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第27章
座ったままの楓を包み込むように抱き締めていた豊高は、思わずとった行動に赤面した。楓がどんな表情をしているのか考えようものなら顔から火が噴き出しそうで、そのまま顔を楓の薄い肩に埋めているしかなかった。
豊高の腕の中で、楓の手が動くのを感じた。慌てて豊高が離れようとすると、身体を楓の腕に絡め取られる。折れそうなほど華奢に見えて、硬い繊維で編まれたようにしなやかで丈夫だった。
「ユタカ」
楓は熱を帯びた、いつもより低い声で囁く。
そして豊高の顔を両手で包み込み、ゆっくり離した。
静謐な美しい顔が間近にあり、豊高は息を呑む。
「俺は、酷い嘘つきだ」
次の瞬間、豊高は重なる唇の感触に意識を奪われた。
「・・・手を出さないと、言ったのにな」
顔を離すと、楓は自身を嘲笑するように言った。
「・・・いいよ、そんなの」
いや、よくはないけど、や、そういう意味じゃなくて・・・
と、豊高はぼそぼそ呟いていた。
中腰の姿勢が辛くなり、楓の座る椅子に片膝を乗せる。余計に身体が密着し、楓の肌の匂いが鼻に届いた。不思議と嫌悪感は感じなかった。唇の感触が、未だに残っているのみだ。
ただ、どうにも楓の顔を見られずにいた。
頭の中はパニックを通り越し、妙に 冷静だった。ただ恥ずかしさに首筋が熱くなる。楓の鼓動も熱く、また速かった。
「すまなかったな」
「もういいよ」
「好きな奴が、いるんだろう?」
豊高の心臓が、どくんと跳ねた。
にかっと歯を見せて笑う無邪気な笑顔が浮かんだ。
豊高は目の前の美しい人物へと目を逸らす。
楓のことは嫌いではなかった。
それだけで充分だった。
恋と呼ぶにはまだ淡すぎる思いだったのだから。
「いいんだよ・・・」
それでも、バスタブに一滴青いインクを落としたような淡い想いだったとしても、インクが落ち続ければ水は色づき始める。
「カノジョ、いるんだって」
無理矢理頬に力を入れ口角を上げた。楓を、自分の気持ちを必死に誤魔化す。
ーーー付き合ってるって、言い切れないから
吉野の顔が浮かび、胸が痛んだ。
ーーーでも、卓・・・あいつのこと、取っちゃダメだよ
「わけわかんねぇ・・・・・っ」
豊高は歯を食いしばる。
楓の手が、頭を、頬を何度も撫でる。手のひらも眼差しも暖かい。気が緩みそうになり、豊高は息を止める。楓はそっと呟いた。
「辛いな」
息を吸った瞬間、堰が切れた。
豊高は一瞬何が起ったのかわからなかったが、滲む視界と頬を伝う冷たさに涙を流していることに気づいた。必死に拭うが溢れてポロポロと学生服の袖を転がり落ちる。嗚咽が這い上がり喉を震わせるが、唇をきつく閉ざし食い止める。
楓は腫れる瞼を擦る手を取り、声を押し殺して泣く豊高をそっと自分に引き寄せた。
楓の胸に豊高の額がつく。
そのまま癖のある髪に手を埋め、優しく髪を梳いていった。楓の温度に包まれ、苦しさが少しだけ和らいだ。
「・・・センパイは、カノジョのことめっちゃ好きなんだ。でもっ、カノジョの方が、付き合ってるって言えないって」
「ああ」
「でも、センパイは、女が好きで、俺じゃ、ダメで・・・」
「ああ」
「楓っ、・・・俺、ずっとこんなんかな」
「ずっと、独りの気がするんだ・・・・・・誰も、好きになれないまんま」
「男が好きとか、女が好きとか・・・よく分かんなくて・・・」
楓は、根気よく豊高の話を聞いていた。
溢れる想いを、抱えていた苦しみを身体ごと受け止める。返事の代わりに、頭や背中をぽんぽんと柔らかく叩いた。
文脈は支離滅裂で、半分も理解できたか怪しかった。
鋭い感受性で受け止めてきた痛みは、聞いている側も身を切られるようで心が痛んだ。
性や愛や心といった主題は、大人でも途方もない話だった。
楓は、最後まで聞き届けた。
豊高は泣き過ぎたためか、頭蓋の中に靄がかかったようにぼうっとしていた。目の奥は熱く脳が痺れている。感情のたがが筈れてしまい、未だに涙が染み出し冷たくなった楓の服に染み込んでいく。
「・・・楓、」
豊高の声は掠れていた。
「楓・・・・・・」
囁きながら、甘えるように首に手を回した。ただ、ボロボロになった心に支えが欲しかった。
楓は微笑み、豊高の髪に口付けた。
短い髪を掻き分け、耳や頬、詰襟から僅かに覗く首筋にも唇を落とす。
豊高が顔を上げれば、顎の先端を支えてキスをした。何度か角度を変えて唇を啄ばんだ後、舌で唇の間を割って入り、豊高の舌先に触れる。
顔を離して反応を伺うと、濡れた焦点の定まらない瞳で楓の顔を見つめている。
楓の仄暗い目の奥に微かな光が灯った。熱い吐息を吐き、一度きつく抱きしめる。
そしてゆっくり立ち上がり、
「ーーーおいで」
甘い声で手を差し出す。
豊高は妖艶に微笑む楓に眩暈がした。
深い瞳に引き寄せられる。光の粒が煌めく夜空の瞳に。
豊高は楓の手を取る。
星に手が届いた、とぼんやり思った。
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