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第六章・3

 翻訳が途切れているのは、聖地の歴史と並行して書かれていた三次元・人界に、国家や国民というものを伴った戦争が生まれた頃だった。 「彼も徴兵されたんじゃないのかな。そして、戦地で命を落としたんだ」 「いや、内戦や植民地戦争という人間の起こす野蛮な行為を、聖地という極めて統制のとれた合理的な国家と比較して嘆き、筆を置いたんだよ。きっと」 「この当時の人間がカラドの存在を知れば、必ず開国を迫るか侵略するかのどちらかだ。彼はそれを恐れて口をつぐんだんだ」  年に数回、誰からともなく『カラド愛好会』と呼ぶようになったサロンで、エルンストと友人たちは口々に翻訳の成果や持論を述べて楽しんだ。  ファタルの進む道を示したとされる予言書。  彼女が統治する聖地カラドの行く末を記したとされる予言書。  そしてそれは、われら三次元の人類が歩む未来までもが記された予言書ではないだろうか。  翻訳を進めるたびに解かるのは、意外にも頻繁に聖地の住人が三次元を訪れている事と、人間が聖地へ赴いている事だ。 「聖地カラドに行って、神騎士になるために修行する、ってどんな奴なんだ」 「というか、できるのかねぇ。そんなこと」 「何かまだ、未翻訳の秘密があるんだよ。それを知れば、我々も聖地へ行けるかもしれないぞ」  いい大人が集まって、少年のような夢を語り合う。  ビジネスでもなく、相続でもなく、外交でもない。  そんな話ができるのは、この仲間内の、この時間だけ。  そんなひとときを、エルンストはとても楽しく感じていた。  とても大切に思っていた。  「では、行くとするか」  今回のヒマラヤ探索は、みんなには秘密だ。  大手柄になるか、空振りに終わるか。  空振りだったら恥ずかしいので、そうなると黙っていようかな。  エルンストはリュックを担ぐと、現地で雇ったガイドやシェルパの待つリビングへと向かった。  運命の一歩を、進み始めた。

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