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第26話 二人目の俺

 朝日が黄色く見える……って本当なんだな。  何時頃にようやく眠れたのか、全然覚えていない。とりあえず、二度目のシャワーはちゃんと浴びようと思えるくらいに、激しいセックスをお互いに堪能した。俺が誘えば郁登が答えて、郁登が誘えば、俺が答えないわけがない。そうやってずっと体内に欲情の火種を抱えて、キスや愛撫でその火が大きくなる度に止められなかった。 「んー……」  俺が起き上がったことで、少なからず揺れたベッドに眉をひそめる。こんなふうに誰かの気配を隣で感じて起きた朝が、何回くらいあるんだろう。それだけでも嫉妬心が形を成してしまうのに、郁登の場合はその相手がひとりに限定される。 「涎、垂れてる」  クスクス笑われていることも知らずに、気持ち良さそうな寝息を立てていた。  学生の時から、ずっとあの元カノとしか付き合ってこなかった。この寝顔を、あの身体をそんな長い間独占してきたなんて、ズルいだろ。  俺はこんなに、セックスに窒息しそうなほど溺れた事はない。明け方まで、こんなふうに求め合ったことがない。 「んー……」 「郁登、健人って呼んでみて」  耳元にまるで呪文を唱えるみたいに、そう囁いて、もう一度、この名前だと自分の名を教えた。  郁登はむにゃむにゃと口を動かしながら、なんだ? って感じに眉をひそめて、しばらくしたら、眉間に入れた力を抜いて、またスーッと眠ってしまった。ここでもし、万が一、彼女の名前が出たらどうしようって思うと怖い。怖いから、聞かないで済むように、俺も寝るか、もうこのまま起きてしまえばいいのに、昨日、散々キスした柔らかい唇から目が離せなかった。 「……ぃ……」  その時、俺の願いが通じたのか、何か口の中でだけ寝言を呟いていた。  い? そう聞こえたけれど、彼女の名前は“美里”だ。み、だから、い、に聞こえたのかもしれない。そう思いながらも、目はやっぱりその唇に釘付けになってしまう。 「……んせいのくせに……と、のへんた……い……」  先生のくせに健人の変態、そう聞き取れたような気がする。 「ぷっ、俺って郁登の夢の中でもやらしい悪戯をしてんの?」  眉をひそめて、ごにょごにょと、たぶん俺の悪口を言っている。変態って呼ばれてしまうようなことをしているらしい。 「ん……」  夢の中で悪戯をされている郁登は、まだ何かを言いながら、柔らかく笑っている。  何、それ……なんでそんな幸せそうに笑ってるんだよ。ものすごく嬉しそうで、優しい笑顔を夢の中で誰かに向けている。そしてその笑顔はきっと、俺に向けられている。そう思ったら、もう死にそうに嬉しくて、鏡を見なくてもわかるくらいに顔が赤くなってきた。  口を自分の手で隠して、俺達しかいない部屋で、誰にもこの照れた顔を見られたくなくて、俯いていた。  困る、自分がこんなふうに照れるなんて、どうしたらいいのかわからなくて本当に困る。 「……あんたって本当に……」  呆れるくらいに可愛い人だな。  そっと、涎を垂らして寝こけている、俺の恋人に覆い被さって、額に触れるだけのキスをした。 「……」 「んー……」  まだ寝ている。あんたは知らないんだ。こんなふうに照れる事も、そっと優しく額にキスをするのも、俺は生まれて初めてなんだ。誰にも持ったことのない、この感情にどうしたらいいのかわからない、なんて知らずに、スヤスヤ幸せそうに眠っている人が憎らしいくらいに可愛くて、どうしようもないくらいに好きだと思った。 「あ、この卵焼き美味い」  ベッドの中でそう目を輝かせている。俺が生まれて初めて作った卵焼きは、形は崩れてしまったし、味もたいして美味くないのに、郁登は嬉しそうにパクついている。  こんにちは、が似合うような時間帯にようやく目覚めた郁登の髪は、教師とは思えなくらいに、愛嬌たっぷりに跳ねまくっている。爆睡といえるくらいに寝て起きて、そして、昨日の妖艶な姿はどこにもないくらいに、日向育ちの笑顔を俺に向けていた。あんな激しいセックスをしたなんて、思えないくらいに明るい表情に、まさかあれは夢だったんじゃないかと、思わず服を捲って確かめてしまった。  ベロンと服を捲くられて、前が見えなくなった郁登が慌てて身体を捩っていた。その胸にはちゃんと俺が付けたキスマークがあって、笑えるくらいにやらしい痕が散りばめられていた。 「野菜も食べたほうがいい、郁登」 「はいはい」  体育会系だからって、肉ばっかりじゃあるまいし、フライパンで炒っただけのウインナーと、形の崩れた卵焼き、それと米、味噌汁はベッドの上で食べるからあえて作らなかった。それを美味そうにパクつく郁登は無邪気なのに、その服の下にはあんなやらしい痕が残っていて、ベッドから起き上がるのも出来ないくらいに、激しかったセックスに腰砕けになっている。 「郁登、大丈夫?」  少しは反省してるんだ。少しだけど。 「……健人ってさ」  俺の質問は無視して、手づかみで卵焼きを食べて、その指をチュッと音を立てて咥えた。 「いっつもこんなふうに朝飯、作ってんの?」 「まぁ」 「ふーん……」  ここまでちゃんと朝飯を作ったのは初めてだ。いつもひとりの時はトースト二枚にコーヒーって決まっている。前に郁登がうちに来た時のメニュー、あれが俺の定番の朝食だ。卵や、野菜まで添えたような朝食は、彼女が家に泊まった翌日にしか食べない。 「甲斐甲斐しいんだな……」  不貞腐れている郁登は、指を咥えたまま、唇を尖らせていて、朝から何か色気を漂わせている気がした。 「もしかして、郁登、ヤキモチ妬いてる、とか?」 「は、はぁ? なんでそうなるんだよ!」  だってそうだろ、そんな顔して「甲斐甲斐しい」と不満そうに言っていたら、誰だってそう思う。  慌てて否定する郁登の指を口から出して、そのまま自分の口へと持って行く。パクッと咥えて、歯を立てると、痛いのか、それとも感じたのか眉をひそめて、息を詰まらせた。 「こんな朝飯を作ったのは初めてだよ。っていうか誰かに作ったことが初めてだ。じゃなきゃ、こんな不恰好な卵焼きにならないでしょ。そこまで不器用じゃないつもりだけど? セックスだって上手いほうだと思うし?」 「! なっ! セックスと器用、不器用は関係ないだろっ! っていうか、上手いほうとか俺にはっ!」  そう、経験人数がひとりの郁登にはわからないかもしれない。自分がどれだけ色気を俺に振り撒いているのか、その色気がどれだけ濃くて、どれだけの人間を惑わすのか、余所を知らない、俺が二人目の郁登にはわからない。  そして俺にとって、郁登が二人目じゃないって事にヤキモチを妬いている。自分以外にどれだけの女を抱いたのか、それを考えて、胸をチリチリと焼けるような気がしている。  でも郁登は知らないだろ? 二人目の俺には、一人目が独占してた長い時間、きっともっと若くて、幼い郁登から今までの全部を独占していた彼女に、焼けるような気どころじゃない。本当に痛いくらいに妬けているんだ。どっちが強いんだろう。比べるものじゃないって知っているけれど、それでも俺のほうが強く想っている気がして仕方がない。 「……好きだよ、郁登」 「誤魔化すなっ! 俺は健人の」 「好きだ」  これが“好き”って気持ちなんだとしたら、今までのはなんだったんだろう。そう思うくらいに、郁登が好きなんだ。  あんたと出会えなかった時間分をあの女から奪ってやりたいくらいに、全部が欲しいって思うんだ。

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