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第2話
芽は百貨店の社員だった。だった、と過去形なのは半月ほど前に退職したからだ。だから職を探しているわけだが、ひとまずその話は置いておく。
芽は去年大学を卒業し、けっして大手ではないが地元では絶大なシェアを誇る百貨店に入社した。もともとが人見知り気味の上どちらかというと気が弱い。強気に出られない性格だから、配属は販売ではないところを希望したのだが、そもそも百貨店というところは人に物を売る場所である。よって、新人研修から徹底的に接客を叩き込まれる。
おまけに研修後の配属先が紳士服売り場。初っぱなから紳士服売り場の花形ともいうべきオーダースーツの部署へと配属された。しかも百貨店オリジナルブランドの。また、そのオリジナルブランドは老舗テーラーが監修しており、社内でもかなり力を入れているものだった。だが、そんな華やかな場所で芽は落ちこぼれだったのである。
採寸の仕方から顧客管理まで覚えるべきことは山ほどあり、また、なんといってもコミュニケーションが必要なところだ。信頼関係がなければ採寸もさせてもらえない。
向いていないと自覚しつつ、それでもなんとか努力してみたものの、会話がないため新規の客を獲得するどころかお得意様からのクレームは増える一方。とうとう接客すらろくにさせてもらえなくなり、バックヤードに詰めてばかり。上司からも先輩からも同僚からも疎ましがられる日々だった。
一年経っても状況は変わらず、フロアでは周囲に無視をされるようになり、いよいよ身の置きどころがなくなって退職も考えはじめたとき、隼人が芽のいるエリアにやってきて、スーツを見立てて欲しいと言う。ちょうどそのとき、他の社員は接客に忙しく、対応できるのは芽しかいなかった。
隼人はスタイリッシュなスーツとイタリア製とおぼしき革靴で現れ、またその整った容姿に、フロアにいた数少ない女性の目が釘付けになっていた。
彼は都内で小さな商社を経営していると言い、取引の関係で北海道にやってきたらしい。話術の巧みな彼は、緊張しきっている芽にもやさしく接してくれた。
「北海道はまだまだビジネスチャンスが転がっているからね」
採寸の合間の世間話で彼は将来のビジョンを芽に語る。すぐにでも拠点を札幌に移すことを視野に入れていると口にした。
東京に帰っている暇がないから着替えがなくなって、と数着の既製品だけでなく、イージーオーダーでの注文もし、羽振りのいいところを見せた。
隼人は芽のぎこちない接客にも真摯に応え、「今度はフルオーダーでお願いしたいな。次回もぜひきみにお願いするよ」とにっこりと笑う。そんな隼人に応えたいと芽も必死になって彼のために頑張った。もちろん、客が乗り気であれば上司も芽に冷たく当たる必要はない。しかもぜひ芽からと言う。下手な嫌がらせなどしたら、客が購入を渋る可能性があるため、売り上げ成績のためにも芽をバックアップしてくれた。
隼人はスーツだけでなく、オーダーシャツも、ネクタイなどの様々な小物もすべてポンとキャッシュで購入する。そのときのあの喜びは今でも忘れられない。
はじめて自分がまともに採寸したスーツをこんなすてきな人が着てくれる、そう思うだけで芽は幸せだった。
おまけに、隼人との付き合いはそのとき限り、ではなかった。
できあがったスーツを引き取りにきた彼は「約束だからね」と今度はフルオーダーでスーツを仕立ててくれた。それだけではない。
お礼だと言って食事に誘ってくれたのだ。それ以降、プライベートで誘われるようになり、そしてはじめて会ってから一ヶ月経ったとき彼は芽に愛してると囁いた。
かっこいい隼人に口説かれて、芽もはじめは戸惑ったが、同性同士でもまったく嫌悪感はなく、ただただ彼との逢瀬を待ち望むようになり……いつの間にか恋に落ちていた。
身体の関係こそなかったけれど、恋人として付き合うように。
――だが、三ヶ月が経ったとき、彼と急に連絡が取れなくなってしまった。
百貨店にはお得意様向けの招待販売会がある。その販売会での客の購入金額がそのまま担当販売員の成績になる。自分が招待状を渡した客がその販売会で買えば買うほど、販売員のステータスが上がるのである。招待には一定額の購入実績が必要で、要するに金持ち向けの高額商品の販売会だ。特にホテルの宴会場にて行われる半期に一度の特別販売会は、その期の売り上げが左右されるほど百貨店にとっては大事な販売会だった。
その特別販売会に芽は隼人を招待した。実は隼人の購入実績は販売会へ招待するには全然足りなかったのだが、彼が興味を示したこともあり、上司に頼み込んで招待状を用意した。しかし、その販売会の後、隼人は姿を消してしまう。
電話には出ることもなく、メッセージアプリのメッセージには既読もつかない。
もちろん、芽は隼人を探した。彼の宿泊先、彼がオフィスにするために契約を決めたというテナントや不動産屋、すべてに足を運んだが彼の姿はない。芽の前から姿を消し……いまだに連絡もなかった。
悪いことは重なるもので、同僚が販売会の際に大きなミスをし、損失を出したのだが、それを芽のせいにされたのだ。あらぬ濡れ衣を着せられ、芽はもちろん自分ではないと反論した。だが、隼人がいなくなって動揺していたこともある。またもともと強く言えるタイプではない。結局反論しきれず、辞職に追い込まれることになったのだった。
仕事が向いていなかったからと自分を慰めたものの、やはり仕事を失ったショックはある。おまけに恋人の行方もわからなくなってしまい失意のどん底に落とされた。
けれど、退職したことで時間はできたため、だったらと恋人を捜すために上京することにしたのである。
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