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第十章 死

 帰宅後、ギルがジーグに初めて話した言葉は、ただいま、だった。  ありふれた、普段の言葉。  そんな日常に乗せて、彼の人生を大きく左右する重く厳しい現実を、少しでも軽くしようとしたのかもしれない。  何でもない事だ、すぐに明日へ流してしまえるような、取るに足りない事だ、と。    続く言葉は、こうだった。 「駄目だった」    ダメ? 何が?     ジーグが問う間もなく、ギルは唇に薄く笑いすら貼り付けてこう言った。 「法皇様は、次期法皇にルキアノスを御選びになった」  無理な笑顔は引き攣り、まるで泣き出す寸前の表情の様にも見えた。  ただ、ルキアノスが次期法皇に選ばれた、と主語を彼にしなかったところに、ギルの意地が見て取れた。  まだ生々しく覚えている、飛行船での出来事。  恥も外聞もなく、ギルは法皇の座を譲ってくれとルキアノスに縋りついた。 (それも無駄だったというわけか)  何と声を掛けようかとジーグが逡巡していると、ギルは大きく伸びをして見せた。 「そう、気を遣わないでくれ。私はまだ諦めてはいない」 「どういう意味だ」 「試してみるさ、いろいろ。法皇様の御心が変わらないなら、ルキアノスを攻めればいい。彼に取り入って、新法皇の座を辞退するように仕向ければいい」  ジーグはわずかに眉根を寄せた。  色仕掛けも有り、か?  だがそれは言葉にはせず、ただギルに口づけた。  狭いフロントドアに押し付け、下からすくい上げるように唇を食むと、それだけでギルはずるずると床に腰くだけてゆく。  二人そっくりの肉付きを持つしなやかな胸筋を擦り合わせるように上下させ、互いを求めて貪るようにキスをした。 「……が。私、が」 「なに?」  口で大きく呼吸をとって、ギルはかすれた声でジーグに囁いた。 「私がルキアノスに劣っているとは、思えないんだ。どうしても」  なんて眼をしてるんだ。  ジーグはギルを覗き込みながら、彼の眼の色を傷ましく思った。  憤り、悲哀、怒り、落胆……、様々な感情が渦を巻いて、この兄の頭の中をぐるぐると巡っている。  双子の弟は、それきり黙って立ち上がり、ギルの腕をとった。兄を起こして肩を貸し、そのまま寝室へといざなっていった。

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