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1 芸術の秋

 日本から秋よ、なくなれ――。  なんつって。夏は夏でなくなってくれって、思ったっけ。うわぁ、俺、すげぇネガティブやる気ゼロ教師だろ。教育委員会に怒られるぞ。職務怠慢、だっつって。けど、そのくらいの文句を胸のうちで呟くくらいは許せよ。教育委員会。 「今のところ、二小節前からもう一回」  勤続……何年か、数えたらけっこう長かった。まぁ、そんな少し怠惰的な音楽教師はここ最近毎日毎日強いられる時間外労働にやや不貞腐れております。 「もう一回、低音、もう少し声出せ」  芸術の秋? 知るかボケ。 「もう少し、はっきり歌え。ごにょごにょじゃ届かねぇぞ。もう一回」  なんで、秋に合唱コンクールあるんだっつうの。毎年毎年、なんで夏の後が秋で、その秋に歌うんだっつうの。  夏は、あいつが、郁登が水泳部顧問でバカにみたいに泳ぎまくってて、若干、「おあずけ」気味だったんだから、秋はずっぽりヤリたいんだよ。その秋に、なんで合唱コンクールやるんだ。なんで、五クラスが毎曜日代わる代わるやってきてはご指導ご鞭撻のほどを、なんだ。 「違う。やり直し。もう一回」  ぶっちゃけ早く帰りたい。 「もう一回」  もう、一回はやめて、帰りたい。あぁ、帰りたい。 「ふぅ」  帰りたい、を何度胸のうちで呟いただろう。もう数えてられないくらいに呟いて、ようやく、歌らしくなったところで、金曜日、五週連続で続いた残業が終わりを――。 「あ、あの、金沢先生」 「……」 「ソプラノ、つっかえちゃうところがあるんです」  月火水木、そんで金曜、ずっと続いてた残業が終わりを――。 「教えていただけますか?」  終わりを、迎えてくれなかった。 「はぁぁぁ……しんど……」  パート別練習までやる羽目になるとは思わなかった。しかも体育館は用務員のおじさんが戸締りしたいからって、わざわざ特別教室棟のわざわざ四階にある音楽室までやって来て、ピアノ演奏は俺っていう盛りだくさんの残業。 「三年……他で頑張れよな……マジで」  秋、受験組の奴らはどこか青春じみててさ、すげぇ熱いの。激アツ。とくに運動部系だった生徒は受験のために部活引退してるから、どっかストレス溜まってんだろ。ここで発散したいとばかりにやる気満々でさ、圧がすごい。ガンガン来る感じ。  俺も発散したいっつうの。 「マジ、勘弁」  ぼそりとそんなことをぼやいた時だった。音楽室の扉がカラカラと音を立てて開いたのがわかる。  あー……疲れた。けど、センセーが文句を言っちゃ、教育委員会の皆様に怒られるわけで。 「忘れ物か? なんも……」  その時、ドンと背中に激突する誰か。そして、逃げられないようにと、背後からぎゅっと抱きつかれた。 「……」  半袖。もう十一月の半ば過ぎ。体育館にいた生徒は全員ニットを着てた。この日増しに寒さが増して、冬一歩手前の中、しかも夜の八時ちょい前にそんな薄着をしている奴なんて、めちゃくちゃ元気な未就学児か、もしくは。 「……何してんだ、郁登」 「えー? なんで俺だってわかったんだよ」  あんたしか、そんな奴いないからだよ。 「金沢先生がひとりになるのを待って、色仕掛けで迫る女子生徒か? まぁ、男子生徒でもありえそうだけど。もう少し焦ると思ったのに」 「……アホ」 「ちぇ」  立派な成人男性のくせに。そんな可愛い不貞腐れっぷりが似合うのも、いっくらジャージを着ろっつってもTシャツで元気に過ごしやがるのも、郁登くらいなもんだ。 「お疲れ様」 「あぁ、ホント疲れた。ったく、合唱コンクールとか、もう勘弁して欲しいっつうの」 「あははは、三年に食い下がられた?」 「まぁね、おかげでピアノ演奏までさせられた」  ヘトヘトだ。時間外労働として割り増しもんだろ。 「けど、健人は仕事熱心だよね」 「は? どこが」 「もう一回って、何度もやり直しさせてた」 「見てたのか?」  郁登が笑って頷く。体育館での練習を見学していたって。うちの体育館は二階からも入ることができるようになっている。教室が並んでいて、更衣室が会ってその真正面、着替えてすぐに移動できるようにと二階の教室棟からの行き来もしやすくなっていた。その二階から見物していたらしい。 「別に熱心じゃない。ただ、あまりに下手だから」 「それが熱心っていうんだ」 「ちげぇよ」  俺はそんな熱血漢じゃない。お前みたいに、仕事大好きモードになんてなったことないし、たった今さっきまで胸のうちでは文句タラタラだった。早く帰りたいってずっと呟く程度には不真面目な教員だよ。 「パート練習だって付き合ってやったじゃん」 「それは……」  熱血なのは郁登のほうだ。俺はそんなお前と一緒に暮して、たくさん話をしたから。教員の仕事を楽しんでるのを隣でずっと見てたから、だから、なんか少し似ちゃっただけ。別に俺は。 「健人がピアノ演奏してるとこ、そこから見てた」 「……」 「めちゃくちゃカッコよかった」  俺は真面目じゃない。どっちかっていえば、不真面目。  熱血漢でもない。どっちかっていえば、教員じゃなくて、教職についてる人。 「……ゾクゾクした」  誠実、でもない。どっちかっていえば、自分の欲求最優先の自分中心男。だから、自分の欲望には忠実なんだ。じゃなきゃ、ゲイじゃないのに、同じ職場の同じ性別の教職員とセックスなんてしないだろ? 「ゾクゾク、したんだ?」 「ん、すごい、した」 「……なぁ、郁登」 「?」  普通は理性がちゃあんと働いて、「そんなのはダメだ」ってストップをかける、だろ? 「それ、Tシャツ越しに浮いてるけど。寒い?」  普通は寒くて鳥肌くらいは立つだろうな。あと十日もすれば、十二月だぞ? 「あっ、ン」 「それとも、俺のピアノを演奏してとこみて、ムラムラした?」 「ン、した」  そうそう、郁登も誠実だよな。自分の欲望に。天真爛漫、身体を動かすのがとにかく好きで、水の中に飛び込む時なんてキラッキラに瞳を輝かせてる。運動大好き。 「健人ぉ……ぁっ」  セックス、っていうか、気持ちイイこと大好き。 「ぁ、ン、もう俺っ」  やば……エロい顔。セックスしたいって、顔して、俺の名前を――。 「健人ぉっ」  甘い声が甘く俺を誘惑した、その時、まさかの。

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