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第15章
豊高の目線より少し上に、石蕗のきょとんとした顔があった。
薄手のグレーのパーカーに奇抜な柄のTシャツ。どうやら普段着のようだ。
自転車を引いている。明かりはヘッドライトのようだった。
「何?忘れ物?」
「いや・・・・・・」
豊高は目を逸らす。
「どうした?」
「帰りたく、なかった、から」
みるみるうちに石蕗の顔が歪み、ピリピリと怒りが空気を伝ってきた。
「このっ・・・ぶぁーーーーーっか!!!」
吠える石蕗に、豊高は肩をすくめる。
「そんっなに家に帰りたくないってか!!
だったらもううちに来い!一晩くらいなんとかする!」
目を丸くする豊高を無理矢理自転車に乗せ、捕まってろ、と言い放つと石蕗はペダルを軋ませ脚に力を入れる。スピードはぐんぐん上がっていった。
「お前あっちい!ぜってぇ熱あんだろ!」
「なんで、学校」
「帰り道。カノジョと会ってきた」
石蕗の放り出される一言一言は荒い。
背中からも不機嫌な様子がひしひしと伝わってきた。
豊高は唇をきゅっと締め、もう何も言わなかった。
石蕗の家は2階建ての一軒家だった。
猫の額ほどの庭に自転車をねじ込むと、石蕗は先に家に入った。
話し声が聞こえる。
しばらくして白髪交じりの頭髪を後ろでちょこんと結った、色白のふくよかな女性が玄関から顔をだす。
石蕗の母親らしかった。
上がっておいでー、と石蕗にどことなく似た、人懐こい笑顔を浮かべた。
「ほんとに夕飯はいいの?」
「おう、食べて来た」
石蕗の部屋に続く階段を登りながら答える。
「あんた、どんだけ食べるのよ。うちで食べてったでしょ」
石蕗の母親は呆れたように言う。
「育ち盛りなんで」
「それ以上でっかくなってどうすんの。
あ、立花くん、ゆっくりしてってね」
豊高は出来るだけ愛想の良い顔を浮かべ会釈した。
石蕗の部屋は、鞄やゴミが入ったビニール袋、漫画本が散乱し、足の踏み場もなかった。
「お前が熱出したって母さんには言ってないからな。帰されたくないんだろ?」
石蕗はそう言いながら、無理矢理ビニール袋をすみに寄せ、あるいはゴミ箱に押し込み、なんとかスペースを開けて行く。豊高は思わず呟く。
「部屋汚」
「どこになにがあるか完璧に把握してる」
豊高が言い終わる前に石蕗がすかさず割り込んだ。
「ほら、寝ろ」
一人分の布団が敷かれた。
豊高の背中をたたく。豊高は顔をしかめ棒のように立ち尽くす。
「ホントに俺、泊まっても・・・」
「いいから寝ろって!」
強く背中を押し、布団を敷いた所に組み敷くように寝かせる。
豊高はヒッと小さく悲鳴をあげ、じたばたと手足を動かす。
「この、おま、大人しく寝てろって!」
石蕗が抑えるとますます激しく暴れる。
「あーもう分かった!お前が頑固なのは分かった!いい加減」.
石蕗はハッとして豊高からゆっくり身体を離した。
豊高は身体を丸めて頭を抱え、ぶるぶると震えていた。石蕗はゆっくり後ずさり、壁に背中がぶつかると力無い声で、ごめん、と呟いた。
「・・・センパイの、せいじゃ・・・」
豊高は震える声を必死に絞り出す。
「俺が、・・・ごめん、震え、止まらな・・・」
豊高は更に身体を縮めた。
石蕗は、なす術がなく、ただ立ち尽くした。
豊高の様子は、石蕗に衝撃を与えた。
心に負った傷から噴き出したものに。
その傷の、深さに。
鳥肌がたった。気色悪ささえ感じていた。
彼の思い描く高校生は、彼の同級生のように絶えず冗談めかしたことを言ったり、お互いの些細な言動を取り上げ、いちいち声を張り上げ笑ったりしていた。
こんな、高校生がいるのだと受け入れ難かった。
また、例の事件は石蕗にとっても豊高にとっても過去のことであると思い込んでおり、未だ豊高を蝕んでいることなど、ちっとも、考えもしなかった。
「くそっ・・・・」
石蕗は歯をぎり、と軋ませる。
それに気づけなかったことも、何も出来なかった自分も、情けなかった。
最高学年になり、部長を任され、恋人も得た。
教師にも後輩にも同級生にも慕われている。
なんでもできるような気がしていた。大人に近づいたような気がしていた。
だが、石蕗は、まだまだ人生経験の少ない子どもでしかなかったのだ。
それに、気づいてしまったのだった。
しばらくすると豊高の四肢が緊張から解放され、ゆっくりと伸びていった。
石蕗は手負いの獣に近づくようにそっと側にいく。
豊高は、聞き取れないほど小さなうわ言を口の中で呟きながらも落ちついたようだった。注意して見ると微かに震えているようだったが、寒気から来ているようだ。掛け布団を掛けると豊高は大きく息を吸い胸を膨らませた。
また暴れだすのでは
とドキリとしたが、規則正しく寝息を立て始め胸を撫で下ろした。
石蕗にどっと疲れが押し寄せ、ため息とともに吐き出された。
「また、面倒くせぇこと背負いこんだか?俺・・・・・・」
石蕗はしばらく放心していた。
やがて、よっこいしょ、と年寄りくさく立ち上がり、部屋の灯りを落とした。
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