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第35章
部屋の中に人がいることに、なんだか落ち着かなかった。
「なんか、飲み物いります?」
「ん?いいよ」
「俺が飲みたいんで」
「じゃあコーラ」
豊高は台所へ向かうと、すでに母親がお盆に菓子やコップを乗せていた。あ、いいのにと言う言葉が浮かんだが、実際に口をついて出たのは
「勝手なことすんなよ」
だった。母親はビクビクしながら、
「えっと、あの先輩って・・・・」
と口ごもる。
「ただの、部活の先輩だって」
と乱暴に言い、冷蔵庫からコーラとアイスコーヒーを取り出し菓子の盆を手に取った。そして少し考え、
「・・・・・ありがと」
と盆を少し持ち上げ自室に向かった。
「おっサンキュー」
ベッドに寝転んでいた石蕗はがばりと起き上がった。
「なんでそんなくつろげるんスか」
「んーなんか人ん家ってよりホテルの部屋みたいでさ」
「褒めてるんスか」
「褒めてるんス」
石蕗はニコニコしながら言う。
豊高はキャスター付きのキャビネットを部屋の中央に引っ張り出す。机代わりにし、菓子と飲み物を置いた。石蕗は早速コーラに手を付ける。ペットボトルの蓋を開けながら
「立花ってさあ」
と切り出す。
「好きなヤツ、いるの?」
豊高はその質問にデジャヴを感じた。そして頬を赤く染めながら首を横に振る。
「いるんだ。わかりやすっ。あのさ、踊子のこと、どう思う?」
豊高は突拍子もない質問の数々に首を捻る。
「俺は、好きだよ。すげー好き」
「言えるんだ・・・・」
豊高は平然といいのける石蕗に尊敬の念を覚えつつ、胸が痛んだ。
「でも、踊子はそうじゃないかもな」
豊高はどきりとした。
ーーーー付き合ってるって、言いきれないから
吉野の言葉を、思い出していた。
「やっぱ、あれだな、うん」
石蕗は顔を少し強張らせる。
「振られて寂しいからって、付き合っちゃだめだったんだ」
豊高は、息が苦しかった。
動機は、高校生に限らずありがちなものだと思った。しかし、石蕗の影を落とした面持ちや沈んだ声から、そんな単純なものでないと察することができた。
石蕗の、心の深い部分を、見てはいけない物を見てしまったような気がしていた。それよりも、振られた、という言葉が気になってしょうがなかった。
「好きな人、いたんスね」
豊高なりに、精一杯遠回しに聞いた。
「そりゃあ・・・・」
石蕗は懐かしむように目を細める。いつもとは違う、大人びた微笑にハッとする。石蕗は憂いを帯びた口調で続けた。
「いたよ。男だったけど」
豊高は、コーヒーの入ったコップを持ったまま静止した。手が震え、液体が小さく波立った。
よく見れば、膝の上に乗った石蕗の手も小さく震えていた。
「いやいやお前だってそうじゃん」
石蕗はいつものように笑ってみせる。
「今は女の方が好き。あいつは、多分、男が好きだったと思うけど・・・・・」
石蕗はすっと視線を横に流す。過去の記憶を遡っているようだった。手繰り寄せるように石蕗は続ける。
「今でも、あの時の気持ちはよくわかんね。友達としてとか、好きとか、そんなのが全部当てはまるような、当てはまらないような・・・・・。でも、特別っていうか、まあ、”特別”って言った方がしっくりくるかな」
結露したコップの水滴が、ぽたりと落ちた。
豊高の心臓は、壊れそうな程激しく動いていた。
特別、と言う発言によって、ますます拍車がかかり、息が苦しくなる。
「なんで・・・・・」
豊高は堪らず言葉を吐いた。息が出来なくなりそうだった。
「なんで、吉野先輩と付き合ったんですか?」
石蕗の顔は見られなかった。コップを落とさないよう両手で握る。
「なんで、好きなヤツと付き合わなかったんですか?」
「立花」
「なんで、男を好きになれるのに・・・・・っ」
ーーー俺じゃ、なかったんですか・・・?
豊高は最後の一言を喉の奥に押し留めた。そこが爛れているかのようにヒリヒリする。
「・・・・・アイツ、カノジョいたから・・・・」
石蕗はベッドの上で胡座をかく。
「アイツ、自分が男が好きって認められなくて、女の子と付き合ってた。結局、ダメになったけど・・・・・」
俺も、何も言えなかったけど、と、石蕗は床に視線と言葉を落とす。豊高は、石蕗が何故自分を気にかけてくれるのか、気持ち悪いと自分を卑下したことを怒ったのか、やっと理解した。
「・・・・・辛い、ですよね」
自分の気持ちを知られて、相手が離れて行かないか
拒絶されやしないか
今までの関係が破綻してしまうのではないか
会うたびに思いを押し殺す苦しさ
豊高は痛い程理解できた。
自分も、石蕗に寄り添いたいと、願った。
俯き肩を縮め、感情を必死で閉じ込める。コップを持つ手に力が入り震えていた。
「・・・・・泣くなよ」
「泣いてません・・・」
「嘘つけ」
何やら動く気配と、衣擦れの音がした。石蕗が座り直したらしかった。
「・・・・・それでいいんだよ」
優しい声が流れてきた。
無理するなよ、我慢するなよ、と言っている気がした。みるみるうちに、心が幸福で満たされていく。伝えたい言葉が、心の奥から押し出されていく。
だめだ、と豊高は感情を押し戻す。
告白すれば、すべてがーーー
ーーーだがきっかけは、些細なことだった。
石蕗の指が豊高の眉間に触れる。
そこに神経が集中した。
「ははっすっげー皺」
無邪気な笑顔だった。ニカっと歯を見せて笑う豊高の好きなーーー
豊高の大きく見開いた瞳が透き通ってゆく。清らかな泉から水が湧き出るように、涙が溢れる。
「・・・・・好きです・・・・」
頬に涙が、唇から告白が流れ落ちた。
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