気が付くと僕は堪らず強請っていた。
「う、ごいて……エディ」
「フィル……」
「ん、ンッ」
ずるりと腰を引かれ、あんなに苦しかったはずなのに、出て行かないで欲しいと一瞬思った。絶望的な喪失感だった。すると次の瞬間には下から押し上げられて、勝手に口から声が出ていく。突き挿れられると苦しい。でもそれが嬉しい……そう思った。
そこから先は、深く考える余裕なんて無かった。
「あっあ……っう、あっ」
エディが身体を起こし、僕の腰を掴んで引き寄せる。うっすら目を開けた先で、一際存在感を放つ美しい身体に見惚れた。精霊が愛する肉の薄めの体付きと、膂力に優れるフレディアル家の血が混ざり合っているというのに、エディの身体は不思議と均整が取れていて、鍛え上げられた筋肉が美しくそこへ乗っている。
そんなリグトラントの傑作のような人が、今僕の中を蹂躙しているのだ。
繰り返される行為に少しずつ慣れ、身体の緊張と強張りが解けてからは、僕は少しずつ快感を拾えるようになっていった。
「あ、あっあぁ……っ!」
慣れていけば段々と苦しさはなくなり、鈍かった快感も強くなる。それがエディによってもたらされているという事実に、いよいよもって魔力を抑える事ができなくなっていく。
薬によって強引に増やされた魔力が、快楽によって外側へ引き出される。
僕は手を伸ばし、長い襟足が引っかかるエディの首を引き寄せた。
「エディ、エディ……」
「フィル……?どうした?」
耳元で囁かれる、甘く余裕のない声色に背筋をぞくりとさせられながら、僕は口を開く。
「つ、らくないですか……?僕、魔力が、抑えられなくて……」
「……本当に、フィルは……」
エディは困ったように笑うと、僕の唇を一度啄んだ。
「つらそうかどうか、確かめてみると良い」
「どうやって……?」
僕が聞くと、エディは一度僕から自身を引き抜く。
「ん……っ」
エディが僕の体勢を変えようと誘導する。後ろを向かされ、ベッドに肘をついたところで、僕は腰をエディに持ち上げられてしまった。
「あ、ぅ……んッ!」
恥ずかしい格好だと思うのに、僕が何か抗議をする前に、エディに熱く硬い部分を何度も腿へ擦り付けられてしまって、僕の口が勝手に呟く。余裕があるのは分かったから、早く、早く続きをして欲しい。
「エディ……も、焦らさないで……っ」
「ふふ……可愛いな、フィル……」
「んっ……あぁッ!!」
再び押し入ってくるエディのものが、僕の好きなところを強かに擦りながら潜り込んで来たので、僕は殆ど悲鳴のような声を上げていた。エディのスラックスが腿に当たる感触で、身体が密着したのだと分かる。確かに物凄く気持ちが良いのだけれど、奥まで挿れられ、腰をまた引かれて……これを繰り返されたら……僕はどうなってしまうのだろう。
エディが僕の項へ一度口付けると、その心配は速やかに現実のものとなった。
「っあ、ぁ、あっ!」
腰を打ち付けられる度、視界がチカチカと霞んで、ベッドにただついているだけの肘にさえ力が入らなくなる。甘く鋭い快楽の痺れが下腹から駆け昇り、僕は我を忘れてみっともなく喘いだ。口の端から唾液が溢れても、それを気にする余裕もない。
「ん、ぁ、あぁっ」
腰からも力が抜けてしまうが、そこはエディがしっかりと掴んで支えている。更に角度を付けて擦り上げられると、僕の中心から勝手に白濁が散っていく。
「ぃ……っう……ああッ!!ん……っあぁ……」
何の心構えも、そこまでの昂ぶりの自覚すらもないまま襲ってくる強烈な快感に、脳が焼き切れるのではないかと思った。僕が必死にそれに耐えているというのに、エディが背後で笑った気配がする。それが恥ずかしくて悔しいのに……どうしようもなく、好きだと思った。
「ん、んんッ」
エディは僕が一人で先に達してしまったことに気付いても妖しく笑うばかりで、止めてくれる気配は一向にない。
断続的に与え続けられる刺激に、おかしくなってしまいそうだった。
「あ、ぁっも、また……だめ、ぁ、あぁ……ッ」
僕は思わず片手を下腹へ持っていき、そこを強く握り込んだ。堪えようと思ったが遅かった。がくがくと腰が勝手に震え、それに合わせて再び僕の先端から大量の魔力が零れていく。
「……ッフィル、あまり、締めないでくれ」
「んッ、む、り……ぃぁっあ!」
「……っく」
僕が快楽に耐えていると、身体にどうしても力が入ってしまう。僕が中でエディを強く感じていると、エディが苦しげに息を詰まらせた。
その瞬間、どくりと僕の中で温かい感触がして、エディが僕を後ろから強く抱き締めてくる。熱い息が耳に掛かって、ぞくぞくした。
スキンを一枚隔てた先に、同じ望みがあるのだと……思い知らされる。
「ん、ぁ……」
エディがずるりと抜け出ていく時さえ感じ入ってしまって、僕は力無くベッドへ崩折れた。お腹に自分の出したものが触れる不快な湿った感触があったけれど、どう頑張っても身体を支えられそうにない。
スキンを片付けるエディも珍しく荒い息をしていた。
「フィル……大丈夫か……?」
「……ぅ、ん……」
エディが優しく僕を抱き起こして座り、腕の中に閉じ込めた僕に何度も何度もキスをした。
「エディ……」
「フィル……俺を信じてくれるか?」
もう疑いようもなかった。僕はエディの目を見詰めて頷くと、再び振ってくる唇を受け入れた。
エディに支えられながらシャワーを浴びて戻ってくると、なんとベッドが綺麗になっていて、僕は驚いてエディを見上げた。
「……そういうものだ」
エディが言うのならそういうものなのだろうし、侍従達に手伝ってもらわない訳でもないけれど……やっぱり皆に何もかも知られているのは、流石に恥ずかしい。
僕は釈然としないまま、ベッドの上に新しく用意されていた服を着た。今度はちゃんと下着もあった。
「フィル、腹は空いていないか?」
「……すこし」
「では、軽く用意させよう」
二人でベッドに腰掛けたまま、運ばれてきた食事をする。エディが時々食べさせてくるものも口に含みながら、僕は軽めの夕食をとった。
それからはいつの間にか部屋に持ち込まれていた書類をエディが見ている隣で、僕はいつものように刺繍をした。お互いベッドから出たくは無かったし、身体を離したくもなかった。僕が時折手を止めると、エディの唇が重なる。
それだけで、涙が出るほど幸せだった。
……数日後、僕はアーニアからとんでもない話を聞かされていた。
「その……いつか騎士学校に、視察に行くみたいな話は聞いていましたが……」
「あら、そうでしたの?わたくしは日が近くなったらフィシェル様にお伝えしても良いと、ルストス様から言われていまして……実はわたくし、ルドラ様にもお会いしていますのよ」
僕は驚いてアーニアを見た。彼女が言うには、僕が王都へ着いた日にアーニアはルドラに会っていたらしい。一体どうしてそんな経緯になったのかまでは詳しく説明してもらえなかったけれど……
「でも、アーニアくらい魔力がある人たちが戦ってるところをたくさん見るなんて……僕、大丈夫かな。また具合が悪くなりそう」
「その為にお話したのですわ。フィシェル様、一度王宮魔導師塔へ行ってみませんか?」
「魔導師塔……」
「リチャード・リル・リグトラント殿下に、相談してみてはいかがかと思いまして……エドワード様にお話しいたしましたら、既にリチャード様は魔力視についてご存知とのことでした」
「あ、そうなんですね……それなら」
僕が了承すると、アーニアはにっこり笑って手筈を整えてくれた。
十日ほど後に、ルドラが転入した騎士学校で全学年合同の訓練試合の大会があるらしい。
エディはその本戦を視察する公務があるそうなのだ。僕はエディの半身として同行する。王都から出るわけではないので、危険もそう無いだろうとのことだった。
その日の午後、僕はエディと共に魔導師塔を訪れていた。リチャード様には限られた人物しか会うことができないそうで、侍従たちは付いてこられない。僕はレアザへ迎えに来てくれたエディに手を引かれ、ここまでゆっくり歩いてきた。
明るい灰色の石造りの塔はとても大きく、僕の目では上の方まではっきり見えないほど高い。この国は魔導師の数自体が多いので、彼等が暮らせるようにする為にかなり広く作ったそうだ。この国で一番高い建物らしい。
エディに案内してもらいながら、昇降機に乗って最上階を目指す。旅の途中のホテルでも最上階に泊まることは多かったけれど、こんなに高くまで上ったことはない。外が見える訳でないというのに……何となく不安になり、僕はエディの腕にしがみついた。
「……どうした?」
「あ……いえ……た、高いなと……思って」
「怖いか?」
「もし、今昇降機が壊れたら……助からないなって」
僕がそういうと、エディは笑った。
「フィル……誰の隣にいるか分かっているか?」
ぎゅ、と手を握られて、僕は驚いてエディを見た。
「エディは……確かに、なんとか出来ちゃいそうですね」
「ああ。突然昇降機が墜落したり、塔が折れたりしても、何も問題はないな。すぐにフィルを抱えて地面に下りられる」
本当に簡単そうに言うので、僕はエディの手を握っている間は何でも安心できそうだと思った。
僕も……エディと同じ色になれたら、できることが増えるのだろうか……そう頭に浮かんで、思わず口元を押さえる。良かった、声には出してなかったみたいだ。エディが普段衝動を堪えているのだと理解したので、最近は僕も余りエディを惑わせる言葉を言わないようにしている。
毎日ではないが、エディがレアザに泊まってくれる時は身体を重ねているので……多分もう、お互い分かっているはずだ。いや、そもそも分かっていなかったのは僕だけだったみたいで……
心配してくれていたラロとアーニアにエディの気持ちを思い知らされた報告すると、二人ともあからさまにホッとしていた。よくよく話を聞くと、僕たちが余りにも擦れ違ったままでいるようなら、アーニアから伝えてもらう事になっていたようだった。
……どうもルストスも気遣ってくれていたらしい。以前尋ねたときは「閑吟として言えることは何もない」と言っていたけれど、王都を出る前に「友達としてならちょっとくらい口出してもいいよね!二人の邪魔をするわけじゃないし……そのうち気付くと思うけど、念の為!」と、侍従たちに色々と言い含めていたようなのだ。
あの時はまだ知り合ったばかりだったとはいえ、僕も最初から友達として相談していれば話が早かったのかもしれない……
僕はリチャード様の部屋の前で緊張して待っていた。最上階は廊下と昇降機のある小部屋以外は全てリチャード様の部屋になっている。
明るい灰色の壁石が何となくほんのり光っているように見えて、僕は目を瞬かせた。リチャード様の魔力……だと思う。それが張り巡らされているらしかった。まるで入る者を選ぶかのように、この部屋をぐるりと取り囲んでいる。
「やあ、待たせたね」
やがて扉が開くと、僕はそっちに釘付けになった。リチャード様を見て驚愕に固まってしまう。僕やエディも精霊に愛されている方だし、顔も整っているが……リチャード様は正しく全身どっぷりと精霊の愛に浸かっている様な容姿だった。僕は半分オルトゥルムの血が流れているはずなのに、精霊国民としての半分の方がリチャード様のことを全力で羨ましいと叫んでいて、胸が苦しくなる程だった。
流れる美しい金色の長髪と輝く瞳、薔薇色の唇……肌は僕より当然血の通った色だけれど、透き通るような……そんな色合いで……僕は完全に魅入っていた。
「フィル……大丈夫か?」
「ふふ……フィシェル、そんなに見つめられては、わたしが君のエディに嫉妬の炎で焼き殺されてしまう」
こ、声も……背筋がぞわりとする程良い音をしていて、僕は思わず震え上がった。
「兄上……」
「ははは、エドワード。本当に可愛らしい白兎じゃないか」
確かに会う人が皆こんな調子になってしまうのなら、人を選んで会わなければならないのかもしれない。僕は納得して口を開いた。
「だから……結界が必要なんですね……」
僕が壁石を視ながら言うと、リチャード様はニヤリと笑った。僕は挨拶をすっ飛ばしてしまったことをようやく思い出し、慌ててエディの手を離してお辞儀をした。
「も、申し遅れました。至純のフィシェル・フィジェットです。いつもベールや衣服をありがとうございます」
「こんにちは、フィシェル。わたしはリチャード・リル・リグトラント。この国の第一王子で、今は要の王宮魔導師をしている」
要の王宮魔導師……その言葉は今までの勉強の中で聞いていた。王都を囲む結界を組む中心人物のことだ。魔力は当然他の人間からも提供はされるが、別々に発動させるものとは違い、結界という一つの効果の大きな魔法を作り上げるにあたり、魔力色が過度に濁ってはいけない。その為に魔力量が多く、魔導師としての資質が高い人間が一人中心となり、王都の結界を編み上げているのだ。
僕はリチャード様の中から溢れるような淡く明るい黄色を視て驚く。光の魔力色の濃さはエディの方が上かもしれないが、リチャード様の魔力は王都の結界やこの部屋に張り巡らされた別の結界に吸われて尚全身から溢れていた。とんでもない魔力量だ。
「おや、フィシェル……今わたしを視たのかな?」
「あ……すみません……勝手に……」
そう言いかけたものの、何故わかったのだろうかとハッとして、言葉に詰まる。
「瞬きをしてピントを合わせているんだろう?そうすると、瞳孔が少し小さくなるね。どこか明るい遠くを見ているかのように」
僕が引き続き言葉を失っていると、リチャード様はふっと笑って、僕たちを部屋の中へ通した。固まる僕の手をエディが引いて、ソファに座らせてくれる。
「くっくっ……フィシェル、顔に書いてあるよ。驚き過ぎて言葉が出ないとね」
「あ……その……はい……」
座った席には既に温かいお茶が用意されていて、侍従たちがまるで僕たちが見えていないかのように機械的に頭を下げて控えて行く。僕がそれを不思議そうに眺めていると、リチャード様が口を開いた。
「……目に映るものは全て光の領域だ。このお茶から湯気が出ているのも、カップが白いのも、全て光が等しく当たり、それを観測をしているから」
僕は思わずお茶のカップに視線を落とした。確かに明るい場所で視界に入れて初めてそれらを観測できていて……そうすることでようやく、その物体を理解することができているのかも……?
「使用人の彼らには、わたしたちを観測することが出来ないようにしてあるんだ。そうすると彼らにとってわたしたちは、確かに此処にいるはずなのに、此処にはいなくなってしまう。魔法で認識を根本から断っていると、姿も見えない上に、何故か声も聞こえなくなるのだから、不思議だよね」
わ、分かったような、分からないような……
話を聞く限り、僕の姿を隠す術の遥か上位に位置する技術のようで、僕には理解の及ばない領域だ。
僕が神妙な顔をして頷いていると、リチャード様は口角を上げてエディに視線を移した。僕も釣られてエディを見上げると、呆れたような顔をしていて思わず目を瞬かせる。
「兄上……この間も、そうやって説明して下されば良かったのに」
「だって、フィシェルに意地悪をしたら可哀相じゃないか」
「俺に意地悪をしたという自覚はあるんですね……」
「ふふ……では、エドワードをからかったところで本題に入ろうか。魔力視で酔わないようにしたいということだったね」
エディはリチャード様にため息をつきながらも、僕に向かって頷いた。
「大丈夫。兄上は性格は良くないが、有能な人だ」
「……リチャード様、よろしくお願いします」
「ああ。ではまずは、こちらに来てもらえるかな?目を見せてくれ」
「は、はい……失礼します……」
僕が立ち上がって向かいのソファのそばへ移動すると、リチャード様に視線で座るように促された。腰掛けると、リチャード様が僕のベールを上げる。この部屋は随分と明るい。あ、と思った時には遅かったが……特に眩しくはなくて驚く。ベールが上げられる瞬間に、部屋が少し暗くなったようだった。
リチャード様はその美しい目を細めて、僕の顔を両手で挟み、瞳を覗き込んできた。僕は瞬きこそしたが、艶麗な金色から目を逸らすことが出来なかった……その状態で、魔力にピントを合わせるように言われる。合わせると、また戻すように言われた。
「ふぅん、なるほど」
何度か繰り返し、ようやく僕は解放された。まだ心臓がドキドキ言っている。エディのときとは違う。単純に精霊の加護と見た目の美しさが強烈で、心が勝手に動揺してしまうのだ。
エディを見慣れた今の僕でさえこうなるなんて……もしノルニにいた頃にいきなりリチャード様を目撃していたら、目が潰れていたんじゃないかとすら思う……
自分でベールをなんとか戻し、僕は胸を押さえてゆっくり息を吐いた。エディを見ると、同情的な視線が投げられる。僕の眉尻がへにゃりと下がった。エディは静かに頷いた。
……リチャード様の前では皆僕のようになるらしい。
僕たちの視線の会話を気にする様子もなく、リチャード様は懐から手帳とペンを取り出しつつ話してくれる。
「……ベールの魔法に細工をすれば、おそらく酔いは軽減されるだろう。フィシェルの身体に直接魔法を使う訳にはいかないから、完璧に酔いを無くすことは現状不可能だが……活動時間を延ばし、疲労を和らげることはできる」
リチャード様は机の上に置いた手帳に何かを書き付けながら呟いた。僕には良く分からないけど、恐らく魔法の内容のメモなんだと思う。
「そもそも、フィシェルは目の中も光に弱い。恐らくその為に、魔力色が目に雪崩込んでくると脳内で処理が追い付かなくなり、酔ってしまうのだろうな。目の疲れだけの問題ではないんだ」
「では兄上、ベールにどのような魔法をかけるのですか?」
「……今フィシェルの目の動きは覚えた。それに合わせて、フィシェルの目に入る魔力色を和らげる。目から入る情報を減らすのだ」
「まさか、オルトゥルム国民に魔力がどのように視えているか、兄上は理解しておられるのですか……?」
「ああ。一部のオルトゥルム国民の特徴と聞いたが……どうやら目の中に、我々とは別の感覚器官があるようだな。魔力を見る為の、層……いや膜のようなものがあり……そこに魔力が映っている。ならば目に入る光の調節でどうにでもできるはずだ。つまりわたしの扱う魔法の領域というわけだな。かなり難しいが、わたしならば可能だ」
エディは納得したように頷いた。僕は……完璧に理解できたかと言われると疑問が残るが、今回のリチャード様の説明にはなんとかついていくことができた。
「一度、今まで作成したベールを全て預けてくれ。かけてある魔法を調節する」
「分かりました。直ぐに持ってこさせます。兄上、本日はありがとうございました」
エディはそう言って立ち上がり、僕をリチャード様から引き離した。リチャード様は目を丸くしている。
「お前……そんな露骨な」
「エディ……?」
「…………まあいい。フィシェル」
リチャード様が話を切り替えるように僕の名前を口にしたので、緊張してしまう。
「は、はい。なんでしょう、リチャード様」
「またいつでもおいで。エドワードの愚痴をきいてやろう」
僕は思わず首を傾げた。
「エディの愚痴なんて……ありません」
「フィル……」
「くっくっ……そうきたか。仲が良いようでなによりだ。まあ目のことでも何でも相談にくるといい。わたしは……特に戦いが終わるまではここから殆ど動けないが、魔法に関する知識ならフィシェルの役に立てるだろう」
「はい!ありがとうございます、リチャード様」
笑みを浮かべるリチャード様に見送られながら、僕たちは魔導師塔を後にした。
その後届けられたベールはとても良くできていた。僕はこれがお披露目の時にもあればと思ったが、このベールも万能ではない。あくまで軽減なので、お披露目のような大勢の人の前で長時間……という状況下では多少マシになる程度で、あの日はどの道倒れていただろう。
しかしあのお披露目をしたことにより、世間には僕の存在が知れ渡りつつあるようだ。旅の間に噂になっていた至純の存在が事実だと分かり、太古の精霊に匹敵する力を持つエディの隣にその至純の僕がいることで、人々は大いに喜んでいると……そう聞かされた。
ルシモスが言うにはそれがルストスの狙いで、王国最強の守り手に半身がいるとなれば、仮にヴォルディスとの戦いを民に明かしたとしても世論に反対され難くなるし、オルトゥルム側も精霊国に僕を盗られたままにはしておけないと動き始めるだろうとのことだった。染められては堪らないと、ヴォルディス自身を誘い出すことができるかもしれないと……そう言われた。
王都へ来てから約ひと月。エディが指揮する軍も準備が進み、部隊の編成が終わった今は訓練を重ねているそうだ。しかし困った事に、とある部隊の火力が足りないらしい。
竜鱗は断魔材である上に、耐熱性にも優れていて、火を扱う部隊の火力がどうしても足りないそうなのだ。当然エディが力を貸せば足りるだろうが、最高戦力であるエディがずっとそこにいるわけにもいかず、やはり部隊ごとにしっかり竜と戦えるようにしなければならない。
それを騎士学校へ向かう馬車の中でエディから説明されながら、僕は……火と聞いて、ルドラの事を思い出していた。
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