19 / 61
第19話 二度目の朝
郁登と迎える二度目の朝は、初めての朝とは全然違っていた。
「ちょっ! 健人! おいっ! 起きろよ!」
まず呼ぶ時の名前が苗字プラス先生から、下の名前になった。
「んー……」
「んー……じゃないっ! 起きろって! アラーム止めただろ!」
慌てふためく……っていうのは同じか。あの時は男と、隣の席の先生とセックスしてしまったっていう事実と、身体で感じた名残に。そして今回は三十分以上、寝坊している教師ふたりが、遅刻かもしれないっていう、あってはならない事態に。
「ふぁ……おはよ、郁登」
「おはよーなんて呑気に言ってるばあ、んくっ!」
「イタッ! 林原先生、体罰反対」
ぶちゅっと朝のキスをしたら、思いっ切り拳を横っ腹に捻じ込まれた。
教師が遅刻なんて、冗談にならないと慌てて、ウロウロしようと思った郁登は、カクンと膝が笑って、ベッドから、前回同様に落っこちそうになる。それを腕で抱き止めて、とりあえずベッドの中へと引き戻した。
「大丈夫、車で飛ばせばいいんだし、朝食も車の中で済ませればいいし、郁登はここで着替えてて」
「……」
ベッドの上に転がった郁登の上から、冷静にそう説明すると、見る見るうちに頬をピンク色に染めていく。コーヒーを淹れて、トーストを合計四枚、あとは着替えて靴を履いたらお仕舞いだ。郁登のジャージとTシャツなら一晩かけて、洗って、乾燥かけて、ふわふわな状態にちゃんとなっている。
「健人と一緒に学校に行く……」
「そ、ダメ? 男同士だし、誰もそこまで想像しないでしょ」
「そ、そっか……」
これが男女なら簡単に結びつくだろうところへ、男同士だと結びつかない。その事実に郁登がどんな表情を見せるんだろうって、少し心配になった。障害物の多さなら、この関係はダントツに多いだろう。それに対して郁登がどう思うかって、覗き込んだら。
「!」
頬を少し染めて、まるで初恋みたいに恥ずかしそうにしている郁登がそこにいた。
俺は恐ろしい人に嵌ったのかもしれない。どこまでも俺を夢中にさせようとする、郁登に気が付かれないように溜め息を零しながら、ちょっと急いでキッチンへと向かった。
「あれ? 林原先生、ジャージ、昨日と同じじゃないっすか?」
「へっ?」
体当たりしても気が付かない。まるで象のような感じがしていた大嶋先生が、まるで女子のように繊細な観察力を持っているって初めて知った。
ジャージなんてそんなに劇的に何かが違うわけじゃない。白いジャージはたしかに目立つかもしれないけれど、逐一、他人が昨日何を着ていたかなんて、まるでゴシップ好きなOLみたいな観察力を皆が持ち合わせているとは思えないのに。しかも一番そんな繊細な部分を持っていなそうな大嶋先生が気が付いた。
「あーアハハ、そうでしたっけ?」
「そうっすよ、なんだぁ、案外ズボラなんすか」
「違いますよ!」
慌ててそこを否定しなくてもいいのに。必死になって、ほら洗剤の匂いするでしょって、ジャージの上をパタパタと仰いで、風まで丁寧に送って確認させている。
それをクンクンと嗅ぎながら、まるで洗濯洗剤のコマーシャルのように、爽やかな笑顔で「良い匂いだ」と感想を言っている。おかしなふたりの会話に、耳だけを傾けながら、俺は関係ないですからってフリを続けていた。別に今までと同じように接していて、問題はないだろうけど、あまり嘘が得意じゃない郁登に、今のこの状況で話しかけると、不自然なくらいに慌てるだろうから、そっとしておく。
「そうだ! 金沢先生っ!」
関係ないってフリを続けていたのに、まさかこっちに話が振られるとは思ってもいなかった。
「おはよーございます! 昨日はありがとうございました! 楽しいひと時を過ごせました!」
「アハハ、そうですか……」
おい、ここ、職員室だぞ。そう心の中でツッコミを入れながら、仕事をしているように手を動かして、話を早く切り上げるようサインを送っている。
「いやぁ、女子アナ! まじで可愛かったっすねぇ」
「アハハ」
「あっ! そうだ! あの金沢先生狙いだった子、いつの間にか消えちゃったって怒ってましたよ~二次会でも一緒に飲もうと思ったのにぃって」
いつの間にかって、ちゃんと大嶋先生には嘘だけど、理由を言っておいただろ。元々行く気なんてなかった二次会。もちろん、彼女に二次会でも一緒に、なんてニュアンスの話は一切していない。
それより、郁登のジャージが昨日と同じって事に気が付く、繊細さを持っているのなら、今、俺がその話をしたくないって雰囲気も察して欲しい。
「へぇ、女子アナの子が金沢先生を?」
真横にいる郁登に、そんなコンパの話が聞こえないわけがない。変なところに敏感で、それ以外は鈍感らしい、面倒臭い大嶋先生は、郁登の声色が変わったことにも気が付かず、ペラペラとコンパの説明を事細かにしてくれている。
どんな女で、ずっと俺の横にいて、どんな雰囲気だったか、大嶋先生の率直で、俺には迷惑な感想を楽しげに郁登に教えながら、あろうことか郁登にもコンパの誘いをかけようとしていた。
「いやぁ、女子アナ可愛いっす!」
学校の先生が、高校生みたいにはしゃいでどうすんだって思うけれど、もちろんそんな事に大嶋先生が気が付いてくれるわけがない。
「あっ! そうだ! 金沢先生の番号、教えちゃいました」
「「はぁ?」」
俺も郁登も同時にそう返事をしたら、目をパチパチとさせて、一瞬驚いたけれど、すぐに笑いながら「ハモってる」なんて言っている。
何、人の個人情報を勝手に披露してるんだよ。しかもそんなの拒否してしまえば済む事だったのに、郁登が知ってしまったから、小さな事が大きな事になってしまう。
「ちょっと! 金沢先生! 体育のプリント! こっちです!」
体育のプリントなんて聞いたことがない。それでも郁登はスクッと立ち上がると、俺の手を引いて、この場合は体育館に向かうっていう設定になるんだろうが。前回、郁登を連れ去る口実を作った時は、音楽準備室へ行くフリをしてすぐ隣の進路指導室だった。
「おーい、ふたりともぉ、朝の職員会議始まりますよ~」
呑気な声で俺達を呼び止めている、この事態に陥らせた張本人に、少しイラっとしながら、まぁ、こんなふうにヤキモチを妬かせられるのも楽しいからいいか、なんて思っていた。
「ちょ、郁、林原先生、こっち!」
本当に体育館へ向かっていた郁登の腕を引いて、すぐ隣の進路指導室へと連れ込む。
「……」
そんなに睨まれても、可愛いだけなんだけどな。
「連絡すると思う?」
「……」
「するわけないじゃん。郁登がいるのに」
「……」
色々、前回と重なる部分もある。慌てていた朝、それとこんなふうに朝の短い時間に、ふたりっきりになる進路指導室。
でもその重なった部分もそうじゃない部分も、お互いの気持ちが違うだけで、こんなにも色々変わってくる。
「女子アナ、可愛かったんだろ?」
「郁登のほうが数倍可愛いよ」
「そんなわけあるか」
それがあるんだよ。こんな密室にふたりっきりになった瞬間、学校って事も、教師って事も忘れて、襲い掛かりたいくらいに、郁登が可愛くて、ぞっこんなんだ。
「前回はしなかったけど、今回は、ね?」
ニッコリ笑って、抱き寄せて唇を重ねたら、郁登が思いのほか、積極的に舌を絡ませるもんだから、もうこのまま職員会議をバックれようかな、なんて不良教師みたいなことを考えていた。
ともだちにシェアしよう!