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第18話 体育の先生と音楽の先生

 セックスした。  アルコールで痺れた頭だったわけじゃない。ただの興味本位でもない。お互いに欲しいって思って、感じ合いながらセックスした。 「――寝ないの?」  ベッドの中ですでに寝ていると思っていた郁登が顔を上げることなく、布団の中からそう呟いた。 「郁登こそ、寝てなかったの?」 「……」  女とセックスの最中にどんなに盛り上がって、終わって、出すものを出したら、スッキリした疲労感は味わえても、こんな甘くて痺れる、まるでしている最中みたいな感覚は残らない。  キスがこんなに気持ちイイって思ったことはない。唇を離すのが名残惜しいなんて、心底思ったのは初めてだ。  世界が変わって見える。触れるものの感触が違っている。そんな浮かれた自分が楽しくて、寝るのがもったいないなんて思っていた。まるで子どもみたいに。 「俺は音楽だからいいけど、郁登は体力いる仕事なんだから、寝たほうがいいよ」 「……」 「郁登?」 「……い、いいのかよ」 「何が?」  うつ伏せで、俺の枕に顔を押し付けている郁登の声は、全部がその枕に吸収されてしまって聞き取りにくい。しかも顔が見えないし、声はセックスの時みたいに甘い響きが混ざっていないし、かといって、昼間に職員室で聞くような素直で屈託のない、明るい声でもない。だからどんな顔で、どんな気持ちでそう呟くのか、わからなくて、覗き込むようにしながら、寝そべっている郁登の上に覆い被さった。体重を掛けずに、両サイドに手をつくと、少しだけ揺れたベッドに郁登の身体がピクッと反応した気がする。 「郁登?」 「お、俺……」  振り返った郁登は唇を尖らせて、なんでか怒ったような顔をしていた。でも頬が赤いのが暗い中でもわかるから、本当に怒っているわけじゃない。つまり―― 「照れてんの?」 「んなっ!」  本当の郁登は素直なんかじゃないらしい。スクスクと日向育ちの部分は、まさに外面なだけ。本物はそんなに可愛い素直な生き物とは違うみたいだ。 「ヤ、ヤバいかもしんない」 「何が?」 「あんた、怒らなそう、とか思って、俺が我儘になりそうなんだけど」 「いいじゃん」  そのほうが可愛いよ。膨れっ面で、すぐ拗ねて、キスが好きで、セックスの刺激に弱い郁登。 「明るくて、素直で人気のある体育の林原先生は、セックスの時に乳首を弄られると、すぐに感じちゃう可愛い人ですって」 「ちょ! バカ! まるで俺を変態みたいに!」 「アハハ、いいじゃん、ものすごく俺は嵌っちゃったけど」  起き上がって、襲い掛かって来る郁登に簡単に押し倒された。でかい大人の男がふたり、ベッドの上でじゃれ合っている、しかも深夜に。それを冷静に判断出来ないくらいに、浮かれている自分がちょっと楽しい。 「ほ、ホントに?」 「……本当だよ」  いいのかよ――いいよ、っていうか、こっちこそもう離してあげないけどいいの? って訊くべきなのに、訊かないズルさなんだけど? 「素直じゃない郁登に、やらしいくせに、それを今は隠す郁登に、ものすごく夢中だよ」 「……」 「あんなにセックスしたのに、今、ディープキスしたら、もう一回させてくれそうな、そんな郁登に夢中だ」 「んなっ! そ、そんなわけっ!」 「そう?」  深夜にデカイ声で叫びながら、形勢を逆転されてしまった郁登は、組み敷かれて、さっきは体重をかけずにいた、俺の腰を押し付けられて、小さく「ァんっ」って喘ぎ声を上げてしまう。反応しそうになる、っていうか、反応しかけている自分のそこをどうにかして隠そうと、一生懸命に腰をずらしている姿が可愛い。  男なのに、その言葉はもう数え切れないくらいに、頭の中で繰り返した。  男に欲情するだなんて、想像も出来なかったのに、今はいとも簡単に反応する自分がいる。きっとこんなのは郁登限定だろう。 「……あ」  確実に甘くなった拗ねる声に、ニコッと笑った。目を瞑ったりしたら、絶対にまた興奮が抑えられなくなる自分に呆れるけど、それを我慢するのも楽しそうって思う自分がいる。 「ひとりで寝るのが寂しかった、とか」 「そんな子どもみたいな事、思うわけないだろっ!」 「じゃあ……セックスで盛り上がったけど、冷静になってみて、本当にこれでいいのかって、俺が思い悩んでいるんじゃないかって、心配になった?」  ハッとした表情、嘘をつけない郁登は図星だって、その見開いた瞳で答えている。 「その悩みを抱えるのなら、普通、初めてのあの晩でしょ」  酔っ払っていたとはいえ、男相手にセックスしてしまったって、初回で悩むだろ。もし悩むんだとしたら。  でもそれすら俺は一切悩まなかった。勢いだけでセックスするのに、しかも初めて同性と……で、三回はやりすぎだよ。せめて一回目の後に冷静になる。  俺が悩んだとしたら、あんたが振り向いてくれないだろうに、どうやってこの片想いを処理するんだって事くらいだ。そしてそれすら難しそうな事に気が付いて、溜め息を零したくらい。 「郁登」 「な、何だよ」  今までだったら、ここで返って来る言葉は「なんすか」のはずだった。 「頑張ってね」 「は?」 「俺、自分でいうのもなんだけど、案外モテるんだ。恋愛も上手いほうだと思ってたんだけど……郁登限定でそうじゃないみたいだから」 「え?」  じゃなきゃ、追い掛けて来て欲しいってだけで、大嶋先生を巻き込んでまで、コンパを開いて、時間と待ち合わせ場所をあんな場所で言ったりしない。サラリーマンでも仕事場でコンパの打ち合わせなんてしないだろ。俺達の場合、その仕事場は職員室なわけだから、サラリーマン以上にダメなはずだ。 「俺、何度も言うけど、浮かれてるから」 「!」 「郁登の隣でずっと浮かれた音楽教師がいるって、けっこう大変だろうから、頑張って♪」  アハハって明るく笑うと、郁登が口をパクつかせながら、何か言葉を探している。 「なっ、な、健人、おまっ、なんかキャラ違う!」 「それは郁登もじゃん」 「涼しげでカッコよくて、ピアノなんか弾いたら、女子が騒ぎ立てる音楽の金沢先生って」 「爽やかで、ジャージもきっちりした服も似合う、茶髪で明るい体育の林原先生」  でも実際には、先生だって、セックスするし、キスに夢中にもなる。性欲剥き出しで激しく貪って、お互いの肌に印を残し合う。  眉をしかめている郁登を抱え込んで、そのまま倒れ込んだ。頭は冴えていたけど、実際、コンパ行って、片想いの相手をずっと待ち焦がれて、探してくれていたその姿に陥落させられて、身体が熱くて焼けそうな時間を堪能して、って、けっこうジェットコースターな半日に、横になればすぐに瞼が重くなる。 「ちょ、健人」 「んー……この抱き枕最高……」 「人を枕にすんな、んひゃっ! バカ! 変態!」  後ろから抱き付いて、目を閉じて、もう呼吸は寝息に変わり始めている。その最高な抱き枕をぎゅっと懐に仕舞いながら、乳首を指でわざと擦るようにした。 「イテテ」 「ちゃんと寝ろ!」  悪戯をした手を摘まれて、体育の先生に怒られてしまったって、耳をくすぐるように囁いた。 「音楽の先生のくせになんでこんなに馬鹿力なんだよ」  溜め息交じりにそう呟いた愛しい人を、更に強く抱き締めながら、誰よりも温かい抱き枕に、もう瞼が重くて包み込まれるように深い眠りに落ちていった。

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