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第四章・21
ふと、沈黙が破られた。
と、言うより、ギルがようやく気づいたのだ。
二人の間には、穏やかなクラシック音楽が流れていた。
聖地の外の世界・三次元には、実に多種多様な音楽が溢れている。
その中でも古典の管弦楽は、ギルが好んで聴く音楽だった。
『3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調』
旋律が他のパートへそのまま受け継がれている、三声の同度カノンである。
聴いているうちに、眼の前の私でないギルが、一人から二人に増え、そして三人に増えていくような幻覚に襲われた。
ギルα、ギルβ、ギルγ……。
嫌だ。
私でない私が、存在する。
ファタルが現生に降臨され最終戦争が勃発すれば、神騎士とて戦死することもあるだろう。
そしてその都度、あの暗く深い地下から新たなギルが引きずり出され聖獣・ザンのギルとして光の元に顔を晒す。
ルキアノスの前に、現れる。
そしてルキアノスは。
何も知らないルキアノスは、私でない私を、ギルでないギルを愛するのだろう。
「……ジーグ」
ぽつりと呟いたギルの言葉は、ただ耳に心地よく流れる音楽のタイトルだ。
それでも、もう一人のギルは、いや今やジーグと名付けられた男は、嬉しそうにその名を繰り返した。
「ジーグ。私の名は、ジーグ……」
肩の荷が、下りた気がした。
途端に、猛烈な眠気がギルを襲ってきた。
「これで満足か? だったらそろそろベッドを解放してくれ。いつまでそこに立ってるつもりだ」
そうだな、とジーグは返事を寄越し、そのうえ笑って見せた。
「パジャマは俺に貸してくれないか? さすがにこれしか着るものがなかったんでな。そこにほら、別のをクローゼットから出しておいた」
俺
私、ではなく、俺
ああ、本当にこの男は、ギルでなくジーグという私とは異なる人間になったのだな、とザンの神騎士は思った。
ジーグはずうずうしくもギルのパジャマを着たまま、先にベッドへと潜りこんでいる。
もはや追い払う手間も億劫で、ギルもまたバスローブのままジーグの隣に横になった。
不思議な事に、まるで違和感や嫌悪感を感じなかった。
眠くて仕方がない、というせいもあったかもしれないが、ジーグの体温は実に心地よくギルに伝わってきた。
瞼が重くなる。
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