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蒼茫と光り3

 その夜、僕はエディ、ルシモスと……ルドラ、アレビナと共に、レアザへ帰ってきた。ルシモスに頼まれ、二人を僕のお客様として館に招いたのだ。表向きは、あまりにも見事な戦いぶりだったので、至純が食事に招待したがったとか、なんとか……ルシモスが適当に言った理由になっている。  魔導騎士科の優勝者だけ招くなんて騎士科の優勝者が可哀相だと思ったけれど、あの決勝戦を見れば全員が納得してしまった。    あの後アレクスは、エディと話し込んでいた。エディは従兄弟として、王子として、騎士として……真剣にアレクスを諭した。僕は邪魔をしないようにしつつも、エディの目の届くところにいたので大体の話は聞こえていた。  最終的にアレクスも、心を入れ換えたように思う。一番の要因はアレビナへの執着が折れてしまったことだろうけれど……    僕は魔力器だとか、補充役だとかの意味を話しの流れで何となく理解した。聞いているだけでもとんでもない話だった。これが一般人同士ならただの犯罪行為だ。  偶々アレビナが兄弟で、アレクスに逆らえない立場だったから表立って問題にはなっていなかっただけで……他人を傷付けて、合意なく無理矢理魔力を奪うのは、幾ら魔力の薄い人間に対してでも許されることではない。貧しい人々の中には、魔力を売ってお金を稼ぐ人もいるらしいけれど……でも、良くないことに変わりはない。  アレクスが目を覚ましてくれて良かった。半身が出来たと言われてしまえば、流石に諦めるしかないようだった。ちょうど試合があった為、半身の証明としての力の差を見せつけられた後だったことも、大きいように思う。    エディが言うには、いずれフレディアル家を継ぐ人間のアレクスにはしっかりしてもらわないと困るらしい。今のフレディアル家は当主の妻であるミルティアの声が大きく、あまりいい状態ではないようなのだ。  反則気味の手を使ったとはいえ、半身相手によく戦っていた方だと思う。ルドラに剣を叩き落とされることもなかったし、火矢の魔法も見事な腕前だった。決してアレクスも弱い訳ではない。他ならぬエディにそう言われ、アレクスは少し元気を取り戻したようだった。  屈折せず真っ直ぐ鍛えてくれたなら、安心して当主を任せられるとエディは言っていた。     レアザへ二人を迎えると、ルドラは呆れたような目を僕に向けてきた。   「フィー……オマエ今、こんなとこ住んでんの?」   「うん、そう。びっくりだよね」   「ハァ……すげェな」   「フィシェル様、本日はお招きいただきありがとうございます」    玄関の大扉を開けた先のロビーは、急な来客にも狭く感じる事はない広さがある。改めて僕がこんな屋敷を与えられている事実が驚きだ。  高い天井を見上げるルドラの隣で、アレビナが行儀良くお辞儀をした。僕も慌てて合わせる。そう、今日二人はお客様なのだ。僕がしっかりしなければ。   「い、いいえ……こちらこそ急にお声掛けしてしまってすみません。部屋を用意させますから、どうぞゆっくり寛いでいって下さい。……ハーデトル」    難しいことは侍従長のハーデトルに投げることになっている。老成した侍従長は綺麗なお辞儀をすると、柔らかく微笑んで僕たちに言った。   「お二方のお部屋は、二階にご用意してあります。お食事はこの後一階の広間で、皆様ご一緒でよろしいですか?」   「……エディはどうしますか?」   「俺も今日はここで。ルシモスもどうだ?話もしてしまおうと思うんだが」    エディが人差し指を上へ向け、くるりと回しながら言う。確かに話をするならば、ルシモスの正確な断音魔法はあった方がいい。   「……そうですね。では私も……よろしいでしょうか、フィシェル様」   「もちろんです。じゃあハーデトル、そのように……」   「はい、かしこまりました」    館の主人として侍従長のハーデトルに指示を出すと、それを見ていたルドラが悲しげな表情になっていた。 「……ルドラ?」   「なんつーか、大会の挨拶してるときも思ったけど……本当に、"至純様"になっちまったんだな」   「うん。そうするって……決めたんだ」   「……そうか」   「とにかく部屋へ案内してもらうから、食事の時間まで寛いでいて。何か気になることがあれば、見かけた人に相談してね」    頷くルドラ達を見送り、僕は少し遅れて一度自室へ戻った。エディはルシモスとロビーで暫く話をするらしい。  ラロと共に部屋に入ると人の気配がして、僕は思わず立ち止まる。よく見ると、ガラス戸が開いたその向こうのバルコニーに……ルストスの魔力が視えた。手すりに背中でもたれ掛かり、笑顔でこちらに手を振ってくる。   「久しぶり、フィシェル」   「ルストス……!おかえりなさい!」   「ただいま!ね、僕も今日ここに泊めてくれないかな?」    旅装のルストスが上着を脱ぎながら部屋に入ってくる。僕は背後のラロを振り返った。 「えっと……ラロ、平気?」   「はい!大丈夫です。お食事もご一緒されますよね?ぼく、お伝えしてきます」    ラロはルストスの上着を受け取りながら微笑んだ。   「お願いします。ルストス、大丈夫みたいですよ」   「ありがとう、フィシェル!あー疲れた」    僕がソファを勧めるまでもなく、ルストスはぐったりとそこへ倒れ込んだ。  ラロが出て行くと、他の侍従たちもそっと退室する。どうも、エディやルストスなど……特定の人物が来たときには、邪魔をしないようにと配慮されているようだ。   「ルストス……体調が良くないんですか?」   「んー……いや、大丈夫。本当にただ疲れてるだけ。フィシェルの家は、優しい音がするから……明日には元気になると思う」   「……音が……?」    僕が向かいのソファへ座りつつ首を傾げると、ルストスは体を起こしてニヤリと笑った。   「そんなことより、エドワード様の気持ちが分かったんでしょ?おめでとう」   「あ、ありがとう……ございます……?」   「きっかけはフラーティア様か……なるほどね。あの人はミルティア様の娘とは思えない程優しく強いお方だからなぁ」    ルストスは目を閉じて、暫く精霊の言葉を聞いているらしかった。そういうときは大人しく他のことをするようにしている。僕は部屋のドアを開け、外に控えていた侍従の一人に頼んで、保管してあった物を持ってきてもらった。   「ふーん……こっちは概ね、いい感じだな」    やがて目を開けて伸びをしたルストスに、僕は侍従から受け取った包を差し出す。   「ん?」   「前に……ルストスが王都を出る前に約束していたプレゼントです。時々ひとり言で……精霊たちに向かって、ルストスには内緒にしてねと言っていたんですけど……果たして効果があったのか……」   「……うん、効果あったみたい。どんなものか全然知らないや……開けていい?」   「もちろんです。どうぞ」    ルストスが包をそっと開けると、中から落ち着いた青緑色のストールが顔を覗かせる。左右の裾が青から緑系統の色布のパッチワークになっていて、それぞれに別々の花の刺繍をしてあり、裾にはベースと同色のフリンジもつけている。   「うわぁ!すごいすごい!これ、フィシェルが全部一人で?」   「は、はい……そうです。温室にたくさん花があったので、刺繍はそれを見て色々刺しました。後はそれを繋ぎ合わせて……そんなに大したことはしていないですよ」   「謙遜しなくていいよ!あはは!皆も嬉しそう……フィシェル、ありがとう!」   「喜んでもらえて良かったです……ルストスは外を出歩く機会が多そうなので、そういう時に使えそうな物がいいなと思って」    僕がそう言うと、ルストスは頷いた。ストールを肩に掛け、立ち上がってみせる。   「肩にかけてもいいし、首に巻いてもいいな。うん、使いどころはたくさんあると思う」    ルストスは再びソファに座ると、ストールを丁寧に畳んで包に戻した。   「次に……普通に出掛けるときには、これを着ていくね」    嬉しそうなルストスにつられて、僕も笑顔になる。と、そこで部屋のドアがノックされた。   「……兄様だ」   「ルシモス?どうぞ」   「失礼いたします、愚弟が帰って来たと聞きまして……」    僕が手のひらを上向けてルストスを示すと、ルシモスはため息をついてこちらへ向かってきた。   「いつ帰ってきたんです?」   「ついさっきです」   「……陛下へ何かご報告は?」   「ご報告の前にまずは現状の確認からですね。フィシェルの周りには大事な要素が多いので。例えば……精霊国の双紅蓮とか……」    ルシモスはそれを聞いて顔を歪めた。が、僕はいまいちピンと来なくてルストスを見る。視線に気付いた閑吟は笑いながら説明してくれた。   「ルドラとアレビナのこと。フィシェルには魔力色が分かるから、紅蓮には視えないのかもしれないけど……彼らが所属する隊に因んで……多分、今後はそう呼ばれるようになる」 「あの二人が半身になるように仕向けたのですね?」    ルシモスは鋭い視線を弟に投げ掛けた。射抜かれたルストスは肩をすくめる。   「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えます、兄様。同室でしたし、学校に在籍する三年間の内に……遠からず半身にはなっていたと思いますよ。でも、僕が囁いて時期を早めたのは確かです」    話の途中でエディが部屋へ入ってきたが、ルストスは気にした様子もなく続ける。  僕はアーニアがルストスの指示でルドラに会ったという話を思い出していた。あれはルストスの囁きを届けたということだったんだろうと思った。僕の目の前で兄に追求され、ルストスは囁きの内容を打ち明けた。   「……大会で優勝を目指すように言ったんです。二人の技術も向上し……実力で劣る二人にはその内必ず、魔力交換が発生するはずだったので。それがどのタイミングになるかは、正確に予測できていたわけではありませんが……」   「…………」   「互いの魔力に気付けば、後は惹かれ合う。それが精霊国民です。すぐに二人は半身になれるよと言わなかったのは……ルドラの気持ちを考えての事です」    ルストスはちらりと僕を見て、それをルシモスに目撃させた。何となくいたたまれなくなり、僕は俯いた。   「……双紅蓮は此度の戦いに必要です。僕でも半身になれる人間が全て分かるわけじゃない。精霊たちが騒いで僕を動かしたのは……恐らくそういうことです」   「はぁ……ルストス……人は、盤上の駒ではないのですよ。一人一人の人生を左右している自覚は……」   「兄様、もちろんちゃんと分かっています……でも、こうするのが……一番良かったんです」   「……ええ、そうですよね。それこそ分かっています。お前がとびきり優秀なのは。それで……双紅蓮に関する許可は出ましたか?エドワード様」   「ああ」    話を振られたエディは僕の隣に座りつつ、ゆっくりとルシモスに頷いた。   「二人には……どこまで話すんですか?」    僕が聞くと、エディが僕の手をとって優しく微笑む。   「フィルは何処まで話したい?」   「ど、どこまでなら……話しても、いいのでしょうか」   「……何処まででも、話して構わないよ。ルドラはフィルの同郷の幼馴染だし、アレビナは俺の従兄弟でフレディアル家の人間でもある。先程魔法を飛ばしてウィリアムと父上に確認してきた。許可は得ている。全て打ち明けても、問題はないよ」    ルシモスが複雑そうな顔をしてるので、全く問題がないわけではないのだろうと思う。二人は強力な半身同士とはいえ、まだ学生で……普通ならば当然深く事情を話して巻き込んだりはしない立場のはずだ。  でも僕は、ルドラと話したいとずっと思っていた。  元々、一番最初が強引だったとはいえ……最終的にルドラは僕に対して真剣に気持ちを打ち明けてくれた人だ。僕はそれに対して正直にその時に思っていたことを話したのだけれど……そう、その、つまり……あの時エディとは、半身のフリをしようとしか思っていなかったわけで。  でも今、それは嘘になってしまった。ルドラがもう僕の話なんてどうでもいいと思っているようなら、無理に全て打ち明ける必要もないけれど……僕はもう一度ちゃんと話をしたいと思っている。そしてそれは、僕の立場が何も問題なければ、すんなり話せたはずで……    軍の人間には人員の選抜と編成案ができた段階で、現在のオルトゥルムの現状と、僕が白竜の御子であり至純でもあるということが伝えられている。  先頭に立って戦うエディの血縁である、フレディアル家の悪評を抑える為に、僕の母さんがフラジェッタ・リナ・フレディアルであること、僕がオルトゥルム王族の血を引いていることは秘匿されている。    つまり軍に伝えられているのは貴族院と同じ情報だ。軍属の騎士達は大抵が貴族かそれに連なる富豪たちなので、オルトゥルムとの事が一般市民に伝わり混乱を招く恐れはない。  拉致の被害があるとはいえ、竜が表立って町に襲いかかったりしない内は一般市民へ情報の公開はしない。拉致された人たちの奪還はヴォルディスを倒した後、オルトゥルム国民の呪いを解いてからの交渉にかかっている。    ルドラたちが本当に紅蓮隊に入るのならば、当然軍と同じ情報を明かす予定のはずだ。その上でエディたちは僕が話したいなら全て話してもいいと言ってくれているのだ。  アレビナもフレディアル家の人間だし、自分の家の評判が落ちるような話を言い触らしたりもしない。二人が半身なら、二人一緒に話すべきだ。  閑吟であるルストスも、僕が話すことに反対ではないらしい。薄っすら口元に笑みを浮かべて話を聞いていた。    食事の後、後席でお茶を飲みながら話をする事になって……この段階になってから、僕がエディへの気持ちの変化を伝えるとなるととんでもなく恥ずかしいことも言わなければならないと気付いたのだけれど、僕はできるだけ正直に自分のことを二人に話した。  アレビナはフレディアル家の関わりを話すと少し青褪めていた。ルドラに至っては後半は頭を抱えていた。   「……オレもさァ、フィーの気持ちが変わったことは聞けて良かったけど……なんでそんな、壮大なことになってんだよ……何なんだよ、王族とか御子って」   「二人とも、巻き込むことになってしまってすみません……」   「い……いえ……フィシェル様の所為ではありません。魂の輪廻は神の領域……それを侵すことは許されることではないですし……竜の国オルトゥルムを諌めるのが精霊国リグトラントの役目だというお話も、わかります」    アレビナがそう言うと、ルドラは驚いたように隣を見た。   「オマエ、すげェな」   「はぁ……ルドラ、あのね……こういう事になったから仕方ないけど、色々片付いたらみっちり座学もやるべきだよ、キミは」    そう言われて憮然とするルドラを見ていると、何だかおかしくなってきて僕は思わず笑ってしまった。   「フィー……笑うなよ」   「ふふ……ごめんごめん。仲が良いんだなと思って。でも半身だもんね……二人は……その、いつから?」  僕の言葉に二人は顔を見合わせた。アレビナは目元をほんのり赤くして目を逸らす。ルドラがそれを凝視しつつぽつんと呟いた。   「……今日」   「え?今日?」   「今日の午後、本戦の前に」   「あっはは!ギリッギリじゃん!」    目を丸くする僕たちだったけど、その中でルストスだけが大声で笑い出した。ルシモスがまた鋭い視線をルストスに送る。エディがそれに気付いて苦笑した。 「しかし、それでいてあそこまで動けたのか。素晴らしいな」   「オレたちが軍に欲しいんだろ?」   「ルドラ……」    ニヤリと笑うルドラの言葉遣いにアレビナは顔を顰めたが、エディは気にした様子もなく頷いた。   「ああ。二人には明日から訓練を積んでもらう。期間はそうだな……約ふた月程は……」   「あ、はいはい!お話があります!」    エディが言い終わる前に、ルストスが手を挙げた。全員の視線を集めてから、ルストスがとんでもないことを言い出す。   「兄様、次の新月はいつですか?」   「……半月ほどではないですか?今日が確か、満月かそれに近かったでしょう」   「それが刻限です。オルトゥルムはその日フィシェルをヴォルディスに捧げるつもり……と言うことになりました。それまでにフィシェルを近くへ連れ出さなければ、竜の制御が効かなくなり……王都を襲うでしょうね。リチャード様の結界も、竜鱗に被われた物体に空から何度もぶつかられては、そう保ちません」    ルストス以外の全員が言葉を失った。隣のエディがテーブルの下で僕の手を強く握る。   「知を失った竜たちは、獣と同じです。その彼らが、濃密な魔力の精霊の森にずっと滞在しているのですから……」   「まさか、制御が効かなくなるとは……魔竜にでもなるというのですか!?」   「その通りです。ですから、アルヴァト殿下は全て利用して、早期に決着をつけるおつもりです」 「勝手なことを……」    ルシモスがこめかみを押さえるが、ルストスは微笑を浮かべて首を左右に振った。   「僕も早期に決着をつけることには賛成です。引き伸ばしたところで呪いの進行が進むだけでいい事はない。幸いにも、双紅蓮も間に合いました。僕はアーニアと紅蓮隊をフィシェルの護衛につけることを進言します」   「ま、待って下さいルストス様。は、半月でボク達がフィシェル様をお守りできるとは……」   「……できるだけ事情を知っている者で固めた方がいいのでしょう?」    困惑するアレビナを内心気遣いつつも、ルシモスはため息をついてルストスを見た。閑吟は鷹揚に頷いてみせる。   「何がどうなるかの詳細はまだ不確定でお話できませんが……フィシェル」   「は、はい」    突然名前を呼ばれ、僕はルストスと視線を絡ませた。その瞳を見て、思わず瞬きをする。   「僕を信じてくれる?」    魔力を視たところで、器用なルストスならわざと演出してみせることも可能なのかもしれないと薄っすら思った。でも僕は、その決意に満ちた内在魔力を信じて笑顔を見せた。   「もちろん。友達なんですから」   「……ありがとう。エドワード様には、この後二人でお話があります。……あ、あとアーニアにも個別に話したいことがあるからね!」    エディに厳かに告げたあと、ラロとともに僕の後ろの方に控えていたアーニアに向かって、ルストスは無邪気に言った。最高位の閑吟ルストスの、一連の態度の落差を初めて目の当たりにしたルドラとアレビナは、すっかり押し黙っている。    何故新月なのか……それについてはラートルム兄弟が説明してくれた。    この世界には太陽の女神と月の男神がいる。太陽の女神は再生の象徴で、転生は女神の領域だ。だが、その前に月の男神が太陽の力を借り受け、魂の罪を洗う。月の男神は強過ぎる太陽の力を少しずつ借り、力が貯まるとそれをまた少しずつ消費して魂を洗っていく……つまりそれが月の満ち欠けなのだ。  新月の夜は太陽の力が尽きた月の男神が休息を取っているのだと言われていて……その日だけは太陽の力も月の光も無くなる。  つまり神に対して後ろ暗いことをするならば、新月の夜は最適というわけらしかった。    他国では最も重い刑である死刑の中にも、あえて新月の夜に執行するものがあるらしい。大罪人が太陽神の慈悲を受けることなく、輪廻転生をしないようにと祈りを込めているそうだ。  その慣習を考えると……魂喰らいなんて禁忌は、殊更新月がいいのだろうと想像もつく。  連れてきた竜達が魔竜になるのを阻止する為にも、次の新月でアルヴァト兄様は決着を着けたいようだ。    ……けれど、僕は唐突に告げられた刻限を……上手く飲み込めずにいた。    部屋に一人戻ってきて、いつもの習慣で裁縫道具を取り出したところで固まってしまう。いくつか刺繍したいものがあったのに……すっかり手につかなくなってしまった。  見兼ねたラロが、上の空の僕の手からそっと針を取り上げる。   「フィシェルさま、先に湯浴みにいたしましょう」   「え……でも、お客様に、先に入ってもらったほうが」   「……大丈夫です。館の主人が先に入ってしまったほうが、お客様方も後からのんびり入れますよ。ぼくがお手伝いいたします。さあ、参りましょう」   「そ……それもそう……なのかな。わかった……」    侍従たちにさっと両手を持たれて立ち上がり、一階で湯浴みを手伝ってもらう。丁寧に磨かれて、つるりとした生地の白いワンピースを着せられる。赤い細めのリボンが首元や袖口についている、ふわふわした服だ。こういう服を着せられるときは……    僕が部屋に戻り、ベッドへ腰掛けて待っていると、浮かない表情のエディが部屋へと入ってきた。  エディは怒っているような、悲しんでいるような……複雑な魔力をしていた。僕はこんなエディを視たことがなくて、少し緊張する。エディはシャワーを浴びると告げて、部屋の奥へ行ってしまった。    ルストスとの話でなにかあったのだろうか。  僕はぼんやりと、今後のことを考えた。エディを信じているし、僕自身も自分が生きる為に動く。死ぬつもりは毛頭ないけれど、それでも死ぬかもしれない事態がやってくるとなると、体の奥から恐怖が湧き出てくるようだった。  今のうちにやっておきたいこと、あったかな……そう考えて慌てて首を横に振る。刺繍だって、途中でいい。無理に終わらせる必要はない。だって、戻ってきてまた続きを刺すのだから。    そう思いはしても、薄暗い部屋の中で一人物思いに耽っていると、良くないことばかりが頭に浮かぶ。全員無傷という訳にはいかないのだろう。  向こうが僕以外に対してどうするつもりなのかは分からないけれど、傷付けない選択肢は取らない気がする。そこは兄様と、ルストスを信じるしかない。    とうとうルドラたちまで巻き込んでしまった。僕の近くということは、それだけ危ないはずだ。今日の戦いを見ていれば、二人が協力して訓練すれば強くなるだろうというのは分かったけれど……でも後半月しかないのだ。  アーニアとは予め話をしてある。どうなっても僕のそばを離れるつもりは無いようだった。  ラロはずっと悔しがっていた。普通の野盗や人攫い相手ならばラロの技能も意味があったのかもしれないが、ラロはおそらく連れていけない。    実際の作戦がどうなるのかは、僕にも未だよく分かっていない。それは多分先程ルストスが予言した内容を踏まえ、エディやルシモス、もしかすると陛下やウィリアム様が今後一緒に考えるのかもしれなかった。    僕はため息をついてベッドに寝転がった。枕を横抱きにして、ぎゅっと目を瞑る。薄暗い部屋の中でそうしていると、普段ならすぐに眠くなりそうなものだけれど、今日は違った。  僕の後ろからじわじわと不安が手を伸ばし、僕に絡みつくようだった。  おまけに僕はあまりに非力で、ヴォルディスを討つために重要な餌であるのに、自衛に関しては周りのことを信じるしかない。  アーニアと一緒に体を動かす中で、非力な人間にも使えそうなある程度の護身術も学び始めてはいるが……いかんせん期間が短すぎる。センスも運動神経もない僕は、習っている護身術もまだ大して形になってはいない。   「フィル?寝たのか?」    僕は瞑っていた目をちらりと開けて枕に顔を埋めた。上半身裸のエディがベッドに腰掛け、僕の髪を撫でる。   「俺の枕だな」   「エディ……の、匂いがするので」    落ち着かない気持ちの中で無意識にやっていたことだったけれど、口に出してみると物凄く恥ずかしいことをしていた気になって、僕は慌てて顔を離した。   「フィルはどうしてそう、不意に呟く言葉が一々可愛いんだ?」   「わ、わかりません……」   「枕ではなく、本物も抱きしめてくれないか」    エディが僕から枕を取り上げながら、隣に寝転がる。僕は素直にエディに手を伸ばした。僕が背中に手を回そうとすると、その上からぎゅっとエディに抱き締められてしまう。   「ん……エディ……?」   「フィル……」  耳元に降ってくる声は切なげで、僕はエディの背中をそっと撫でた。   「……エディ、大丈夫」    先程まで自分が怯えていたというのに、不思議とそう口が動いていた。   「大丈夫です」    口に出してみると、怖くとも不安は薄れていった。  僕が顔を上げると、エディがそっと唇を寄せてきた。  きっとまた、ここで同じことをする。  そうに違いない。        

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