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第六章・22
胎盤もなく、臍の緒もない。
どこから、その凄まじい成長エネルギーを得ているのか。
もはやヒトの頭では計り知れない、奇跡が起きているとしか言いようがない。
そうする間にも胎児は動きだし、指しゃぶりまで始めている。
眼はぱっちりと開き、眼球が動き出した。
そして、こちらを見てにっこり笑った。
赤ん坊の、あどけない笑顔。
ついこちらも顔をほころばせてしまいそうな、幸せに満ちた無邪気な笑顔。
通常ならば、の話だ。
だが、この御方はまさに眼の前に御光臨あそばされた、神なのだ。
ある者は畏怖し、ある者は感動した。
ある者は表情を失い、ある者は涙を流した。
そして全員、法皇の穏やかな声に、我に返った。
「そろそろファタルを、水の中から出して差し上げようか。さすがにこのままでは、お体に障る」
まるでその言葉を待っていたかのように、照明が戻った。たちまちのうちに、電力系統が復旧してゆく。
祈りを、産着を、ミルクをと、賑やかに騒ぎ出した神官たち。
そんな中、技術者の絶望的な声が響いた。
「嘘だろ~」
これまでに蓄積してきた、データ。
停電前には、ファタルがその御姿を現されるまでは、完璧に整えられていた電脳の布陣。
それらが全て、消えているのだ。
24時間体制で、常に監視してきた培養槽・御母体。
その中を満たす溶液の成分や、比率。
コアセルベートの状態。
温度や気圧、溶液の水温や水圧の変化に伴い変化する、有機化合物の点と無限個の和集合。
合成染色体を持つ酵母の、DNAコード。
全部、消失している。
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