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蒼茫と光り6

 光る気泡たちが、暗闇の中で耐えている。身を寄せ合い、襲い来る暗闇からその身と竜の核を守るように淡く光っている。でも彼らは暗闇を遠ざける程度には輝けても、それを全て散らしてしまうほどの明るさは持ち合わせていない。  太陽を待っているんだ。  そして、エディを連れてくる僕を、待っている。   「フィシェル、フィシェル……起きて」   「う……ルストス……?」    水底の夢から強制的に揺り起こされて、僕は自分の汗に震えながら目を開けた。   「大丈夫……?そういえば昨日も凄い汗だったね。精霊たちもすっかり怯えた声ばかりで要領を得なくて……」 「ヴォルディスの夢を見ていたんです……」    僕が呟くと、ルストスが珍しく息を呑んだ。思わず、といった感じで手をぎゅっと握られて、僕は苦笑しながら自分も手に軽く力を込めた。   「御子の魂たちが、ヴォルディスの中で待っている……僕が、あそこへエディを連れて行かなくては」   「フィシェル……と、とにかく、汗を洗い流して着替えよう?服もちゃんと洗っておいたから」    僕は頷き、ルストスに手を引いてもらって小さな浴室に向かった。  服を脱いでシャワーを浴びながら、全身に魔力を行き渡らせて身体の不調がないかを確かめる。不思議と気持ちは落ち着いていた。自分のやるべきことがはっきり分かっているからかもしれない。  浴室から出ると、ルストスがあっという間に体も髪も乾かしてくれた。濡れていた体が一瞬で乾いてしまうと流石に不思議な心地がする。僕はルストスに手伝ってもらって、断魔材を織り込まれた軍服に着替えた。  ルストスの風が僕の後ろ髪を一纏めにして、ベールを取り付けてくれる。靴を履くときに、風の足輪と鎖の魔法を解除してもらえた。   「ごめんね……守る為とはいえ……フィシェルに、こんなことを」   「……大丈夫です。気にしてないですよ。それより……」    僕がちらりと窓の外を見ると、もう大分日が傾いていた。僕は随分と眠っていたらしい。少し暗礁石を使い過ぎたのかもしれない。   「……まだ少し時間はあるけど……フィシェル、お腹空いてる?なにか持ってこようか?」   「……あんまり。気持ちは落ち着いてると思うんですけど……」   「そっか。じゃあ水だけ置いておくね」    ルストスはそう言うと、水差しを満たしてテーブルに置いた。  僕が寝台に腰掛けてぼんやりと外を眺めていると、ルストスが隣に座った。こういう手持ち無沙汰なとき、裁縫道具があれば……とも思ったけれど、流石に集中はできない気もする。  二人で会話をするでもなくじっといていると、不意にルストスが口を開いた。   「そうだ、音楽でも聴く?」   「えっ?」    僕は唐突な提案に驚いてルストスを見た。するとルストスも目を瞬かせて僕を見て、首を傾げた。   「あれ?まさか何にも聞いてない?」   「……何も……?うーんと、そもそも僕は……音楽には疎くて……ほとんど聴いたことがないので」   「あ……そっか……そうなんだ。じゃあもっと早く……旅の間にでも、聴かせたら良かったな」    ルストスはそう言うと、宙に手を翳した。上向けた手の中に、風で編んだ棒のような物が現れる。   「笛を見た事はある?」   「……これが笛なんですね」   「初めてかぁ。笛は知ってるんだ?」   「村では指笛を使う人もいたので……息を吹き込んで音を出すんですよね」    ルストスは僕に笛には直接触れないようにと前置きしつつ、それを見せてくれた。息を吹き込む穴の他にも、いくつも丸い穴が空いている。これを指で押さえて音の高さを変えるのだという。   「ルストスは楽器を弾けるんですか?」 「……兄様、僕のことはフィシェルに全然何にも教えてくれてないんだなー……」    ルストスはちょっとむくれつつも、続いて弦楽器を作り出した。その弾き方も教えつつ、ルストスは僕に閑吟について詳しく説明してくれた。   「閑吟はね……音楽ができるんだよ。精霊の言葉が歌になっているから」   「歌に……?」    歌と聞いて思い浮かぶのは、ノルニで一緒に暮らしていたときのエディや、出会ってからたまに聞こえてきたルストスの鼻歌くらいだ。常に歌が聞こえているなんて、一体どんな感じなのだろう……   「その所為で良い事も面倒な事もあるんだけど……僕たちは旋律の中に生きているから、大体みんな何かしらの楽器ができる。前にリアターナに行ったときも、僕は楽団に混じって何曲か披露したんだよ」    母さんの育ったリアターナは、音楽の町という話だった。その楽団に混じったなんて……僕とそう歳が変わらないのに、一体ルストスが何歳くらいの頃だったのだろう?そんなことが気になって尋ねようとしたものの、ルストスが寝台から立ち上がったので、僕は聞きそびれてしまった。  でも……まあいいか。そんなこと、いつだって聞ける。   「本気で演奏するとそれなりに魔力を使うから、一曲だけ……」    ルストスは部屋の真ん中に立つと、風と水の楽器を周りに並べて、笛を口元に持っていった。  それは僕が生まれて初めてまともに触れる音楽の世界だった。楽器の詳しいことは、僕には何も分からない。でもルストスはいくつもあるそれを魔法で自在に操り、明るく楽しい音楽を奏でた。  笛の音は高く、その下を弦楽器達が軽やかに滑っていき、打楽器の心地良いリズムがそれを支える。  聞いているだけで気持ちが上向くような、そんな曲だった。  時間にしてどのくらいだろう。僕が圧倒されている間に、曲は終わってしまった。魔法の楽器が宙に溶け、ルストスが駆け戻ってくるまで、僕は頬を紅潮させて拍手をした。   「すごかったです……!ルストス、本当に上手なんですね……!」   「へへへ……」    ルストスは再び僕の隣に腰掛けながら、照れたように笑う。   「僕……初めてちゃんと音楽を聞いたんですけど、気持ちまで元気になるものなんですね……ありがとうございます」   「そう言ってもらえて良かった。元気が出そうな曲にしたから」    それを聞いて僕はまたお礼を呟いた。二人で笑い合っていたところへ、扉を叩く音が響く。何か言う前に扉が開き、眉根を寄せた表情のアルヴァト兄様が部屋へ入ってきた。   「お兄様……?」   「今のは何だ?ルストス」    ルストスは返事をするでもなくニヤリと笑った。それを見て兄様が露骨に顔を顰める。   「はぁ……周りの奴らには聞こえていなかったみたいで、相当変な顔をされたぞ」   「あはは!確かに僕が演奏してたけど、風精霊達が勝手に音を届けたみたいだね。一応外には漏れないようにしてあったから」    精霊が勝手に、と言われてしまえば反論のしようもないらしく、兄様はため息をついて窓際の椅子に深く座り、優雅に足を組むと、ルストスに顎でもう一度やれと促した。   「えー……だめだめ。今日はもう終わり。結構魔力を使うから」   「なんだ、つまらんな」    ルストスは立ち上がって伸びをすると、扉の方へと歩いていってしまう。   「ルストス……」   「僕、ちょっと屋上で瞑想してくる。アルヴァト。もうフィシェルの鎖は外してあるから、僕が戻るまでそばにいて」   「ああ」    ルストスが出て行くと、僕は途端に落ち着かなくなった。腹違いとはいえ血の繋がった兄弟なのに、アルヴァト兄様と二人きりでどんな話をしたらいいのか全然分からない。  ちらりと顔を窺うと目があって、咄嗟に逸してしまう。ああこれじゃあ嫌な感じだ。一体どうすれば……そう思っていると、兄様が音も無く僕の方へとやってきて、隣へ座った。   「あの……お兄様……?」   「そばにいろと言われたしな」    そう言って微笑まれると、兄様の顔が改めてかなり整っているのだと意識させられる。僕は顔を見ていられなくて視線を落としたが、そこには緑の鱗に覆われた尻尾がベッドに乗っかっていて、僕の興味は一気にそちらへ持っていかれた。   「……ん?尾が気になるか?」    そう言って上下に揺らされると、触ってみたくて仕方が無くなる。   「さ、触ってみてもいいですか?」    思い切って聞いてみると、返事の代わりに尻尾が僕の方へ近付いた。が、手を伸ばすと逃げられてしまう。   「あっ!」   「くっくっく……」   「もう、意地悪しないで下さい」    僕が唇を尖らせると、兄様は今度は自分から尻尾を僕の手に触れさせてくれた。手に持って触ってみると鱗はつるりとしていて、その奥の方に柔らかさを感じるのに、表面はかなり硬かった。   「すごい……」   「面白いか?」   「はい、とても……僕も御子じゃなかったら、尻尾が生えていたのかな……」   「どうだろうなぁ。フィシェルは王族とはいえ、ハーフだからな……」    兄様は逆に僕の手をとり、自分の手と並べて見せた。僕の白い手の甲と違い、兄様の甲には鱗がある。僕が気になって兄様の服の袖を少し捲ると、腕の外側の方にはしっかりと鱗が生えていた。   「わ、わ!これ、何処まで生えてるんですか?」   「……フィシェル……それは脱いで見せろということか?」    僕の手を持ち上げて、兄様が妖しく笑う。僕は慌てて首を横に振った。   「ち、違います!ただちょっと気になっただけで……」   「……俺が太陽に焼き殺されかねんから止めておこう。本来ならば、白竜の御子の疑問には答えなければオルトゥルムでは罪になるのだが……ここには幸い誰もいないし、リグトラント国内だからな」    誰もいないと言いつつ、エディにしっかり気を遣っていて、僕は思わず笑ってしまった。   「ふふ……アルヴァトお兄様が僕の兄様で、良かったです」   「……そうか?」   「はい。昨日も言いましたけど、お兄様が来てくれなかったら僕は何も知らないまま死んでいたと思うので。確かに最初、妻になれと言われたときは驚きましたが……」    僕がそう言うと兄様は僕の手を握る力を強くした。見上げれば、紫眼の中の縦に裂けた瞳孔が僕を射竦める。   「あれは嘘じゃない、と言ったら?」   「え……?」   「そういえば……初めて会った時には周りの目もあって言えなかったが、俺は兄弟たちの中でおそらく唯一……産まれたてのお前を見た事がある。一瞬だったがな」   「そう……なんですか?」   「ああ。だから……名も知らぬ弟を、ただ憐れんで助けたわけじゃない。少し成長してから改めて見たフラジェッタの姿絵……それに似てお前が育ったなら、さぞ美しいだろうとは思っていた」    怪しくなってきた話の流れに身体を引こうとしたが、兄様の手がそれを許さなかった。   「お前を助けたい。だが……別に、太陽にくれてやろうとは思っていない……そう言ったら、どうする?」   「に、兄様……」    兄様の尻尾が僕の腰に絡む。ハッとしてそちらを見たが、すぐに顎を掴まれて上向かされた。近付く兄様の顔に抵抗するが、兄様はびくともしない。そういえば竜人は力が強いんだっけ……?僕も半分オルトゥルム国民の筈なのに、御子の為にそちらの特性はさっぱり無いらしい。  どうしようどうしよう、と悩んでいると、唇が触れる直前で兄様が笑った。   「……冗談だ。我が弟は本当に可愛いな」   「お、お兄様…………あっ!?」    兄様が離れてくれたと思ったら、腰に絡み付いていた尻尾が僕の背を撫でて行ったので僕は堪らず悲鳴を上げた。   「……フィシェル、冗談はさておき……全てが終わったら、オルトゥルムに来る気はないか?」   「え……?」    僕は目を丸くして兄様を見た。兄様は左前に流して編み込まれた長い紫髪を、指で弾いて言う。   「実際、呪いが解けたところで……全員が瞬く間に賢くなる訳ではないだろうと、俺は思っている。おそらく俺が上に立って国をまとめるが、一人くらい正常な思考の補佐がいてもいい」   「兄様……でも、僕は……オルトゥルムに関する知識はほとんどありません。行ったところで、何ができるか……」   「フフ……それこそ、まともな知性があるならすぐに覚えられよう。フィシェルは確かにリグトラントとのハーフだが、オルトゥルム側の血は王族だ。どうだ?俺と共に国を復興させる気はないか」    僕は困惑して兄様を見上げる。兄様は至って真剣だし、魔力も嘘を付いている様子はない。   「おっと、フィシェル……今俺の魔力を視たな?嘘はついていないぞ」   「……魔力を視たら、分かるんですか?」   「ん?ああ……瞬きをして、身体の中心……臍の辺りに視線が向いているからな。核を視ているのだろう。魔力視特有の癖のようなものだ」   「確かに……言われてみれば、そうなのかも……」    あまりにも自然に続けてきた動作だったので、意識したことがなかった。   「……フラジェッタはオルトゥルムについては一切教えていないようだが、魔力視は人に貸したりもできるぞ。額を合わせて相手に竜気を流し、目の中に魔力を映す膜を作ってやればいいからな」   「そ、そんなこともできるんですね……僕は本当にオルトゥルムの事を何にも知らないんだな……」   「大丈夫。これからいくらでも知る機会があるさ」    僕は俯いたまま頷いた。そのままふと部屋の床の影を見ると、随分と長く伸びている。気になって窓の外へ視線を向ければ、空は茜色に染まっていた。兄様も僕の目線の先を見て、空の色に気が付いたようだった。   「……もうこんな時刻か。まあ、まずは今夜を乗り切らねばならんし、乗り切ったところですぐに答えを出せとも言わん。別にフィシェルが太陽の元にいたいのなら、それでもいいんだ。ただ、一度はオルトゥルムに戻って来ることも考えておいてくれ。経緯はどうあれ、フィシェルの産まれた場所に変わりはないのだからな」   「……はい」    僕が返事をし、兄様がそれを聞いて立ち上がったところで、ルストスが部屋に飛び込んできた。   「アルヴァト!」   「……来たか。ルストスはフィシェルを守ってやれ。手筈通りとはいえ……俺は一応、前に出て指揮をしなければ」   「分かった、気を付けて」   「お兄様……」    切り替えの早いルストスとは対照的に僕が不安そうな顔を向けると、アルヴァト兄様は柔らかく微笑んだ。   「まあ俺は頑丈だし、何事もない。それよりもフィシェル……お前のほうが心配だ。俺の所為で面倒も増えているし……」   「僕は……大丈夫です。僕にできることを、ちゃんとやります」    僕たちが頷き合って、兄様が部屋から出て行くと、入れ違いに僕の元へやってきたルストスが僕の耳元にそっと囁く。   「なかなか兄弟らしくなってきたね?」   「うーん……一瞬、危なかったんですけど……」   「あれは本気じゃないと思うけどなー……」    ルストスが僕を立ち上がらせながらそう言うが、僕は取られた手を思わず引いた。   「わ!なになに?」   「ルストス……全部聞いていたんですね?」   「あ!あははー……精霊がさ、ほら、勝手に……ね?」   「もう……いいですけど……本当に危ないときは助けて下さい……お願いですから。僕じゃ魔力を流すくらいしか、自衛手段がないので……」    僕がため息をつくと、ルストスはニヤリと笑った。   「まあ確かにフィシェルは……明日から劇的に強くなったりはしないだろうなぁ」   「え……?」    思わずルストスを見上げた瞬間、塔がぐらりと揺れて、僕は慌ててルストスにしがみついた。ルストスも辺りを見回しながら支えてくれる。   「……大丈夫?」    僕はその後に襲ってきた悪寒に、一瞬身体の力が抜けてしまった。ルストスもそこまで力がある方ではないので、僕と一緒に崩折れてしまう。   「フィシェル……!?」   「す、すみません……ヴォルディスが、動いているのが……分かって」   「ヴォルディスが……?そうか……そうだな。でも、ここじゃ危ない。この部屋自体は頑丈だし、塔が崩れたら崩れたで僕の魔法でなんとでもなるけど……先に下りられるだけ下りてしまおう」    僕は震える脚に力を入れて立ち上がりながら、ルストスの言葉に思わず笑みがこぼれてしまった。   「……フィシェル?」   「ふふ……すみません。少し前にエディと魔導師塔に登ったときも、同じようなことを言われたので。ルストスが一緒にいてくれるなら、確かに安心ですね」   「……なんだかすごい殺し文句を言われた気がするけど……まあいいや。行こう」    ルストスが再び僕の手を取って部屋から出た。石の塔は簡易的な昇降機も取り付けられていたが、そちらは動かなくなってしまったようだった。   「下にある制御用の魔導器が壊れたんだな……仕方ない、外階段でいこう。いざとなったら僕が凍らせるから、滑って下りよう」   「は、はい。でも……すみません……僕、階段はあまり早く下りられなくて。目が悪くて、段差は苦手なんです」   「……なるほど、じゃあ最初から滑っていこうか。タイミングは着いてから調節すればいいし……うん、大丈夫。行こう」   「え、あの……ルストス?」    ルストスが塔の外側をぐるりと囲み下りる螺旋階段に僕を連れて行くと、何と階段に座らされ、後ろから抱き込まれた。外なので風が吹いているし、手すりの隙間をルストスが氷で埋めていくとはいえ……恐ろしくて気が遠くなる。   「うーん、安定性がいまいちだなぁ。あ!そうだ。これを使おう!」    ルストスはなんと僕がプレゼントしたストールを取り出すと、僕と自分の腰を一緒に結んでしまった。僕は釈然としない思いで思わず叫ぶ。 「あげたものですから、どう使おうとルストスの勝手ですけど……!そ、それでも……こんなことのために渡した訳じゃないのに……!」   「ごめんね、フィシェル。とにかく僕につかまってて」    そこからは途中で意識が飛んだので、よく覚えていない。ルストスが凍らせて斜面にした階段を、僕たちはルストスのローブを下に敷いて滑り下りて行った。  最上階から一気に下りたので、中々速度が出ていたし、あんなに怖い思いをしたのは生まれて初めてだ。馬車ごと空に浮かんだときだって、ここまで肝を冷やさなかった気がする……    

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