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第40章
「そっか、友達できたんだね。よかったね」
吉野は姉のような優しい眼差しで豊高を見つめる。
豊高と吉野は、駅前の大通りにある、チェーンのドーナツ屋にいた。
窓の外では裸の街路樹の間を寒色のコートを着た人々が行き交いいかにも寒々しいが、店内は蜂蜜色の照明に照らされ陳列棚にはパステルカラーのグレースを纏った春色のドーナツたちが一列を丸ごと占拠している。
店の奥のイートインに、吉野と豊高は向かい合って座っていた。
木のテーブルに食べかけのドーナツと、2つのコーヒーカップが湯気を立てている。それぞれブレンド、カフェオレが入っていた。
豊高は、今日、吉野に呼び出されたのだ。
2人の会話が少し途切れ、ドーナツ店の明るいCMソングが空虚に響く。
「あのね、私、一人暮らしするの」
吉野は、カフェオレのカップを両手で包み込む。
「そういや、合格、おめでとうございます」
「ふふっ、遊びにきてね」
「はい、石蕗先輩も一緒に。1人だとぶっ飛ばされそうです」
豊高は冗談目かして言ったが、吉野の表情は硬くなる。
「アイツは、いいよ」
カチカチと、陶器の鳴る音がする。吉野の手元からだった。震えている。
「別れたの」
吉野は、驚愕する豊高に、こう続けた。
「アイツとは、別れたの」
「は、え・・・なんで・・・」
豊高の混乱する頭に、石蕗の言葉がよぎる。
ーーーーー寂しいからって、付き合っちゃだめだったんだ
「もう、代わりは嫌になったの。
アイツはそう思ってないって分かってたけど、やっぱりどこかで、私は、麻木君の、男の子の代わりなんだって思うと、自分は同性愛者じゃないって思い込んだり周りに示すための存在なんだって思うと、我慢出来なかったの」
「え?吉野先輩は、石蕗先輩のこと知って・・・」
豊高は背中一面に鳥肌が立った。
察してしまったのだ。
石蕗が想いを寄せた男子生徒と交際していたのはーーー
振られたのは、石蕗だけでなかったのだと分かった。
「一緒にいて楽しかったし、大事にされてるって分かってたけど、代わりなんて、そんなこと気のせいって知ってたけど・・・・・
まだ気持ちぐちゃぐちゃ。
なに言ってるかわかんないよね、ごめんね」
「石蕗先輩は・・・なんて?」
「2人で話して、なに言ってるか自分でわかんなくなってきちゃったけど、最後は、
一旦落ち着こうって。距離おこうって。
ヨウコが、好きな奴出来たら、それはそれでいいからって」
「優しいっスね・・・・・」
「そうだよ。ひどいよ。嫌いになれないじゃん」
吉野は、ポロポロと涙を流した。
少し前の自分と痛々しい程似ていた。
苦しみや、誰にも吐き出せない想いを抱え込む姿が自分と重なる。
男女の恋愛でさえ、こんなにも拗れてしまうのか。
自分が女性を好きになれたら、と何度も考えた。しかし、そうなったからといって、必ずしも幸せになれる保証などない。
「別れようって言われて、楽になったけど、すごく悲しくなっちゃった。長くいすぎたんだよね、きっと」
「ホントに、嫌いになったわけじゃないでしょう」
吉野は答えず、袖で何度も涙を拭う。
「だって、2人で居る時は、ホントに・・・・・ホントに・・・」
豊高も、胸が熱くなる。
石蕗の愛情に溢れた眼差しと心地よさそうに寄り添う華奢な吉野は、豊高にとって、幸せの象徴であり希望だった。自分も、そんな風になれたらーーーーー
「私も、悪いの」
吉野の目はウサギのように腫れ、どこか怯えていた。
「立花君のこと、ちょっと気になってる」
豊高は、咄嗟に言葉が返せなかった。
「まだ、好きかどうかも曖昧。どっちみち迷惑だよね、ごめんね」
「迷惑ではないです。いや、ビックリしました、嬉しい・・・・・です」
でも、と豊高は唇を噛み、それ以上何も言えなかった。吉野は無理やり笑みを浮かべ、涙を拭いながらこくこくと頷いた。
「うん、わかってる。大丈夫だよ、ごめんね、ホントに」
吉野はしばらく俯いて肩を震わせていた。少し落ち着くと、まだ流れる涙を拭いながら化粧室に入っていった。
長い時間が経った。
豊高はドーナツを平らげ、コーヒーをちびちびと消費した。それでも時間を持て余し、コーヒーをお代わりする。
吉野が戻ってくると目は赤く腫れており、泣いたことは明白だった。
周りの客や店員がそば耳を立てつつも、見て見ぬ振りをしていたのが救いだった。
「吉野先輩、」
店を出た後、豊高は吉野を呼び止める。
振り返る吉野の、人形のような印象だった白磁の肌に赤みが差し、生気を帯びていた。
「無理、しないでください。なんていうか、幸せ、に、なって欲しい、です」
気障な台詞に引っ込みがつかず、細切れになって飛び出した。
吉野はクスリと笑う。
「うん、ありがと」
マフラーにたわむ指通りの良さそうな黒髪が、潤む瞳が、紅色に染まる頬が、人間らしい暖かみを醸し出していた。
美しい少女人形に魂が吹き込まれたようだった。
ただ、スカートの裾からふくらはぎまで晒された細い足が寒々しかった。
「バイバイ」
やがて、彼女は歩き始めた。
冬の寒さの厳しい道を。
豊高は立ち止まり、吉野の後ろ姿が町並みに溶け行くまで見つめていた。どうにも足が出ず、どこに行けばいいかも分からない。
すれ違う人々の中に残され、豊高は1人取り残された気分だ。
周りは動き続けている。季節も一つまたいだ。
自分は、立ち止まったままだ。
動けないままだ。
中学3年生の時から。
進みたい。
前に出たい。
豊高は、初めて強く思った。
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