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第6話 噛みまくったアト

「おはよーございます」 「!」  職員室に入った瞬間、わかりやすすぎるくらいに郁登が肩を揺らして緊張した。そのまま飛び上がって椅子から転がり落ちそうなくらいに、ギクシャクと身体を動かして、運動神経抜群の体育教師には見えない。 「お、おは、おはは」 「林原先生?」  笑うのを堪えるのが難しいくらいに噛みまくっている。  顔、真っ赤。ここにいる先生方で誰一人として、俺達があの飲み会の後にセックスして、朝を一緒に迎えたなんて思いもしないだろうけれど、ここまで郁登が過剰に緊張していたら、何かあったんだとは思われるだろう。 「ちょちょちょ」  おはようございます、ちょっといいですか? そう言いたいんだろう。郁登が俺を職員室から連れ出そうとした時だった。 「アハハ、林原先生、噛み過ぎっすよ」  郁登の肩をバシバシ叩きながら、ジャージ姿の体育教師仲間、大嶋が朝っぱらから大笑いをしている。まさに体育教師って感じの坊主頭に、大きな口と日焼けした肌。飲み会の席でもかなりおおはしゃぎしていた。今にも腹踊りを始めそうなくらいで、Tシャツ姿でずっと色々な席を渡り歩いて騒々しかった。一番苦手なタイプでもあるし、きっと向こうも同じように思っている。  噛み過ぎなほど動揺している郁登にかまわず、飲み会の後、どこに消えたんだと、一番訊かれたら困る質問をぶつけていた。案の定、どう答えたらいいのか迷っている郁登は口をパクパクさせて、一番怪しまれない言葉を探している。 「俺がちょうど帰る時だったんで、送ったんですよ。っていってもタクシーで相乗りさせてもらおうと思った、のほうが正解ですけど」  助け舟を出してやると、郁登の代わりに俺が答えた事が不服だったのか、あまり納得出来ていない大嶋先生の後ろで、またとてもわかりやすい安堵の溜め息を零している。鈍感らしい大嶋先生はそれには気が付かず、体育教師グループと他にも何人かであの後、ボーリングで朝まで盛り上がったのに、どこかに消えてしまったから、一緒に出来なかったと、悔やんでいた。  そっちは朝までボーリング、こっちは朝まで、今、この場にいる金沢先生とセックスしていました。それを隠したくて、でも嘘はあまり得意じゃないらしい郁登は、どんな顔をして大嶋先生の話を聞いていればいいのかわからずに、困っていた。 「すみません、林原先生ってD組の副担でしたよね。音楽のプリントを渡し忘れた生徒がいて、ちょっと渡して欲しいんですけど」 「え、あ、はい」  ホッと息をひとつ吐いて、素直に何も疑わずに手を出している。そんなんだから、部屋に連れ込まれて、隣の席の教師に襲い掛かられるんだぞって思いながら、机の上で、その渡さないといけないプリントを探すフリの芝居をしていた。  キョトン顔なのは郁登だけじゃない。大嶋先生も同じように、何のプリントだろうと、俺の手をボケッと呆けた顔で眺めている。体育教師って皆が皆、こんなに素直な生き物なんだろうか。 「すみません、ちょっと音楽準備室かも、一緒に取りに行ってもらえます?」 「え、ええ、いいですけど、そろそろ朝の打ち合わせが」 「すぐなので」  いってらっしゃいと素直に見送る大嶋先生を置いてけぼりにして、俺と郁登は職員室を出ると、そのまま少し離れた音楽準備室……にはいかず、職員室の隣にある、進路相談室へと入った。 「え? あの、プリントは?」 「あるわけないでしょ。音楽のプリントって何なんですか? それに生徒ひとりにだけ渡しそびれるわけないでしょ」 「んなっ! 休んだ奴のかと思ったから!」  本当に素直だな。よくこれで大人だと感心してしまうくらいに、人の言葉をそのまま受け取るらしい。 「それで? 郁登、俺に話があるんじゃないの?」 「! そうだった。あの、これ!」  何かを思い出して、慌ててジャージの腹を捲って、もう片方の手で、Tシャツの襟口をぐいっと下げて、鎖骨辺りを見せびらかしてくれる。 「……何? 半裸なんて見せて、もしかして朝一から誘ってる?」 「んなっ! 馬鹿なんすか! これですよ! これっ!」  腹にも数箇所、そして鎖骨にも同じように数箇所、赤く鬱血した痕が残っている。 「これ、金沢先生がつけたんすよね!」 「キスマークですか?」  必死に頷いている。朝一番に慌てて、テンパって、何を俺に言いたかったのかと思えば、無数に残ったキスマークへの苦情だなんて、本当に可愛いな。別にキスマークを今までつけられた事がないわけじゃないだろう。男とのセックスは初めてでも、女を抱いた事くらい、少なくとも一回はあるだろうし、あのキスの仕方からして、彼女だっていたはずだ。そんな痕、珍しくもないだろうに。 「夜、風呂場で叫んじゃったじゃないすか!」  つまり朝飯を食って、家に戻って、夕飯を済ませ、風呂に入るところまで、ずっとこの人は気が付かずにいたって事だ。  わざとだけれど、鎖骨に付けたキスマークのいくつかは、襟口の広い服を着ていれば見えてしまう。それにずっと気が付かずに過ごして、どこかで無邪気に笑いながら、キスマークを見せびらかしている姿を想像すると、つい笑いが我慢出来そうにない。 「なっ何笑ってんすか!」 「ごめんごめん、だって」 「もう、からかって苛めて、楽しいですか?」 「楽しいよ」  素直にそう返答したら、怒って詰め寄ってきたから、いまだとばかりに捕まえた。 「ちょっ! マジで本当に力強ぇーって」  怒っていつもの教師らしい言葉使いじゃない郁登にゾクゾクする。 「鏡で全部チェックしました?」 「え?」  腹も、鎖骨も確かに付いているけれど、そこよりももっと無数にキスマークが赤く花を散らすように残っている場所がある。乳首と尻、太腿……郁登が歯を立てられて、甲高く啼く場所にはより多くの痕が残っている。それを教えるように胸に手を当てる。乳首を掠めるように、意識して掌を滑らせて、尻を撫でた。 「んあっ!」 「……こんな所で二人っきりになったら、危険だって覚えたほうがいいですよ。もちろん、覚えないでいてくれたほうが俺は嬉しいけど」  キスだけで股間を熱くさせる、感度の良い郁登は、こんなささやかなふれあいにも身体を跳ねさせている。 「せっかく忘れてあげたのに、郁登がほじくり返してる」 「お、おれはっ!」 「それを言うなら……ほら」  シャツにネクタイ、いつもの服装だった俺は、教師には不適切なくらいにネクタイを緩めて、釦を外して、自分の上半身を乱した。 「郁登の歯型、たくさん残ってるよ」 「!」 「イきそうって喘いで、俺の肌に噛み付いたでしょ? 背中には爪で引っ掻いた痕だってある。風呂に入って沁みるから、ゾクゾクした」 「!」  貫かれて揺さ振られる度に自分からもその杭を飲み込んで、刺激を得ようとしがみ付いて腰を振っていた。セックスに夢中で傷を付けられた俺も気が付かなかったけれど、けっこう官能的に無数に残っていた。 「す、すみません」  素直な郁登は自分の可愛らしいキスマークよりも、無残に見える俺の肌の傷に、本当に申し訳なさそうな顔をしている。そこまで痛いわけじゃないし、なんだったら、この傷跡にさえ興奮出来て、こっちとしては楽しいのだけれど、郁登の反省の仕方は、これをネタとして脅しの材料に使えそうなんじゃないかと思えるほどだ。 「けっこう痛いけど……」 「え? それじゃあ……どうしよ、本当にすいません」 「キスひとつで許してあげよう」  痛いのは冗談だと教えるために、わざとからかう口調でそう言って、目を瞑って笑っていたら、「人をからかって!」と怒りながら、俺が目を瞑っている間に、この密室から逃げ出してしまった。 「……残念」  わざと今だけ逃がしてあげたけれど、全然、全く、俺の腕から逃れられていないって、まだ郁登はわかっていない。

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