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第3話
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岡村が管理を任されているデートクラブのオフィスが入っているのは、港が見えるビルの高層階だ。表向きには交際クラブということになっているので、そのオフィスも下の階にある。
そして、ふたつを統括する『事務所』は、まったく別のマンションの最上階に設けられていた。中へ入るには、コンシェルジュのいる受付で毎月変わる暗証番号の入力を求められる。
最上階直通のエレベーターと事務所の入り口につけられた監視カメラは死角ができないように設置されていて、セキュリティは万全だ。
事務所に入ると、いくつかのデスクの他に書架が備えられている。雑然として見えるのも、擬態のひとつだ。デートクラブに関連する重要書類は、一枚も保管されていない。書類の在処を知っている人間も限られている。
部屋の中には、ヘッドフォンをつけた若い男がふたりいて、それぞれがデスクに置かれたパソコンに向かっている。岡村が入っても素知らぬ顔でヘッドレスト付きのイスにもたれていた。
いつものことだから気にせずに後ろを通る。いきなり、がしっと腕を掴まれた。
「ロロ・ピアーナ。サマータスマニアン。いい色。テーラー変えた?」
ヘッドフォンをはずした男は、まだ少年のような目をきらりと輝かせた。
「いつもと同じだよ。留学帰りの息子が担当したけど」
「それだ。ステッチどうなってんの? 採寸もやり直した? っていうか、太った?」
「うるさいよ、おまえは」
ジャケットのボタンをいそいそとはずされ、笑いながら指を払いのける。ジャケットを脱いで渡し、奥にある部屋へ向かった。
ノックをして中へ入る。窓のない部屋に、ドアがもうひとつ。
狭い室内はゴシックなアンティーク家具で埋め尽くされ、向かい合わせに置かれた亜麻色の大きな革張りソファが空間のほとんどを占拠している。その後ろには存在感のある大きなデスクが置かれていた。
「北見(きたみ)さん」
声をかけると、手前のソファの背もたれに乗った靴下が揺れた。片方だけ、足があがっている。近づいていって覗き込むと、胸の上で両手を組んだ細面の男が億劫そうに片目を開いた。
「……うん。そんな時間か。ジャケットは、どした?」
また目を閉じ、両手で顔をこする。
ボタンをはずしたワイシャツに、毛玉のできたジャージパンツ。ちぐはぐな格好のせいで、さらに疲れて見える。
「追い剥ぎに遭いました」
「また新調したのか。金が余ってるな」
笑いながら、ゆっくりと起きあがった頭には寝癖がついている。年齢は四十代前半だが、飄々とした表情は若い。
北見雅彦(まさひこ)。デートクラブの支配人であり、交際クラブの総支配人でもある。立ちあげの頃からのメンバーで、前歴は整形外科医だ。
「寝てないんですか」
「敬語やめろー、って言ってんでしょ」
おどけた調子で睨まれる。
「貫徹麻雀だよ。どこかの誰かみたいに、お兄ちゃん譲りの絶倫かますような甲斐性ないからねぇ」
「してませんよ、そんなこと」
「またまたぁ。よく言うよ」
「負の遺産は整理しましたから」
岡村の答えに遅れて、ノックの音が響く。ドアが開き、デスクに座っていた男たちとは別の若い男が顔を見せた。色を抜いた髪に、眉を細くした派手な顔立ち。イマドキのイケメンだ。
「起きてくださいよー、北見さぁーん。あ、岡村さん。もう来てたんですか」
「起きてるよー」
ソファの背に身体を預けた北見がひらひらと手を振る。
「じゃあ、あのジャケット……」
と言いながら振り向くより早く、若い男の脇をすり抜ける影がある。岡村のジャケットを腕にかけて、つかつかと歩み寄ってくるのは、隣の部屋で追い剥ぎをした男だ。
「胸、計らせてください。あと、腰と」
巻き尺をシャッと伸ばし、うんざりしている岡村を無視して胸囲を計り出す。
「おー、すっげ、成長してる。腰は……、こっちもやってんですね。腹筋……」
「やめろ」
ワイシャツを引きあげられそうになり、男の肩を押しのける。相手は不満げにくちびるを尖らせた。
「岡村さん、これ以上は鍛えない方がいいですよ。特に、胸囲は自然に任せた方がいいです。あと、できればヒールを一センチ増してくださいよ。バランス取れますから」
「いいんじゃないの? もうじゅうぶんカッコいいんだから」
ドアのそばで腕を組んだイマドキのイケメンがあきれて笑う。巻き尺を手にした男は眉を吊りあげた。
「嫌です。岩下さんに見劣りして欲しくない」
「あの人と比べられても……」
ひとり言を口にした岡村も、振り向きざまに、ギロッと睨まれた。
成り行きを眺めていた北見が笑いながら間に入る。
「いいから、コーヒーでも作ってきて。ジャケットは置いていけ」
言われた男は、ジャケットをコート掛けのハンガーに吊るした。丁寧な仕草だ。出ていく間際、くるりと振り向く。
「岡村さん、今度も同じ人に頼んだ方がいいですよ。岡村さんは岩下さんより若いんですから、若い人の感性で作ってもらった方がいい」
そう言い残して、部屋を出ていく。
「あいっかわらず、マニアだな」
ドアを閉めたイマドキのイケメンが肩をすくめた。デートクラブのスカウト総括を務める仲(なか)洋平(ようへい)は二十代半ばだ。ここに住んでいる。北見と、隣の部屋のふたりも一緒だ。
「岩下さんには見向きもしなかったのに、不思議」
「あいつは完成されてるからな」
岩下とは長い付き合いの北見は軽い口調で笑った。
「まぁ、岡村さんは変わりましたもんねー」
仲が答える。北見は首を傾げた。
「それともさ、単なる好みの問題かもしれないな。似てるようで、違うから」
「あいつ、その気(け)はないでしょ」
「スーツフェチなんだよ。女とやってても、スーツの匂いがないとイケないとか言ってたしな」
「あー、岡村さんのスーツも嗅いでますもんね」
「え……」
岡村が固まると、仲はひょいと肩をすくめた。
「仕事の話、しましょうか。新しいのを二、三人見つけてきたんで、どこに振るかを決めてください。VIP用のいいのも、やっと見つかりましたよ。そっちからいきます?」
言いながら、部屋の壁添いに置かれたチェストの引き出しをガサガサ漁る。ふらりと立ちあがった北見がテーブルの上にラップトップを置いた。
仲が封筒を手に振り向く。
「えっと、今回は三人ですね。男がふたりと女がひとり。さっき言ったVIP用は男。この子です」
岡村に向かって写真を示し、北見にはUSBメモリを渡す。
会員制デートクラブの中でVIPとして扱われているのは、金と地位を持て余し、さらに付加価値がついている客だ。たとえば、政治家・実業家・警察官僚。リストの存在が外部に流れただけで一大事になる面々ほど人に言えない性癖がある。彼らの欲望を満たすためには、ただの売春婦ではダメなのだ。
二年前に引退した売れっ子男娼のユウキが抜けた穴は、いまだに埋まっていない。外見と頭の回転の良さに加え、変態行為に耐える体力と精神力が必要だから、そんじょそこらの『アバズレ』では務まらない。
仲の示したスチール写真の中に収まった少年は、すらっとした細身の美形だった。黒目がちの瞳に憂いがあり、横顔にもムードがある。要求した表情を作ったのだとしたら、演技力はよほどのものだ。
「イケてるよな。色白なのは、ライトの効果?」
ラップトップを操作していた北見に問われ、
「いや、元から。きれいな肌をしてますよ。『実技』の映像もあるので」
仲が答える。ものは言いようだ。要するに、実技テストと秘密漏洩を防ぐ目的で、スカウト担当が味見をしているセックスビデオだ。
「北見さん、見たんですか」
岡村の問いに、北見は首を左右に振った。
「いいや、初見」
再生ボタンが押され、編集済みの盗撮映像がラップトップの画面いっぱいに流れ出す。いまさらドギマギすることもない、見慣れた性行為だ。キスから始まり、フェラチオに移行し、そのまま本番、もしくは素股がいつもの流れだ。
「ビデオの映りもいいな」
北見が感想を口にする。確かに映像映えする容姿だ。色白かどうかはわからないが、どの角度も悪くなかった。
ただ、岡村には引っかかるものがある。どこかで見た気がするのだ。
仲が手を伸ばし、音量のボタンを押す。
「あとは、声がいいんですよ。エロくて。バカみたいに喘ぐわけじゃないのが、よくないですか? 病気もないし、頭もいいです。これで処女なら、最高だったんだけど」
「いやいや、このレベルで処女は反対にヤバイ」
仲と北見のやりとりを横に、岡村はひとり、息を呑んだ。
押し殺した声を聴いた瞬間、体温が急激に上がり、動悸が激しくなった。既視感の出どころに気づく。
佐和紀に似ているのだ。
容姿じゃない。声だ。息遣いのリズムが、岡村の記憶を無理やり呼び起こす。
「どこの子?」
停止のボタンを押し、岡村は仲を振り返った。胸のざわつきは収まらないままだ。
「素性調査はまだ完璧じゃないんですけど。学校はK応で。名前は知世(ともよ)、だったかな」
「上は『原田(はらだ)』?」
北見がすかさず口を挟んだが、
「なんでですか。えっと、『いち、ば』って名字で」
若い仲に、さらりとスルーされる。完全なジェネレーションギャップだ。
「洋平。書類、見せて」
表情を引き締め直した岡村は、スラックスのポケットから携帯電話を取り出す。
渡された書類を手にして電話をかけたのは、組事務所だ。出てきた構成員に、別の男を呼び出してもらい、書類に書かれた『壱羽(いちば)知世』について照会を頼む。
パソコンを叩くわずかな時間を置いて、答えはすぐに出た。
「ダメだ。うちでは使えない」
電話を切って、仲に言う。
「北関東の、壱羽組の次男坊だ」
「ん?」
仲は首を傾げ、北見が手を打った。
「あぁ、長男がアレな……」
「なんですか、それ」
「壱羽さんとこの長男は、ちょっと頭が弱いんだよ。組長の父親は去年、よその組長の代わりに代理出頭して刑務所の中だ。組は長男の嫁が仕切ってる。確か、借金を返すために裏風俗へ入ったんだよな。違った?」
「詳しいんですね」
岡村が説明する必要はなにもなかった。
「小耳に挟んだ程度だよ。一時期は、長男を男嫁に出そうとしてるなんて話もあったって。いい嫁ぎ先がなかったんだろうな。弟もこんなにきれいな顔してたとは……。まぁ、身元も動機もはっきりしてるし、バイトさせるぐらいならいいんじゃないですか。金がないんでしょう」
「いや、ダメだ。いまどこにいる?」
北見に首を振ってみせ、岡村は仲へ尋ねた。
「面接ってことで、下の部屋に待機させてますけど……。えー、絶対VIP採用だと思ってたのに。期間限定とかダメですか」
「冗談だろ?」
作り笑いを向けると、仲がくちごもる。
裏に誰がいるか、わからない。もしもヤクザが絡んだ騒動になれば、責任を取りに出てくるのは岡村の兄貴分だ。そうなれば、岡村だけでなく、北見と仲も連帯で責任を取らされるだろう。そういうときの岩下は容赦がない。
「俺が直接断る」
岡村が言うと、
「それがいいかもね」
賛同した北見が立ちあがった。
「シャワーを浴びて着替えます。残りのふたりについては後で見ますから、岡村さんは先にチェックだけしておいてください」
「うぉ~、イチ推しだったのに……」
髪をかき乱した仲が、しゃがみ込む。
「また頑張って~。そろそろリミットだよ~」
北見が笑いながら部屋を出ていき、仲はますます髪を乱す。
その騒がしいところが、世話係のひとりである三井に似ている。だから放ってもおけず、岡村は指先で髪をくるくるともてあそんだ。
「慰めてるんですか? からかってんですか?」
じっとりとした恨みがましい目を向けられ、岡村はおかしみを感じる。どっちでもあり、どっちでもない。
「さっさと使える上玉、探してこいよ」
笑いながら言うと、仲はますます拗ねた目になった。
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