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第28話 青春ですね。
音楽準備室を出た瞬間に遭遇した生徒同士の揉め事。というより、市川翔麻のほうがかなり小柄だから、襲われかかっている現場って言ったほうが正解な気がする。
俺が貸したCDを大事そうにぎゅっと幼い胸に仕舞い込んで、それを見た、でかいほうがカッと顔を赤くして、ムキになってまで、そのCDを奪おうとする。力では絶対に敵わないだろう市川は、案外、強情なのか、でかいほうはその胸からCDを取り上げられずにいた。
「こらっ! お前ら何してんだ!」
さすが体育教師、咄嗟に厳しい声を張り上げると、廊下に響き渡るほどで、ふたりの生徒も反射的に身体を硬くした。
「市川! お前、今日、休みだったんじゃないのか?」
「これ、CDを返さなくちゃって」
「なんでたかがCDを返すくらいでわざわざ来るんだよ!」
「いいだろ! 後島(ごとう)には関係ない!」
ギリッと音がしそうなほど、歯ぎしりをさせているでかいほう、後島は言葉を詰まらせた。
あぁ……なるほど、わかりやすい奴だな。
「後島、市川が借りたCDをなんでお前が取り上げるんだ」
郁登……は、わかってないわけね。まぁ、そんな気がした。この天然というか鈍感というか、あまり物事を考えていない、身体を動かすのが一番っていう郁登だからこそ、俺はこの音楽準備室で喧嘩をしたわけだし。郁登らしいといえば郁登らしい。体育教師への偏見なんだろうけど、なぜか体育会系は基本頭で物事を考えない気がする。
そうか、だから身体の関係を先に作ったのは正解だったのかもしれない。気持ちがどうのって考えるよりも、セックスで、身体で感じたほうが、“好き”っていう感情がどこに向けられているのか、郁登みたいなタイプはスムーズにわかりそうな気がした。身体への刺激には素直に反応するから、あの境界線を越えてしまった郁登のエロは、まさに体育教師らしい、って事なのかも。
通常通りに、恋愛感情を持っている事に気が付いてからセックス、っていう手順にするのなら、それは恐ろしく時間がかかりそうだ。
まぁ、なんでもいい。どっちが先でも、今、こうやって、郁登を占領できるんだから、結果的に幸せだから、それだけでいい。
「ちょっと! 金沢先生!」
「!」
体育会系の思考回路について考えていたら、目の前の揉め事を完全に忘れてしまった。
喧嘩をしている最中の生徒ふたりを必死で止めようと頑張っている郁登の背中を、全く別の事を思いながら見つめていて、ただ見学しているだけになっていた。
振り返った郁登は何をしているんだって、頬を膨らまして怒っている。
「よかったのに、CD、今、返さなくても」
「てめぇ! 何言ってんだ!」
CDを奪われそうになる、そんなタイミングでどうしても返さなくちゃいけないほど、そのCDが今、必要なわけじゃない。そのつもりで言ったのに、一番、勝手に暴れて、市川を困らせている後島が一番なぜか怒っている。
今度は、制止しようとする郁登を飛び越えて、俺の胸倉を掴むから、さすがにちょっとムカついた。
「何も知らないてめぇが、口をっ」
「挟もうと思って挟んでるんじゃない。後島、お前が俺にやたらと突っかかるから、騒動みたいになってるんだろうが。市川は借りたCDをもう聞き終ったから返そうとしただけだろ? それをなんでお前がムキに」
「うるせぇ!」
頭に血が上ったイノシシみたいに暴れている。市川は自分のせいで大変なことになったって、おろおろしていて、可哀想に、こんな自分よりでかい奴が暴れたら、そりゃ避けたくもなる。
「いいからっ! お前はこっちに来い!」
そのまま首根っこを掴んで、音楽準備室へと放り込んだ。暴れまくっているイノシシは、いきなり放り出されて、怒鳴り散らしているけれど、俺はそれを完全無視で、チラッと郁登に視線を投げる。
市川は郁登が副担を務めるクラスの生徒だから、そのままそいつを帰らせるか、クラスに連れて行くか、どっちにしてもこのイノシシから遠ざけるように、俺から目配せをした。
「なんなんだよっ! てめぇ!」
「あのね、お前、一応、俺って先生なんだけど?」
「知るか! 生徒に色目使うような奴、教師じゃねー!」
色目を使った覚えはない。CDを貸したくらいに色目を使ったって言われるのなら、あんなやらしい乳首を晒して、水泳部の顧問なんてやっている郁登はもう完全に色目を使いまくりだろ。
「単細胞な奴だな」
その呟きを、ギャイギャイうるさいくせに聞き取った後島は、余計に怒鳴り散らしていた。
ここが完全防音だからいいようなものの、そんなにでかい声を出しまくって、疲れないんだろうか、なんて余計な事を考えてしまう。
「そんなじゃ市川、ビビるだろ。好きな奴をあんなビビらせてどうすんの?」
「はっはぁ? な、何言ってんだ、てめぇ」
「だから先生だろ。金沢先生。お前の顔を知らないから、俺が音楽受け持っていないんだろうけど、もうひとりの音楽の先生に言って、成績最悪にさせるぞ」
ふざけんな、不良教師って怒鳴っているけれど、自分の想い人を言い当てられたせいで、さっきのイノシシみたいな勢いがなくなって、どこかモジモジとしている。本当に単純だな。わかりやすすぎて、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。
いいから、と後島を座らせると、今度はシュンとして、でかくて大人のような肩を、まるで子どもみたいに小さくさせて俯いた。
なんか、おもしろいな……逐一反応する、玩具みたいに素直なところがおかしくて、本人にわからないようにしつつも、少し笑ってしまった。
「な、なんで気が付いたんだよ」
「いや、わかりやすすぎるだろ。俺のとこに来てわざわざCDを借りたのが気に食わないのに、そのCDを学校は休んでたくせに、昼に持ってきたのは俺に会うため、とでも思ったんだろ?」
「!」
市川も悪いとは思うよ。あんなふうに大事なものみたいに、CDを抱えていたら、単細胞なこいつはそれをそのままの意味に捉えるだろ。ただ、こいつがなんくせをつけてきたのが、市川は気に入らなくて、どうしても取り上げようとするこいつから、あえて絶対に渡さないって反抗しただけだ。
「それよりお前、男の市川を好きって事を簡単に認めてるけど?」
「あっ!」
あ、じゃない。普通はそこをまず隠すだろ。そして隠しながら、それでも好きって思うだろうに、こいつはもう突進しっぱなしで、好きっていう気持ちを隠す事を忘れているというか、隠す気がないっていうか。
自分も同性を好きなんだと言わないにしても、同じ穴のナントカって奴だから、「まぁ、いいけど」とその辺は気にするつもりはない。高校生だし、思春期っていうのもあるだろうし、フラれる確率のほうが高いだろうし。
そう考えると俺はかなり幸運だ。長年付き合っていた彼女がいた、そんなノーマルな相手で、しかも鈍感で天然な男を恋人にすることができたんだから。
「お前、そんなんじゃ嫌われるぞ。あんな怒鳴って、襲い掛かってたら」
「だって、接点なんてねーし、上手く話しかけられなくて、それでも話しかけたら、ビビられるし……どうしたらいいのかなんて、わかんねーよ」
不器用すぎるだろ、って思うけれど、ほんの少し前の俺はこいつとそんなに変わらない。元カノとヨリを戻したいんだと思い込んで、必要のない喧嘩をしたり、言葉が足りなくて、好きって気持ちを信じてもらえなかったり、気を引きたくて、コンパにわざと行ってみたり。今、思えば、ジタバタと恋愛に四苦八苦していて、高校生のこいつとさして大差なかった。
ニコッと笑って、どんなCDを聴いてるの? そう訊いてみればいいだけ。相手の興味のある事に自分も寄っていって、同意をすれば、向こうだって共感を得られたと話をしてみたいって思うのに。
でもそれが簡単に出来れば、誰も悩まない。目の前にいられるだけで、好きって気持ちで頭も身体もいっぱいになっていく。
「どうせ……無理だし」
「おい」
さっきまでの勢いがなくなったら、今度は限りなくネガティブになっている。なんて忙しい奴なんだと思っていたら、後島はハハと軽く笑って、自分の親指と人差し指を擦り合わせながら、下を向いてしまった。
「そんなのわかんないだろ。ちゃんとゆっくり話せば」
「ゆっくりなんてしてらんねーんだ。あいつ、シンガポールに行っちまうし」
まさに青春真っ盛りってやつだ。好きな相手はもういなくなってしまう。それなのに、告白も出来ずにただ気持ちだけがふくらんでいく。
大きな溜め息と一緒に幼い恋心も吐き出せたら、そんな静かで寂しそうな溜め息だった。
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