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第38章
「センパイ・・・・・」
コートを着た私服の石蕗はむっつりと不機嫌そうな表情だった。豊高は怒っているのでは、と気が気でなかった。
「覚悟しろ!遊びに行くぞ!」
「は、えっ?」
「3分間だけ待ってやる!出来ないってんならダチ呼んでここで麻雀な!」
「え、ええ!?」
「はい、あと2分!」
居座られるのは困る、と咄嗟に思い、また、よく分からない焦燥感に駆られ、モノトーンのプリントのシャツにジーンズ、ダウンジャケットを引っ掛け、石蕗と共にバタバタと家を出たのであった。
石蕗に連れて来られたのは近所の神社だった。元旦の翌日でも人がごった返している。
屋台が並びトウモロコシや焼そばの香ばしい匂いや、綿あめの甘い香りが充満している。
豊高は人混みの中を、石蕗に手を引かれながら本堂に向かった。お互い指先は冷え切っていたが、触れ合う手の平が温かい。
「・・・・・・いいんですか?」
豊高は繋がれた手を見る。
「なにが?」
石蕗はキョトンとした顔で振り向いた。豊高は咄嗟に目を背け
「その、受験勉強、とか・・・・・」
と言葉を濁した。
「合格祈願くらい見逃してくれ」
「ああ、なるほど」
「てかさあ、立花までホント勘弁してくれよ。親がただでさえうるさくってさぁ」
石蕗がため息を吐く。
「じゃ、なんで俺なんスか?」
「ダチは、勉強だって・・・あと里帰りとか・・・・・」
「吉野先輩は?」
石蕗の背中が、一瞬強張る。
「・・・・・大学の準備で忙しいって。一人暮らしするんだって」
「・・・ふうん」
不穏な空気が漂い、失言したことに感付く。それ以上踏み込むことは止めた。たまたま目に入ったもので話題をそらす。
「センパイ、おみくじとか信じる派ですか?」
「お、やるか?」
「いや、後でも」
「いいじゃん。引こうぜ」
テントに御籤と行書体で書かれ、その下の長机に木箱が並んでいた。アルバイトの学生らしき女性が巫女装束で受け付けをしている。
「2つ」
石蕗は女性に向け、ピースサインの形を作った。
「俺のはいいです」
「いいんだよ」
石蕗は小銭を木箱に入れ、御神籤を引く。一つは豊高に渡した。豊高は小吉、石蕗は吉であった。
「ま、こんなもんだよな」
石蕗は苦笑いする。
「俺のもセンパイが引きましたけどね」
豊高はいつもの癖で、若干生意気に言う。
「ああ?普通のでよかったじゃん」
「凶でも逆にレアでしたよ」
「だぁー!ホントかわいくねえよなあ!」
そう言いながらも、石蕗は楽しそうに笑っていた。
「いいっスよ、俺男なんで」
どこかで聞いたようなやりとりに、豊高の顔も綻ぶ。
騒がしい人混みの中、2人の笑い声がはじけて混ざり合った。
豊高が心地よい倦怠感を携えて帰宅すると、母親が駆け寄って来た。
豊高の名前を呼びかけたが、憑き物が落ちたような彼の表情を見て、言葉を詰まらせる。そして、すこし微笑んだ。心なしか目が潤んでいる。
「・・・・・楽しかった?」
豊高は面食らい、にやけるのを抑えながら頷く。
「・・・・・いいお友達ができて、よかったわね」
豊高は不機嫌な顔を装いながら
「・・・・・センパイだし」
と小さく返した。
「・・・・・ご飯食べる?」
「食べる」
「・・・・・お雑煮だけど・・・」
「食べる」
豊高は靴を脱ぎ、マフラーとジャケットを脱ぎながら母親と台所へ入っていった。室内は暖房で暖められている。鰹だしの匂いがふわふわと漂っていた。
そして母親と席につく。
豊高は、久しぶりに、家族と食事をした。
それから、冬休みは大半を自宅で過ごしたが、焦燥感や心が閉じて行く感覚はなくゆったりと過ごした。
始業式の日は、他の生徒と同じように憂鬱を引きずって登校した。ただただ肌を刺すような冷気が頬を赤く染め息を白くする。しかし冷たく澄んだ空気は身体の中を洗い流し、新しい出来事が始まる予感を感じさせた。
教室の壁には学年の便りが張り替えられており、各部活の部長からコメントが載せられていた。
当然石蕗のものもあり、あの快活な石蕗から想像もつかないほど硬い文章だった。豊高は流石3年生だと感心する。
ホームルームの時に気付いたが、赤松の席は空白だった。体調を崩したのか、旅行中なのか、不登校に陥ったのか、豊高には推測するしか術がなく、またそこまで関心が湧かなかった。
担任は豊高を見つけると、ほっとしたような顔を見せた。しかし、それだけだった。声をかけられることすらなかった。単に問題が一つ解決したと取ったらしい。今まで嫌がらせに見て見ぬ振りをしてきた担任に、期待などこれっぽっちもしていなかったが。
あっけないほど早くホームルームと始業式は終わり、帰り際、廊下ですれ違った男性教諭に声をかけられる。
「ちょっと、職員室に来てくれないか?」
豊高は首を傾げる。見覚えはあるが、どのような接点があったか思い出せない。
職員室について行くと、
「おめでとう」
とにこやかに、検定の合格通知を渡された。ここで初めて、この男性教諭が、コンピュータ部の顧問だったことを思い出した。
「がんばったじゃないか。幽霊部員だったくせに」
豊高は目を丸くする。
大勢いる中の一人だとしか捉われていないと思っていた。小さくありがとうございます、と呟く。
自分を見ていてくれる者がいたのだと、胸がいっぱいになった。
周りにいる者は、皆敵だった。
だが、自分の見えないところに、そうでない者もいることに、豊高は気づき始めていく。
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