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第5章

朝になれば、雨は止んでいた。窓についた水滴は朝日を浴びて光の玉と化す。 豊高は学生服のまま眠ってしまっていた。 眼鏡のフレームが歪み、触らなくても分かるほど寝癖がついていた。 夕食は結局食べなかったので空腹感を通り越して胃が重い。 豊高はのそりと起き上がり、寒さに身震いする。まだまだ残暑が残っているとはいえ、秋の朝は肌寒い。 折りたたみ式の黒い携帯電話をポケットから取り出し、時間を確認すると朝の6時半だった。 いつもより遥かに早い起床であったため豊高は二度寝しようと試みたが、湿っぽいシャツが気持ち悪く眠れなかった。 仕方なくシャワーを浴び着替えを済ませる頃、登校するには丁度いい時間になっていた。 学生鞄を手に廊下を突っ切り、ふとキッチンに目をやる。 昨日豊高が手をつけなかった夕食がラップを掛けられてテーブルに置いてあった。母の姿はない。 そもそも立花家の人間は基本的に朝食を摂らない。 どうせ生ゴミになるんだから捨てればいいのに。 豊高は独り言を飲み込んで、無言で家を出た。 無音。 豊高の高校生活はこの一言に尽きる。学校では専ら雑音の中に身を置き、自ら音を発することをしなかった。 故に教室では浮いている。存在すら忘れられがちな、俗に言う根暗、オタクというカテゴリに属している。 しかし豊高に限っては、忌むべき意味で有名だったと言えよう。 やっとの思いで入った高校は地元にあり、当然中学校の同級生が何人か通っていた。 入学したばかりの頃は恰好の陰口の的となっていたが、半年近くも経てば相手にされなくなり、豊高は独りになった。 机の上に右腕を置き左手で頬杖をつく。約30分で右腕が左腕に、左手が右手に交代するが、必ず顔の傾きは80度。 足は机の下で十字に組まれ、眼鏡の奥は気怠そうな半開き。 豊高はほとんどこの格好で半年を過ごしてきた。 豊高は今日もその格好で授業をノイズに変換し、一日を空費する。 自分がここからいなくなるその日まで。 昼休みを告げるチャイムが鳴った。 豊高はゆっくり立ち上がり購買へ向う。 渡り廊下の入り口にある購買はさして品揃えがよくない。30分もしない内に完売してしまうため、小さな窓口は生徒でごった返している。 豊高の買うものはその時手に取ったものと缶コーヒー。 今日はたまたま一番人気のフレンチトーストを手にした。だが缶コーヒーは売り切れており、仕方なくパック入りのミルクティーを買った。 豊高はいつも人のいない教室で昼食を摂る。例え誰か訪れても、昼休みが終わるまでその教室で時間を潰すのだが。 そして午後からまた退屈な授業を聞き流す。はずだった。 「立花!」 廊下で適当な場所を探しぼうっと歩いていると、久しく名前を呼ばれた。豊高は半開きの目をぱっちり開き、こちらへ走ってくる人物に注目した。 背が高く、ラグビーの選手を思わせるがっしりした体つき。黒髪をさっぱりと短く切って軽く後ろに流している、少々目尻が垂れた男子生徒。 大型犬のような人懐っこさを彷彿とさせる。学生服の襟についたバッチからすると三年生のようだ。 「何スか?」 先輩だと確認すると豊高は気だるそうに、だがそれなりに対応する。身長差がありすぎて、見下されているような感覚だった。 不愉快だと感じた豊高は用件があるなら早く済ませて欲しいと願った。 「あのさ、お前さ、フレンチトースト買ったじゃん。俺のと代えてくんねえかな」 男子生徒はまるで子どものように笑いながらビニール袋を突き出す。 豊高は呆れて男子生徒を見つめる。 すると男子生徒の数メートル後方からビニール袋を持った何人かの生徒が 「行くぞツワブキィ」 「一日くらいフレンチトースト食わなくても死なねぇって」 と声だけ飛ばす。 「悪い、先行っててくれ!」 ツワブキと呼ばれた男子生徒が振り向いた為か、豊高の姿がツワブキの連れの目に留まった。 「おいおい、今からデートかよ!」 「縁切るぞー俺ら」 けらけら笑う男子生徒達に豊高は眉を寄せる。 「なんだよお前らそんな奴らだったのかよ!いいよ、俺こいつとメシ食うから」 豊高は思わずツワブキを見る。 しかしツワブキの顔は笑っていた。 ふざけ半分の言動だったと知り頭に血が昇る。 「よしっ、行こうぜ立花」 ツワブキは豊高の肩を組む。豊高の怒りは吹き飛び、突然の出来事にぎょっとした。 後ろからは驚嘆やからかいの言葉が飛んできた。だが男子生徒は盾になるように豊高の後ろに立ったため、豊高の耳にはほとんど届かなかった。

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