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番外編『精霊国の双紅蓮』前編 ※
夏季休暇が終わり、新学期が始まって早々これだ。
「ッ大人しくしろよ!」
「止めろ……!ボクに触るな!魔力が少し欲しいだけなら、ここまでしなくたって……」
「今日は授業でだいぶ減っちゃったからさぁ、アレビナからはたっぷり魔力を分けて欲しいんだよね。お兄さんの許可も出てるし」
アレクス兄様の名前を出されて、ボクは堪らず舌打ちをする。こんな犯罪紛いの行為に、どうすることもできないなんて……
抵抗したもののやはり力では敵わなくて、結局ボクは目の前の男に良いように組み敷かれてしまった。
独特の魔導文明が発達する神秘の国、精霊国リグトラント。言霊を使う他国の魔術師達とは違い、リグトラントの魔導師は魂と魔力の色で"魔法"を使う。魔力の色で使える属性が決まり、魂の性質で使える種類が決まる。優しい魂の持ち主は回復や防御に向いているし、強い魂の持ち主は攻撃が得意だったりする。
そして魔力を交わらせるとき、同系色の色でなければ魔力色が濁り、最悪死んでしまう。
リグトラント国民は他者を回復するときや魔力増幅の為に相手と魔力を通わせる時、相手の色と多かれ少なかれ混ざり合う。だから治癒魔法の使い手は各属性毎にいるし……こうやって、同属性から魔力を奪っていこうとする人間もいる。無理にやることは当然犯罪だが、ボクは訳あってこの学校内に味方がいない。自分で身を守れる力もない。
濃淡以外同色でなければ摩擦痛が起こるのに……相手が言うにはボクは魔力の色が薄く、殆ど摩擦痛がないらしい。勿論ボクが持つのと同じ赤系の火の魔力の持ち主に限るが、ボクの魔力は相手に痛みをほぼ与えない。ボクだけがいつも痛いのだ。完全な同色ではないとはいえ、同じ赤系統の魔力なのでそこまで鋭く痛むことはないが……やはりされて嬉しいことではない。
リグトラント王国立騎士学校には、騎士科と魔導騎士科がある。基本的に華奢な体付きの精霊国民の中にも膂力に優れる人物が生まれることがあり、貴族や富豪の子供達でそういう人間は大抵この学校に入る。
その中でも魔力が多いものは魔導騎士科に行く。
ボクの名前はアレビナ・フレディアル。代々火の魔力を持ち、膂力に優れる人間を多く出すフレディアル伯爵家の人間だ。
ボクは華奢な一般的リグトラント国民な上に、魔力色が薄い為なのか……王宮魔導師にギリギリなれない程度の魔力量はあるのに、授業で大して魔法を使うことができないという……フレディアル家の中でも相当な落ちこぼれだった。
思えば火属性の為に家でもほぼ魔法を使ったことが無かった。それに、授業で相手を攻撃することはどうにも慣れない。
遠く離れた蝋燭に正確に火を灯したり……そういう器用なことはできるけれど、薄い魔力の為に威力が弱すぎて戦闘では使い物にならない。
魔力は濃すぎると黒ずみ、身体を蝕む毒となるけれど、ボクのように薄くても魔法の効力が弱くなるので、何事も程々が一番だ。
魔力量はあってもこの薄さでは純粋な魔導師は難しそうなので、せめて魔導騎士として強くなりたいと今年の春から学校に入ったのに……待っていたのは変わってしまった兄様と、兄様の知り合いに魔力の補充係として身体を弄ばれる日々だった。
「ア、ぁ……も、やめ……」
自分で流そうとはしていないけど、流石に中に直接突っ込まれたら勝手に出て行ってしまう。こちらは腹の中の鈍痛に耐えながら、自分勝手な抽送をしてくる相手を精一杯睨んだ。相手はそれに気付くとニヤリと笑ってボクの唇に吸い付いてくる。堪らず目を瞑った。ずず、と唾液とともに魔力を啜り上げられて、魔力を放出する快感にキツく閉じた瞼の裏で赤い火花が散る。
大事な何かを失うような、心許なくなるような……そんな感覚が気持ちいいなんて、精霊国の人間は狂ってる。
学校に入ってから最初の方こそ抵抗したが、ボクは大抵の相手に力で敵わない上に相手から魔力を流されると痛いので、最近ではもう組み敷かれたらある程度素直に魔力を流すようにしていた。同系色だし、相手の魔力を押し返すようにすれば、そこまで強く痛むことはない。
この学校にいる間……精々三年程度を我慢すればいいのだ。そうすればボクは一人で自分の身を守れるようになって、あの家を出て行くことができる。兄様から、逃れることができる。
この国の何処かには濃度こそ違えどボクと全くの同色で、お互いに痛みもなく魔力交換の効率が完璧な"半身"になれる人間もいるはず。けれどボクは騎士学校で……恐らく誰よりも爛れた生活をしているというのに、未だにそんな人間には会ったことがない。いつも一方的に搾取されてばかりだ。
そして時々、こんな勘違いをされることすらある。
「アレビナ……!なぁ、気持ちいいよな?お前も……だってこんなに相性がいいんだから!」
そう思っているのは、精霊国民としての本能に浮かれている相手だけだ。他人の魔力が痛みなく入ってくることは、ボクらリグトラントの人間にとって愛の囁きにも等しい。けれどそれは向こうにとってのみの話なので、ボクは痛いと呻いた。すると相手は怒ったように動きを強める。腫れぼったい後孔が鋭い痛みに引き攣った。
「ぃ、痛……ぁ、あ!」
「嘘付け……こんなに美味そうに飲み込んでるだろ……!中で出してやるからさあ、俺の色になれよ、アレビナ!」
「や、やめ……ッそれだけは、止めろ!」
ボクが慌てて言うと、相手は舌打ちをした。
精液には大量に魔力が含まれる。そもそも皮膚接触より粘膜接触の方が効率がいいのは、体液に魔力が多く含まれるからだ。
激しく抵抗すると、相手が怒りに燃えた。あまりに強過ぎる感情は、魔力を瞬間的に濁らせることもある。じわじわと内部で感じる痛みが強くなっていって、ボクは全身に冷たい汗をかいた。今注がれたら、きっと鈍痛では済まない。抵抗すれば怒らせると分かっていても、予想される痛みからは逃げたくて仕方がない。
「あ、ぅ……ゆるして……」
酷い悪循環に陥ってしまって、ボクは混乱して泣いた。
そんなボクの言葉を当然のように無視した男が、中でぶるりと震える。じわりと激痛の元が広がったその瞬間、ボクは余りの痛みに叫んでいた。
「い……ッぁあああっ!!やめ、ア、あ!!」
「う、ぐ……っ」
「やめて!抜いて!痛ッ痛い……っ!」
叫んで暴れるボクのただならぬ様子に、達して我に返った相手は慌てて自身を引き抜くと、衣服を素早く直し逃げる様にボクの部屋から出て行った。
寮は魔力の色毎に棟や階層が分かれていて、共同生活の中で不意に濁ったりすることのないようになってはいる。
ボクは今日まで同室者が居ない所為もあって、自分の部屋で都合良く火の奴らに組み敷かれる事が多かった。
「いッ、ぁ……あ…………」
「何だ今のヤツ……って、オイオイ……マジかよ……」
「っう」
ボクがベッドの上で腹を押さえ、横向きに丸まっていると、入り口から知らない声がした。ボクを見て急いで部屋の中に入り扉を閉めたのは、制服に大荷物のめちゃくちゃガタイが良い男だった。長い赤茶の髪と精悍な顔立ちの男前ではあるが、目付きが非常に悪い。
ボクは痛みに耐えながら呻くように言った。
「ま、さか……同室……?転入、生……?」
「部屋が間違ってなければな。それよりオマエ、大丈夫か?」
「……い、痛くて……動けそうに、ない……ごめ……」
「痛くて……?ってことはさっきの奴にやられたのか?……マジで終わってんだなこの学校……」
その男は呆れたように言うと、荷物を空いている方のベッドへ放り投げ、中から白布の手袋を出して身につけた。授業で使うこともある、魔力を通さない断魔材の手袋……ボクは意図を察して瞠目する。
「そ……そんな事は……」
「うるせェな、黙ってろ」
「あ!」
男は体付きに見合った力でボクの脚を割り開くと、腫れた後孔へそっと指を挿れてきた。
「ひ、ぃ……っ!あッ!」
「魔力流せ。押し出すようにしろ。こっちは手袋してっから。つーか腫れてんな……切れては無ェみてェだけど……自己治癒もできそうならやった方がいい」
「う、うっ」
ボクは呻きながらも言われた通りに魔力を流し、中で混ざろうとする微妙に色の違う魔力を体の外へ追いやった。腫れを引かせるようイメージもしてみる。言われた通りにしたのは、羞恥より何より、腹部の痛みの方がつらかったからだ。そうしていると精液が押し出されて行くような感覚がある。男の指はそれを優しく掻き出していく。
「あ、あ」
そうされていると、痛みと不快感だけではない妖しい感覚がしてきて、ボクは切ない声を上げてしまう。こんな、初対面の男に……あられもない姿を晒してしまうなんて。ボクが脚を閉じようとすると、有無を言わさぬ力でそれを押さえ付けながら、男はボクの前にまで手を伸ばした。
「出せばいいだろ。そのくらいの方がさっさと楽になる」
「で、でも……」
「今更恥ずかしがってんじゃねェよ。こんなの、ただの治療だろ」
この男は何を考えているのだろう。同室だから助けようとしているにしても、何もここまで……しなくても。
「あ、ァ……いっ……ぁ」
「……そういやオマエ、名前は?」
ボクは瞑っていた目を開けて男を見た。目付きが悪く、ともすれば常に怒っているのではないかと思えるほどの人相だが、今自分が感じている男の手付きは泣きそうなほどに優しい。
「アレビナ……っあ!」
家名まで呟こうとしたのに、男の指が内壁を強く擦ったので続きは言葉にならなかった。
「フーン……オレはルドラ。訳あってこの学校に転入してきたんだ。よろしくな、アレビナ」
「あ、ぁ!ンッ!」
……初対面の男に尻を触られて、名前を呼ばれながら達するなんて……我ながらどうかしてる。
彼がルドラ・ノルニと名乗ると、周り中が彼を馬鹿にした。ノルニ村と言えば知らない人間がいるほどのド田舎で、最早田舎を通り越した秘境レベルの場所だ。少なくとも、王都に住む大勢の認識はそうだった。それが家名の代わりに告げられた時点で、魔導騎士科はほぼ全員が彼を見下した。
騎士学校は生徒数もさして多くなく、貴族や富豪の子供しかいないので、庶民で田舎出身のルドラは自己紹介の挨拶の時点で相当目立っていた。おまけにパッと見て分かるほど体格が良く、授業が進む毎に段々と魔力も多い事が知られていったので、今日一日だけでかなり妬まれるようになってしまった。
ボクもこの学校に向いていない体付きな上に、身体を同属性の連中に好き勝手されていると知れ渡っているので、他色からは不快がられ、当然のように無視されたりもしているけれど……ルドラはボクの比じゃなかった。
「ハァ……めんどくせ……」
「……ルドラ、大丈夫?」
「中身全部燃やされた」
「え……っ」
終礼の後、教師に呼び出されていたルドラを案内し、誰もいない教室に二人で戻ってくると、ルドラの荷物置きは鍵が破壊され、中も黒焦げになっていた。
ボク達のいる魔導騎士科は全員が優れた魔導師でもあるので、やろうと思えば可能なんだろうけど……まだ初日なのにこれだ。
とりあえず明日から教科書はボクのものを見せるとして……
「先生に報告しないと」
ボクの提案に、ルドラは首を横に振った。
「こういう時は真っ先に連絡しろって言われてる先があっから」
ボクは大して動じていない様子のルドラに疑問を抱かずにはいられなかった。
「……そういえば、昨日から聞き損なっていたけど……どうしてルドラは……その、ノルニから……騎士学校に?」
ボクの問いにルドラは苦笑すると、黒焦げになった扉を閉め、寮に向かって歩き出した。ボクは自分の荷物を持って後ろをついていく。
校舎から出たところで、ルドラはようやくボクの質問に答えた。
「……好きなヤツがいるんだけどさ」
その言葉にボクは何故かドキリとした。何もしていないのに、いや何かできるほどまだルドラのことを知りもしないのに、悪事が見付かってしまったかのような……そんな底冷えのする感覚だった。
「ソイツが王都へ連れて行かれたから、追い掛けてきたんだ。ま、今はオレの方が先に王都にいるけどな……」
そう言いながら、ルドラは目を伏せる。結局経緯の詳細は分からなかったけれど……目付きの悪い男の切なげな様子に、ボクは何故だかそれを見ていられなくて……気が付くと視線を逸していた。
ふとその先で、何人かが馬に乗って駆けていくのが視界に入る。もう夕方なのに、今からどこへ行くというのだろう。
赤の寮の入り口からも、何人かが飛び出していく。ボクたちは顔を見合わせながら人混みを避け、聞こえてくる会話に耳をそばだてた。
「じゃあ本当にエドワード様が王都に帰って来られたのか!?」
「そう!しかも本物の至純様を見付けて連れてきたんだって!今居住区から馬車でお披露目をしているって……」
会話を聞いて驚く。
「……至純様が……見つかったんだ……」
従兄弟のエドワード兄様がずっと至純様を探しているというのは知っていた。フレディアル家の人間であるフラーティア叔母様が王族へ嫁ぎ、多重霊格であるエドワード兄様が生まれた為に我が家はずっと浮足立っているから、至純様が見つかればいいのにという話は何度も何度も聞かされていた。
お祖母様が貴族院に根回しをして圧力をかけているらしく、至純らしき人が見付かれば問答無用で迎えを出させているそうだ。それはエドワード兄様を毎回振り回すということなのに……今回もきっとそうされて……そして、ついに本物が見つかったらしい。
エドワード兄様が騎士として頭角を現し始めてからのフレディアル家では、力も弱く魔法も大して使えないボクへの風当たりは年々強まっているけれど、それでもエドワード兄様はずっとボクの憧れだった。いや、騎士学校にいるような人間なら、全員が憧れているのかもしれないが……
ルドラはエドワード兄様のことを知っているのだろうか?そう思ってルドラを見上げると、表情が余りにも険しくてボクはぎょっとした。自分の荷物が燃やされた時でさえ動じていなかった男なのに。
「アイツ……絶対また倒れるだろ……つーか予定より相当早くねェか?」
「ルドラ?」
「……なァ、アレビナ。オレも見に行きたいんだけど……道分かるか?」
「え……と……わ、わかる」
一度ボクの荷物を部屋に放り込んでから、再び外に出る。馬小屋に向かって、ボクの馬を引き取った。ルドラはまだ自分の馬がいないらしい。ボクは情けないことにかなり軽いし……二人ぐらいなら……なんとかなるかな?
「……良し良し。ちょっと重いけど、行けそう?ニース」
ボクの問いかけに、賢い馬は元気良く嘶いた。ルドラは馬に乗ったことがあると言うので平気だろうと思い、体格の問題から後ろに乗ってもらうことにした。馬は後ろの方が揺れる。慣れない人間はできるだけ前に乗せたほうがいいので、ルドラが経験者で助かった。二人用の鞍を管理人さんに借りてニースに跨ると、ボクたちは学校を飛び出した。
騎士学校は貴族が住む区画の中でも、奥まった一角にある。かなり端の方で、精霊の森の近くでもある為、エドワード兄様が通ると思われる中央大通りまでは少し走らなければならない。
ボクは王城寄りに馬を走らせた。最悪王城の門近くで待てば確実に見られるだろうと思ったからだ。それに余り騎士学校の人間が多くても困る。気が急いている生徒たちは軒並み早く見ようと商業区の近くへと向かっているのが見えていたので、それを避けることにした。
王城門の近くでは、未だ何人かの貴族が談笑しながら待っていた。それで間に合ったと判断したボクたちは馬を降り、人気の無さそうな隅の方で隠れるようにその時を待った。
やがて二頭の白馬が引く豪奢なキャリッジが近付いてきた。馬車は屋根なしで、顔を見せながらかなりゆっくりと進んでいるようだ。
……久しぶりに見るエドワード兄様は、遠目からでも相変わらず格好良かった。その肩に凭れ掛かり、目を閉じて眠っている様に見えるのは……暗い色のベールを身に着けていても分かる。白い長髪と同じくらい白い肌……唇だけが紅い。ひと目見て至純様なのだと納得させられる容姿の美少年だった。
ふと気になって隣のルドラを見上げると、食い入るように至純様の方を見詰めていた……と思う。遠くの人間を見ているので、どちらを見ているのかなんて殆どボクの直感だったけれど……その表情は相変わらず険しいが、どこか悲しげにも見えた。
二人のお姿が見えると周りの貴族たちの話し声が大きくなり、ボクたちにも聞こえてくる。
「目を閉じられているけれど……可愛らしい方よねぇ。お疲れなのかしら?庶民にまで見せなくても良かったのではなくて?」
「まあそう言ってやるな。これも必要なパフォーマンスなのだろう。しかしまさか至純様が本当に見付かるとはな。熱砂の騎士王子と半身になって下されば、我が国も益々安泰だ」
「ところで、至純様は何処で見つかったのかしら?お触れが出てからもう随分と経っているでしょう?」
「ノルニ村だそうですわよ。あそこも相当辺境ですから……」
「まあ、あのド田舎ですって?それで二年も……?」
貴族たちが噂する内容を聞いて、ボクの表情も険しくなった。
「ノルニ……って……」
ルドラの言葉を思い出す。
『……好きなヤツがいるんだけどさ』
ルドラは馬車が近づくと、逃げるように後ろを向いて歩き出した。
『ソイツが連れて行かれたから、追い掛けてきたんだ』
まさか、それって……ボクが慌ててニースを連れて追い掛けると、ルドラは中央大通りから見えない脇道に入り、鉄柵に背を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。こんなところで座っては行けない……そう言おうとして、言葉を飲み込んだ。
先程の二人は、それは仲睦まじく見えた。凭れ掛かる至純様は少し青褪めていたが、エドワード兄様に体重を預けて安心したように寄り添っていたし、兄様もそれは優しい顔をしていた。あんな顔、今まで見た事がない。
「ルドラ……」
「……フィーはいつかアイツを選ぶだろうなって、分かってた……」
「……フィー?それ……至純様のこと?じゃあ、アイツって……」
この国の王子様に対して酷い言い草だが、ボクはそこから先の忠告を口に出来なかった。見知った顔が道の向こうから歩いて来たからだ。
「ごきげんよう」
「……君は……アーニア嬢」
「アレビナ様、お久しぶりですわね」
アーニア・シーメルンは、女性でありながら恵まれた体格と魔力を持つ長身の美人だった。ボクなんかよりも余程騎士候補生として才能があるけれど、女性であることもあり、今日のルドラの様に陰湿なイジメを受けていた。夏季休暇が明けてからは姿を見なくなって、学校を辞めたらしいと聞いたときは……残念に思ったものだ。
「学校、辞めてしまったんですね……」
「ええ。わたくし、他にやるべき事が見付かったんですの」
口元を隠し、ふふ、と笑うアーニアは、あんな学校にいたときより随分と元気そうに見えた。素直に羨ましかった。彼女の将来の選択肢が多い事も、騎士の道の優先順位が高くないことも。
アーニアがボクから視線を落とした。そこには相変わらず座り込んでぼんやりとしているルドラがいる。
「……あなたが、ルドラ様……でよろしいのかしら?」
ルドラはちらりと視線をアーニアに向け、ぶっきらぼうに呟いた。
「……そうだけど」
「初めまして。わたくし、アーニア・シーメルンと申しますわ」
挨拶をされたというのに、ルドラは返事もせず興味が無さそうに視線を逸らす。アーニアが侯爵令嬢だとは知らないのだろうが……流石にどんな相手だろうとその態度はどうかと思う。しかしそれを怒るでもなく、アーニアは笑顔のまま続ける。
「あら、ルドラ様。わたくしと仲良くしておいて損は無いと思いますわよ?わたくし、フィシェル様のお友達で、これから専属の侍女になる予定の女ですから」
その言葉にルドラのみならずボクも目を見開いた。ルドラがフィーと呼んでいたし、きっとフィシェルというのが至純様のお名前なんだろうと察しがつく。いつの間にアーニアはそんな立場になったのだろう。
「……そんなヤツが、オレに何の用だ?」
言葉遣いが余りにも酷いので、ボクは思わず額に手を当て、そのままずり下げて目を手のひらで覆った。これでは田舎者と馬鹿にされても文句を言えない。
「わたくし、フィシェル様のおそばにいる閑吟様から頼まれて、あなた方に囁きを持って参りましたの」
「かんぎん……?なんだそりゃ」
「はぁ……あのね、ルドラ……閑吟っていうのは」
閑吟というのは、この国で最も尊い役職の一つである。彼らには精霊の言葉が聞こえ、それを理解する事ができるらしい。精霊から人に向けられた尊い助言や予言を伝えてくれるのだ。閑吟様によって能力に差があるらしいけれど、どんな力量であれ、閑吟という役職を持つ人に直接指名されて囁きをいただけるなんて、精霊と共に生きるリグトラント国民にとってこの上ない栄誉なことだ。
そう説明してやると、ルドラはあろう事か鼻で笑った。
「胡散臭ェー……」
「お、お前……!なんて事言うんだよ!」
「うーん……やっぱりわたくしでは駄目ですわね。ルストス様」
「え……?ルストス様って……まさか……」
ルストス・ラートルム様といえば、この国最高位の閑吟の名前だ。小さな精霊の声も逃さず聞くことができ、殆ど全ての言葉を理解しているという……この国の生きた宝のような人だ。ボク達とそう歳が変わらない筈なのに、途方もないほど国に貢献している。
そんな名前を出されてボクは激しく動揺した。その辺の並の閑吟の助言とは訳が違う。彼が伝えるのはまさしく国の将来に関わることなのだ。
アーニアが呟くと、風の小鳥がふわふわと空から舞い降りて、あろう事かボクの頭の上にとまった。何故、そこに……
『やあ。直接来られなくて悪いね。正真正銘、閑吟の最高位、ルストス・ラートルムです。君がルドラか。そしてこっちがアレビナだね。アレビナは夜会で会ったこともあるかな?久しぶり』
「お、お久しぶり……です……」
「ハァ……」
ルドラは初めこそ驚いていたが、最早興味が無さそうに小鳥から視線を外していた。ボクは信じられない思いでルドラを見る。事の重大さが何も分かっていないな、こいつ。
しかも遠隔で会話をできるようにする魔法なんて……ルストス様は魔導師としてもかなり優秀らしい。
『早速本題だけど、約ひと月後にある……騎士学校での訓練試合の大会に、君たち二人がペアを組んで出て欲しい。もちろん優勝目指してね』
「えっ!?」
驚いて視線を上に向けたが、頭上の小鳥は見えるはずもない。
閑吟の言葉がこんなにも具体的で直接的な助言だなんて、噂でも聞いたことがない。
それに……大会で優勝だって?そんなの無理に決まっている。ルドラはともかく、弱すぎるボクには難しい。
「で、でも……ボクは……」
ルドラは見るからに才能があるから、ひと月で予選試合に出られるようになるのかもしれない。しかしボクはどうだろう。薄い魔力で大した魔法も使えなければ、力もない。
『アレビナ。君は強くなりたいんだろう?何も自分で戦うだけが試合の全てじゃない。君には君の戦い方がある』
「ボクの……戦い方……?」
『ルドラ、試合はフィシェルも見に来るよ。話したいことがあるなら優勝して、エドワード様から講評をもらう権利を得るのが一番いい。簡単におそばへ行ける』
小鳥がそう言うと、ルドラはため息をついて立ち上がった。
「お前、あの眼鏡の親戚か?ラートルムって言ったよな」
『ルシモス・ラートルムなら確かに僕の兄だね』
ボクは冷や汗をかいた。ルドラには一刻も早く礼儀作法を叩き込まなければ。
「オマエの兄貴に……教科書とか鞄とか……必要な一式全部燃やされたって言っといてくれ。一回分なら予備はあるが、今日の感じだと明日にでも無くなりそうだ」
『あはは!もうやられたんだ!了解、伝えておくよ』
小鳥は笑いながら飛び回ると、またボクの頭の上にとまった。だからどうしてそこなんだ……
「……フィーは大丈夫なのか?」
『フィシェルはちょっと熱が出るだろうね。長旅だったし……でも大丈夫だよ。"どちら"の疲れも休めば回復する』
その言い回しにボクは内心で首を捻ったが、ルドラは納得したように頷いた。
「分かった。試合に出て、勝てば良いんだな」
『アレビナと一緒にね』
「オマエは良いのか?」
「ボクは……ルドラの足手まといになると思うけど」
立ち直ったルドラに視線を向けられ思わず俯くと、頭上の小鳥が眼前を転がり落ちて行って、ボクは咄嗟に手を出して小鳥を受け止めた。
風の小鳥は澄んだ薄緑をしていて、ボクのことをじっと見上げてくる。
『君たちが組むから意味があるんだ。理由はそのうちわかるよ。……ああ、もう馬車がくる……そろそろ時間だ。アーニア、後をよろしく』
「あ、待っ……」
ボクが何か言う前に、小鳥はとろりと空気に溶けて消えてしまう。ボクらを見守っていたアーニアがため息をついた。
「言いたい事だけ言って消えてしまわれましたわね……とにかく、閑吟様のお言葉を受け入れるかどうかは、あなた方の自由ですわ。受け入れた方が良い事があるとは、言っておきますけれど」
「なんで分かる?」
「わたくしがフィシェル様とお友達になれて、専属の侍女になって……護衛としての訓練まで個人で受けられることに決まったのは、ルストス様のお言葉を聞き入れたからですもの」
ボクは驚きつつも納得していた。アーニアがあれだけ酷いイジメを耐えきったというのに夏季休暇のタイミングであっさり学校を辞めてしまったのは、閑吟の囁きがあったからだったのだ。
その言葉はルドラにも少なからず響いたようで、最終的には大人しく頷いていた。相変わらず表情は険しかったけれど、悲しげな雰囲気は無くなっていた。
……その事が嬉しいような切ないような、不思議な気分だった。
アーニアに見送られ、暗くなり始めた街中を急いで寮に戻り、ニースを馬小屋に返してボク達は食事や入浴を済ませた。寮は基本的に魔法を使ってはいけないことになっているので、学校内より寮内の方がルドラに関してはまだ安全だった。まあやろうと思えば何だってできるので、多少マシという程度ではあるが……
寮で危ないのはどちらかと言えばボクの方だ。ボクは学校では過激なことはされないけれど、寮では平気で兄様の知り合いに物陰へ連れ込まれる。だけど今日からはルドラが一緒なので、それらから逃れることが出来ていた。ガタイがよく目付きの悪いルドラは隣にいるだけで牽制になる。
が、自室の前で堂々と待ち構えていた人物には効果がなく、声を掛けられてしまう。
「おい、アレビナ」
「に、兄様……」
アレクス・フレディアル……二つ上のボクの兄だ。エドワード兄様は従兄弟だけれど、こちらは正真正銘の兄。
兄弟の方が当然魔力の色は近いので、普通ならば魔力のやり取りを伴う治癒なども行いやすいのかもしれないけれど……ボクと兄様は色がそこまで近くはない。髪や目の色にもそれが良く出ていた。向こうは燃えるような真紅だが、ボクは薄い茶に赤が混じったような淡い色で……濃淡を無視した色だけで言うなら、ルドラの方が見た目の色はボクに近いかもしれない。それぐらい兄様は鮮烈な赤を纏っている。
膂力も魔力もある、才能溢れる人だ。
兄様はボクを連れて行こうとしたが、一緒にいたルドラがそれを遮った。
「ちょっと待て」
「……お前が、アレビナと同室になったという田舎者か。近寄るな、汚らわしい」
「もうすぐ消灯だっていうのに、なんで兄貴が弟を連れて行こうとしてるワケ?田舎者に教えて下さいませんか?」
「ふん、お前……こいつのことを知らないのか?こいつは……今は火の魔力補充役だ。自分じゃ魔力を余らせて、大して使えもしないというから……俺達が役立ててやっているんだ。邪魔をするな」
ルドラが一度ボクを振り返る。ボクはルドラに隠れるようにしながら、緩く首を左右に振った。当然そんなのは、望んでやっているわけじゃない。
「……そういうことなら、今日くらいオレに使わせてもらえません?先輩」
「……なに?」
ボクは驚いてルドラの服を掴んだが、後ろにそっと回ってきた大きな手が宥めるように触れてきたので、ボクは大人しくその背の裏に居続けた。
「……はあ。そういうことか。……田舎者に己をくれてやるなど、フレディアルの人間としては信じられんが……まあいい。自覚が出てきたというのなら、今日は好きにするが良い……アレビナ。お前の役割を忘れるなよ」
「……役割?」
ルドラの問いにアレクス兄様は鼻を鳴らし、踵を返して戻っていった。
ボクは肩から力を抜きながら、ルドラにお礼を言う。
「あ、ありがと……」
「オマエもしかして、昨日みたいなこと毎日されてんの?」
「………………」
ボクは再び俯く羽目になった。ルドラに手を引かれ、自室に戻る。自分のベッドに腰掛けても、ちっとも落ち着かなかった。返事をしなければ、せめて何か言わなければと思うのに、口を開く事ができない。助けてくれたルドラに失望されたくなかった。まだ黙っていて怒られる方がマシだとすら思えた。
「……役割ってなに?オマエがこの学校にいることと何か関係あんの?」
ボクはやはり答えることが出来なかった。ルドラは返事の無いボクを諦めたのか、持参した大荷物の中から新しい教科書や鞄を取り出していて……ボクは最初から、ルドラに対してあまり気を遣う必要はなかったのかもしれないと思い知らされていた。
ボクの助けが必要な人間なんて、特に……ここにはいない。ルドラもそうなのだ。ボクなんかが手助けをしなくとも、ルドラはすぐに学内でも頭角を現し、イジメなんて無くなってしまうのではないだろうか。
だとすれば、早めにボクと距離を置いてもらったほうが、むしろ……いいのかもしれない。同室のボクがルドラの足枷になるわけにはいかない。
そう思うと、ようやく口を開くことができた。
「ぼ、ボクは……」
口を開くと、喉がひりついていて痛かった。唾を飲み込んで何とか言葉を紡ぐ。
「ボクは、フレディアル家の中でも落ちこぼれで……兄様の魔力器になるのが一番だって家族から言われてて」
「……魔力器?」
「半身でも何でもなくて……ただ魔力を提供するだけの人間のこと。基本的に薄めの魔力の人間が、相手からの魔力を受けずに渡すだけ渡す……そう言う関係。最終的に慣らして……上手くいけば半身になれるかもしれないんだけど……でも、兄様とボクじゃ……かなり、色が遠いから」
「薄めの魔力って……それ、相手が薄まって倒れたりするんじゃねェの?」
「そんなことができるの、たぶん至純様だけだよ。薄めって言ってもボクの魔力はちゃんと赤く色付いているし……完全な透明とは違う。薄めの魔力は、同属性なら渡せる人間が多いってだけ」
ボクが言うと、ルドラは複雑そうな顔でこちらを見ていた。確かに聞かせて気持ちのいい話ではなかったかもしれない。今ならまだたった一日一緒にいただけの人間だ。不快なら部屋を変えてもらうこともできる。
そう言えたら良かったのに、ボクはその先を言えなかった。
「……オマエ、それでいいのか?」
ジッと目を覗き込むようにされて、その視線から逃れるように俯く。けれどもう遅かった。押し殺していた不満が漏れ出てしまう。
「……い、良いわけ、ない……ボクが屈辱に耐えてここにいるのは……強くなれば、魔力器になんかならなくても……一人で生きていけると、思ったから……に、兄様はそれで怒ってしまっていて……昔は、もっと優しい人だったんだけど」
「一人で……そうか……」
ハッとして顔を上げると、ルドラは悲痛な面持ちでボクを見ていた。そんな、そんな痛々しい生き物を見る目でボクを見ないでくれ。他ならぬ君が、そんな目で……
「オレが協力してやるよ。アレビナ、オレと一緒に強くなろう」
「え……?」
「オマエはオレに勉強とか……座学を教えろ。実技はオレが修めてアレビナに合った戦い方を考えるからさ」
目を瞬かせてルドラを見ると、ルドラは笑って言った。その笑顔に、何故だか泣きたくなる。
「……アレビナが、一人で生きていけるように」
ずっとそうしたいと思っていた内容なのに、ルドラに言われた言葉で胸が痛むのはどうしてなのだろう。
ボクは頷きながら、じわりと痛む胸を押さえた。
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