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第37話 どうしましょう
「あ、あああの、俺、帰るわ、チョコででできたし」
面白いように動揺している後島がキッチンでひとりジタバタと踊っていて、郁登はソファに座って、石みたいに動かずにいる。
「ラッピング残ってるけど?」
「いや、俺、邪魔ですけど?」
鈍感な後島でも、このシチュエーションがどういう感じなのかはわかるらしい。
「びっくりした?」
「ししした」
コクコクと何度も頷く姿は、そういう人形みたいだった。自分が好きなのは同性だと俺に話してみたけれど、それは市川が俺にCDを返そうとした時に、なんだかごっちゃごちゃになった頭のせいで、つい相談してしまっただけだった。まさか、先生も同性、しかも同じ学校の先生同士で、そうなっていたなんて思いもしなかった。
頷き人形と化した後島の顔には、そんな長い台詞が全部書き連ねてある。
「ほら、ラッピングするだろ」
「あ、はい」
珍しい。最初から一度も俺を先生だと思っていなそうな口ぶりで、敬語なんて使いもしなかった後島が、俺の恋人の正体を知った衝撃のあまり敬語になっていた。
「あ、あの、金沢先生は?」
「だって、あげる相手がそこにいるんだから」
「!」
さすが高校生だ。俺の言葉に、トマトよりも真っ赤になって反応している。
そりゃ隠せるなら隠したほうがいいとは思う。仕事が仕事なだけに。でもあの展開で、もし俺が郁登を部屋に入れずに追い返してしまったら、話は絶対にこじれるだろ。ヤキモチを妬いて、衝動的に部屋の前まで来た郁登は可愛いけど、悲しませたいんじゃない。
だからこうなった以上、後島に隠すつもりはない。自分も同性を好きだからってだけじゃなく、きっとこいつなら言いふらしたりはしないだろう。
体育会系は鈍感だけれど、素直で真っ直ぐな奴ばかりだから。
「あのさ……確認しても……?」
「そうだよ。俺と林原先生は付き合ってんの」
「健人!」
郁登は郁登で石に固まりながら、色々とぐるぐる考えているせいで、生徒の前なのにも関わらず、俺のことを名前で呼んでしまっている。
「ほら、早くリボン巻け」
「あ、あのさっ!」
二度目のチョコはテンパリング作業を丁寧にやった。家庭科の及川先生から借りた調理器具の中から、一番必要じゃなさそうな温度計でこまめに温度を測って、調節して、丁寧に溶かしたんだ。
“テンパリングでチョコの艶が決まりますから、しっかり温度チェックするよう伝えてくださいね”
家庭科の先生からのアドバイスを忠実に守って、丁寧に丁寧に作ったんだ。溶かして、型に流し込むだけだと思ったチョコ、でもそこには細かく繊細な配慮がされている。
好きな人に渡すためのチョコには、それだけの気持ちがこもっている。
それが艶になって現れていた。ハートの形をした、笑ってしまうくらいにシンプルなチョコだけれど、これから市川に渡す粒にも、後島のそんな気持ちが詰まっている。その粒を、後島のでかい掌なら片手で持てるような小さい箱の中に敷き詰めて、赤い包装紙で包んで、あとは金色のリボンを付ければいいだけ。どこからどうみてもバレンタインのチョコだとわかるラッピングだ。
「あのさっ」
後島はその金色のリボンをギュッと握り締めている。
「あの、男同士でも、その、もらったら嬉しい?」
「さぁ、それは林原先生に訊いてみな」
グルッと郁登へ振り返った後島に、ソファでじっと固まっていた郁登が飛び上がりそうなほど驚いて、そしてしどろもどろになって困っている。
「嬉しいんすか?」
「へ? あのっチョコ?」
ふと目が合った。
そうだよ。男同士だろうが、それが自分の好きな相手だったら? 郁登はどう? そんな想いでじっと見つめ返した。
「あ、あの、嬉しい、よ」
全員が全員そうじゃないかもしれない。っていうか、男からもらって嬉しいほうが少ないけれど、たしかにゼロではない。少なくとも俺は嬉しいと思うし、郁登も嬉しい。
それが確認出来ただけで、後島の不安や緊張が和らいだ。でかい図体のくせに、冷蔵庫の前でじっとチョコが固まるのを待っていた繊細なところがある。男同士でも嬉しい、その言葉だけで、表情を明るくした後島は、慌てながら赤い包装紙に包まれた箱にグルグルと金色のリボンをかけていく。
何重にもなっているリボンはきっと開ける時に面倒だろうけど、それだってふたりを笑顔に変える良いきっかけになるだろうし、いつかは笑い話になる。あの時は、もうテンパってて、なんて笑いながら、市川と話をする時が来る。大人になったふたりが恋人同士でも、もしそうじゃなく、ただの旧友になっていたとしても。
「お、俺、まだ間に合うからっ!」
時計は十一時をさそうとしていた。
後島は小さなチョコの箱と同じくらいに頬を赤くしながら、ギュッと握り締めたそれを持って、慌てて玄関へと向かう。
「おう、気を付けてな」
「ありがと! マジで! すげー感謝してる! 金沢先生」
「はいはい」
まさか男子高校生にこんなに清々しい笑顔を向けられるとは、どこか照れ臭くて、少しぶっきらぼうな言い方になってしまった。
「それと! 林原先生も!」
まだソファにちょこんと座っている郁登に、俺の脇から顔を出して、挨拶した後島は靴を履く時間すら惜しいらしくて、どこかバタバタして、そのせいで上手く履けずにいた。落ち着いて靴履けよ、なんて今の後島には一番難しい注文なんだろう。
「それじゃ! お邪魔しました! おふたりともお幸せに! あっ! っていうかさ、林原先生、うちの女子の何人かがチョコ渡したかもしんないけど、あいつらに邪魔すんなって、俺から忠告しておいてやるからさっ!」
「は? え? ちゅ、忠告って、いいよ! 後島!」
「そんじゃ!」
まるで嵐みたいにバタバタと玄関を飛び出していった。市川へ届けたいチョコと気持ちが、後島の足を前へ前へ押し出して、どこか倒れ込んでしまいそうなほど、ものすごい勢いで進んでいく。
鼓動が止まりそうなほど、早く、何もかもを急かすように、好きな人のもとへと駆けて行った。
「……浮気かもって、思った?」
嵐みたいな高校生がいなくなった部屋は、急に静まり返って、ボソッと呟くくらいの声ですら、少し離れた所にいた郁登にも充分聞こえるほどだ。
「あの……俺……」
「チョコ、もらってくれる?」
「あの、どうしようかと思った」
「?」
自分がこんなに息が出来なくなるほど不安になるなんて思いもしなかった。美里が浮気をしているって告白した時、そっか……と、思った。なんとなく最近、すれ違いが多かったし、それも仕方がないのかもしれないって。
でも今は違う。
何か及川先生と給湯室で話してて、何を話してるんだろうって、聞き耳を立ててしまうくらいに気になってしまった。
今日は飲み会があるって言われて、誰と? どこで? そんな詰め寄るみたいに質問してしまいそうな自分がいた。どう考えてもうざいのに、煩わしいのに、それでもずっとひとりで考えて、飲みに行っているって言われたのに、どうしても今すぐに会いたくて、気が付いたら、部屋の所まで来てしまっていた。こんな抑えがきかないなんて信じられない。自分でも驚いたし、怖いと思うのに、それでも部屋の明かりの下、誰がそこにいるのかを確かめずにいられなくて、電話をしてしまった。
「どうしよう、こんな自分は知らない」
困っている。切なげな瞳で俺を見上げて、どうしたらいいんだって助けを求めている。
「こんな何も考えられなくなるなんて……」
「好きだよ」
「え?」
「どんな郁登も俺は好きだよ」
誰にでも優しくて、日向育ちの笑顔が眩しい郁登も、セックスに夢中になる、やらしい郁登も、別れたくないと迫った彼女に冷たい言葉を言う郁登も、そして俺を夢中になって欲しがる郁登も。
どんなでも、俺はあんたに夢中なんだ。
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