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第31話 青春真っ盛り

 廊下を歩いていたら、ぶっきらぼうに「おい」と、先生に声を掛けるには、ずいぶんと失礼な態度で呼び止められた。  振り返ると、でかい図体のくせに、目を泳がせて唇も尖らせた後島が、困ったようにモジモジとしながら突っ立っている。 「相談があるんだけど……」  思わず溜め息が零れた。  なんで俺に相談するかな、と思うけれど、好きな相手が女子なら、こいつだって俺になんて相談しなかっただろう。自分のクラスメイトに相談するには、内容が人を選ぶようなものだから、そう簡単には誰にも話せない。そしてひとりでどうしたらいいんだって、悶々と悩んでいたところに、俺が簡単に言い当ててしまったから、こいつだ! とばかりに相談してきた。 「進路指導室でいいか」 「え?」 「ここからなら、そこが一番近い」  単純な思考回路だな。俺が話を聞くのに選んだ場所が進路指導室だったもんだから、目を丸くして、「いや、相談事って進路じゃないから」とモロに顔に書いている。知ってるっつうの。  なんでそこを選んだのか、理由を添えると、なるほどと納得したらしく、それも顔にありありと書かれていた。  気になりだしたのは図書委員会で一緒になった、去年頃からだった。クラスは違うし、運動部には所属していない、身体も華奢でどう見ても文系って感じの市川とは、それまで一切話をする機会はなかった。顔くらいなら見かけた事があったけれど、それだって名前をフルネームでパッと出てくるほどに面識があるわけじゃない。一学年の生徒数はかなり多いから、そんなふうに名前と顔が一致しない同級生も珍しくはない。  野球部で毎日泥だらけになっていた。夕方まで練習に明け暮れる自分の指には、毎日の事で取りきれない砂が詰まっていた。でも市川の指先は白くて細くて、骨っぽい感じはちゃんと男なのに、綺麗だなって思った。  気が付くと、ずっと目で追ってしまっていた指先。  そしてある日、一緒に図書室の本の整理をしていたら、ふと触れた指先に、市川のほうが飛び上がって驚いてた。白くて細い、触れてしまった指をぎゅっと、もう片方の手で握りながら、顔を真っ赤にして俯いていた。  男なのに……自分と同じ制服を着ているのに……そんな市川を可愛いと思った。もうそれからは意識しまくりで、改めて考える必要もない。 「気が付いたら、好きになってて」 「……」  机を挟んだ向かい側で、大人の男と大差ないガタイの後島が、モジモジと俯いきながら、ポツリポツリと、訊かれてもいないのに全部を話し始めてしまった。 「でも、言えるわけねーし」 「……」  ホント、ヤダ、この体育会系の素直というか鈍感なとこ。  それ、どう聞いても、向こうが先に後島のことを意識してんだろ。普通、男同士で指先がチョンって触れて、顔を赤くするか? それ林檎病じゃないんだったら、どう考えても意識しているせいだろ。 「告ってみたり……しようかな……なんっつって」  いや、告ってみろよ。  っていうか、今、ここで、俺がこいつの指先にちょこんと触れたら、その違いに気が付くんだろうか。  それを考えてみて、でも試しにやってみるのは躊躇われた。まず体育会系のこいつは「なんすか?」なんてきょとんとした顔しかしなそう。その違いを気が付いたり出来なさそう。そしてもし仮に気がつけたとしても、俺自身が自分と同じ男の指先にちょこん、なんて触れたくない。しかもこんな密室に近くて、狭い進路指導室でなんて絶対にごめんだ。これがやたらと広いグラウンドでもごめんだけど。 「もうシンガポールに行っちゃうんだろ?」 「……」 「言わずにそのまま仕舞っておくのもアリだけどな」  ずっと片想いのまま、胸の中でだけ持ち続ける想いっていうのも、それはそれで青春だろ。ましてや、もう会えなくなるんだ。遠距離恋愛も今のご時世なら不可能じゃないかもしれない。電話やメール、いくらでも毎日、お互いの顔を見つめ合う機会は作れる。でも、触れることは叶わない。  指先をちょこんと触れて始まった、青春真っ盛りの恋は、遠距離になってしまったら、その指先さえ触れなくなる。それでも何年も続くかもしれない。そしていつか再会出来て、触れられるようになるまで、その恋をお互いに大事に出来るかもしれない。  その逆に、自然消滅して、淡い恋心として風化していくかもしれない。  どっちでも俺はいいと思う。淡く消える恋でも、静かに育つ恋でも、どっちにしても青春だろうから。 「い、言わずに……」  簡単に出した俺の答えに後島の表情が少し曇った。 「じゃあ、言ってみたら?」 「え?」  今度は顔を赤くしている。 「どっちもアリだろ」  そうだ。どっちでも青春真っ盛りの男子高校生は選んでいいと思う。どっちにしたって、今だからこそ味わえる気持ちだ。 「なっ! なんだよ、ちゃらんぽらんだな」  つい最近、郁登に言われたばっかりだった俺は、「よく言われる」と笑っていた。 「どっちでも良いんだよ」  恋愛で、ああするべきだった、こうするべきだった、なんて気が付けるようになるのは、まだ先の話なんだから。今はこんなふうに鈍感なりに、素直に色々その都度迷えばいいんだよ。 「たださ」 「?」 「男同士って部分で悩むんだったら」 「それは悩んでない。いや、最初はすげー悩んだんだけどさ。今まで好きになった子と同じ感じで好きだし。っていうか、むしろ超好きだし。だから男同士ってことは、そんなに」  それならいいんだ。男同士でも男女でも、そこにちゃんと“好き”って気持ちがあるんなら、それで俺は良いと思う。  別れるんでも、くっつくんでも、愛の告白をするんでも、しないんでも。選ぶべき道よりも、その一歩を踏み出す気持ちの種類のほうが大事だろ。 「男同士だろうが、好きは好き、でいいんじゃないか?」 「……」 「言いたいなら言ったほうがいい。諦めるつもりなら、このまま笑顔で見送れ」 「……」  後島の中で答えはきっともう出ているんだろう。こんなに図体はでかいくせに、まだまだ本当に高校生なんだな、って、笑えるくらいに純粋に目を輝かせた。  少しだけ上の空な後島はそのまま立ち上がると、進路指導室を出て、どこかへと向かっていく。  俺はそんな青春真っ盛りな背中を見送りながら、つい笑顔が零れていた。手を振りながら、頭の中では今、自分の中に浮かんだ言葉がまだプカプカと漂っている。  本当にちゃらんぽらんだったんだ。今まで、こんなふうに誰かを想ったことがなくて、俺は今、後島がど真ん中で経験している青春と同じものを、この歳になって実感していたりする。  好きで好きで、片想いだと悩んでみたり、とりあえず答えは出ているはずなのに、それでも誰かに相談してしまいたくなったり。ジタバタともがいてみたり。相手にぐいぐいと色々押し付けたり、自分の気持ちでいっぱいになってしまったり。 「まさかこんなふうに相談されるなんてな……」  今までならそんな相談をされて、面倒だから、教師の立場でしか答えなかった。まさか自分がこんなふうに高校生に気持ちを寄り添えて、話を聞けるようになるなんて思いもしなかった。 「っていうか、あいつ、開けたら締めるって、知らないのか?」  進路指導室の扉を全開にしたまま、どこかへ真っ直ぐに向かって行った後島に、溜め息とエールを送りながら、自分も変わっている事を実感して、すぐそこにある春が待ち遠しくなるような、そわそわした気持ちに自然と笑顔になっていた。

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