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第4話

 残りのふたりは問題なくデートクラブでの採用となり、研修へ回す段取りをつけた。  身繕いを済ませた北見と岡村はエレベーターに乗り、中層階へ向かう。 「照会が至らず、ご迷惑をおかけしました」  ノータイのカジュアルなスーツを着た北見は、礼儀正しく敬語を使う。さっきまでの薄ぼんやりとした所帯臭さがまるで嘘のようだ。 「岩下なら、どうしたと思う」  岡村は敬語を引っ込めて尋ねる。 「同じですよ。俺の下に恥をかかせないのがいいところだから。仲にはよく言っておきます」 「あんまり焦らせるなよ」 「そう言ってるんですけどね……」  北見は重いため息をつく。二年前に抜けたユウキの後釜を狙った男娼が、意気込みからは程遠く、あっさりと心を病み、VIP向けの男娼は手薄なままだ。中堅レベルは数人いるが心もとない。仲が採用を焦るのも無理はなかった。 「壱羽の次男坊。地元では『白蛇』って呼ばれてるらしいですよ」  ぼそりと言われ、岡村は斜め前に立つ北見の肩を見た。 「もしかして、長男を採用しようとしたことがあったんですか」 「敬語。下の階では出さないでくださいよ」 「……わかってる」  岡村が言葉を戻すと、肩越しに視線を向けてきた北見がにやりと笑う。 「岩下に対して金の工面を頼んでいたのはご存知じゃないですか? 父親が」 「それは、もちろん知ってる」 「その前から愛人にしてくれって話はあったんですよ。内々に」 「まさか」 「面接代わりの味見はしたと思うけど。好みじゃなかったんでしょう。とにかく採用には至らなかった」  岩下はシビアだから、理由はいくつも考えられる。  ただ顔や身体がきれいなだけでは商品にならない。特にVIP向けの接客は、高度なバランス感覚が必須だ。嘘を真実と思い込み、その裏で偽りを受け流す度量がなければ、精神崩壊まで一直線になる。 「弟の方もそのときに?」 「それはないですよ。当時、中学生だったはずだから」  シャワーついでに記憶をたどったのだろう。北見が続ける。 「なにかとからかいの対象になる兄貴を守って、ケンカ三昧だったって話で。報復のしつこさと色白なのをかけて、『白蛇』って呼ばれてたらしいですよ。手を出したら祟られるって噂もあったらしくて。……岩下も、こっちが年頃だったならって言ってたかな。俺もそう思った」 「推してます?」 「気が変わったら、いつでも言ってください」  エレベーターが指定階に着く。マンションはいくつかの棟に分かれていて、それぞれにエレベーターがある。ホールは左右に伸び、部屋は左右にそれぞれ一室ずつ。ふたりは右側へ向かった。  部屋のチャイムを鳴らすと、先に降りていた仲が顔を見せた。  迎え入れられて、北見が先頭に立つ。部屋の中はホテル同様、土足OKだ。広い玄関から、幅にゆとりのある廊下を抜けて両開きの扉を開く。リビングのソファセットに腰かけていた少年が立ちあがった。  書類によれば、年齢は二十歳。今年、成人式を迎えた新成人だ。写真で見るより、実物の方が何倍も雰囲気がいい。  色素を抜いた明るい茶髪が、白い肌とあいまってフランス人形のように印象的だ。繊細な顔立ちをしていて、すっきりとした鼻梁はやや低く、頬に丸みがある。 「はじめまして。壱羽知世です」  はっきりと名乗ってから会釈をする。物怖じしない目が、北見を捉え、すぐに岡村へ向く。  ふたりの立場を瞬時に見抜いたのが、瞳の輝きでわかった。  ゆっくりとしたまばたきは、緊張しているようにも見え、同時に演技にも思える。潤んでいるような黒目がちの瞳を向けられた岡村は、無表情に相手を見つめ返した。  事務所で聞いた喘ぎ声を思い出すと、尾てい骨あたりがうかつに痺れる。佐和紀の媚態を脳裏から追い出し、知世をあらためて値踏みした。  シンプルなサマーニットに綿パンを穿いた知世は確かにきれいだ。でも、佐和紀のような蠱惑的な色気はなかった。なんとなくホッとしながら、北見を一歩下がらせる。 「壱羽組の次男坊だな? 大滝組の岡村慎一郎だ。ここを誰に聞いた」  出し抜けに聞くと、知世は岡村の背後に控える北見と仲を交互に見る。 「……スカウトされて」 「それは手違いだ。わざわざ足を運ばせて悪かった。採用はできないから帰ってくれ」 「どうしてですか。問題があれば直します」 「系列の組の、しかも組長の息子に身体売らせたなんて。噂が立つと迷惑だ」 「言いません」 「噂は火のないところから立つ。痛い腹があれば、なおさらだ。兄貴の嫁がいい例だろう。学習能力はないのか」 「……だから、金がいるんです」 「兄貴のところに、子どもでもできたか」  岡村の一言は図星をついたらしい。知世の表情は見てわかるほど厳しくなる。 「もう義姉さんに苦労はかけられない」 「そこにもツテはあるだろう」  裏風俗で働いていたなら、知世が稼ぐためのゲイ専用店もあるはずだ。 「ここが一番稼げるって聞いたんです。それに……支度金が出るって」 「タチの悪さについては聞かなかったのか。……座れ」  あごを動かし、続けて仲へ目配せを送る。 「現金を持ってきてやれ」  命じると、仲は驚きもせずに腰をかがめた。短い返事を残して部屋を出る。  岡村と北見がソファへ腰かけると、知世はようやく向かい側に座った。 「雇ってもらえるんですか」 「それは無理だ。金は面接の交通費とでも思えばいい。ビデオは消しておく」 「あれはお金になりませんか」 「いま、百万を用意させてる。まだ足りないか」  岡村の返事に、知世の細い肩がびくっと震えた。目が丸く見開かれる。 「……そんな金額、場末でウリやってるだけじゃ、返せません。利息だって」 「いい。持って帰れよ。それで、すべてを忘れろ。ここのことも、ここが誰の持ち物かも。他言するなよ」 「……。岡村さん、でしたよね?」  ごくりと喉を鳴らし、知世は膝の上で拳を握る。 「冴えないかばん持ちだって聞いてたけど、違うんですね……」 「見たままだ」  自嘲して答えると、知世は息を吸い込みながら顔を上げ、視線が合うと慌ててうつむいた。黙っていた北見が口を開く。 「冴えないかばん持ちが預かってる店なら、簡単に潜り込めるって言われてきた?」  陽気に笑いながら続けた。 「残念だけど。大滝組若頭補佐譲りだからね。隙はないよ」 「そんなつもりじゃありません。お金は、ちゃんと返します」 「それも迷惑な話だ」  岡村の言葉に知世の肩が揺れる。 「妙な繋がりは持ちたくない。今回のことはこっちのミスなんだ。どうしてもと言うなら、金を持ってきた男と寝て帰ればいい」  立ちあがると、つられたように知世も腰を浮かせる。 「あなたじゃ、ダメですか」  必死の声で言われ、岡村は動きを止める。視界の端で、北見が目を丸くしていた。 「冗談じゃない。男を抱くのに金なんて払わない」  顔を歪めて部屋を出ると、北見が追ってきた。エレベーターホールで仲を待ち、あとの始末を任せて事務所へ戻る。 「一目惚れ、って顔してたなぁー」  最上階のボタンを押した北見が、エレベーターの壁へ背中を預けた。顔を覗き込まれた岡村はうんざりと視線をそらす。 「岡村さんは、岩下をモデリングして仕事してるだろ。相手のさばき方も見てきてるんじゃないの?」 「中途半端だって言いたいんですか」 「いや、まだまだ惚れられる自覚がないんだなぁと思ってさ。あいつはモテて当然ってヤツだし……、節操なかったもんなぁ」  笑った北見は懐かしそうに目を細め、岡村の肩へと手を伸ばした。ポンッとスーツの肩を叩かれる。 「そろそろ、オリジナリティを出していい頃だ。あんた、元からカッコいいんだよ。それは岩下も認めるところじゃないか」 「なにを言いたいのかわかりません」 「百万もの金を渡した相手がどうなるか、知ってんでしょ? それさ、岩下に言われてあんたが渡すのとは、もう意味が違うからね。……あの子、仲と寝て帰るかな。その度胸はあるだろうけど……」  含みのある表情で肩をすくめ、北見は首を傾げた。 「寝たら、あとくされのない金になるもんなぁ……」  エレベーターの天井を見あげ、もう一度肩をすくめた。

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