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取越し苦労(5)

俺達はベンチに横並びに座って待つことにした。 「俊樹、ありがとう。 業務の差し障りはなかったか?」 「大丈夫です。 急ぎのものはなかったですし、来客も『急用で』とお断りしましたから。 部長クラスまでは連絡しましたが、大騒ぎすることのないように口止めしてあります。」 「ありがとう。助かったよ。 …それにしても、こんなことが起こるなんて… 親父にはまだまだ元気でいてもらわなければならないからな…」 「あれだけご自身の身体には気を付けておられたのに… 先週、人間ドック受けたばかりだったのでは?」 「そうなんだよ。それでは分からなかったのか、急に発症したのか…でも、処置が速かったお陰で命拾いしたんだ。 …俺も気を付けないとな…檸檬を残してサッサと逝くわけにはいかない。」 「満さん…」 「奥様は今夜はどちらに?お聞きしてからホテルの予約をしようと思ったんだが…」 「家に来ていただくことになりました。」 「そう、良かった。そのほうが安心できるかもね。」 「お袋も食事どころじゃなくって何も口に入れてないだろうから、帰りに何処かに寄って行こう。 勿論俊樹もな。」 「いえ、私は」 「残業代の一部だ。何処か定食が食べれる所に寄ってくれ。 帰って風呂に入ったら、みんなすぐに休める。 檸檬のことだ、自分もクタクタなのに気を使ってご飯を作りかねないからな。」 「…スミマセン…」 何でもお見通しの満さんに、もう一度「ゴメンナサイ」と伝えると 「こんな時は『ありがとう』だろ?」 とウインクされた。 俺の夫はサイコー!惚れ直しちゃう。 こんな時なのに胸がドキドキする。 こら、檸檬!何て不謹慎な! ひとりであわあわしていると、お義母さんが戻ってきた。 「お待たせしてゴメンなさいね。 お父さん、麻酔が効いてぐっすりだったわ。 『みんなに心配させて』って文句言ってきた! …明日、朝イチで会いにくるわ。」 ニッコリと微笑んだお義母さんの目元は、涙で光っていた。

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