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第43章
「さ、降りて」
病院に着くや否や、また手を引かれて地下駐車場のエレベーターに乗り、迷路の様な院内を連れ回される。ある病室の前で、三村は足を止めた。
個室の扉を開けると、包帯だらけになった女性がベッドに横たわっていた。
こんなに小さかったっけ?と思いながら豊高はふらりと中に入る。女性は目を開けた。包帯の隙間から母親の顔だと判別できた。
「ユタカっ・・・大丈夫!?」
母親は起き上がろうとするが、看護師に慌てて止められる。三村は深く息を吐いた。
「意識戻ったのか・・・よかった・・・」
「母さん、ごめん・・・・・」
「何言ってるの!?お父さんに何かされなかった!?大丈夫!?」
「出かけてたから、大丈夫。ていうか、父さんは?」
「・・・・・えっ・・・」
母親の顔が、みるみるうちに青ざめていく。
「わから・・・ない」
「俺も・・・・・」
母親はガタガタ震え始めた。
「どうしよう・・・・・・・・・あの人・・・っ!
もうダメ!もういやぁっ!」
取り乱しのたうちまわる母親を、看護師が必死に呼びかける。取り乱しのたうちまわる母親を、看護師が必死に呼びかける。豊高も、大丈夫だから、と訴えるが、母親の方が気が狂わんばかりだった。
「警察。まず警察行こう」
三村の冷静な声に、母親の動きが止まる。それにつられ、病室は静かになった。
「歴とした傷害だよ。これは。それから、豊高君、お母さんの実家とか親戚の家ってこの辺?」
豊高は首を振る。いずれも県外だ。
「じゃあ、信頼できる人は?」
石蕗や吉野が思い浮かんだが、2人とは今微妙な関係であり受験生という立場だ。赤松はまだそこまで踏み込んだ関係ではない。
その他には、一人しか思い浮かばなかった。迷いながらも、いると答える。三村は豊高に、シェルターに母親と共に入るか、その人物の元に身を寄せるよう選択を迫った。
豊高は言葉を失う。長い時間をかけ、少し考えさせて欲しい、と答えた。
その日は病院の仮眠室に泊まった。
まどろみの中を彷徨うばかりで、眠りに入ることはできなかった。
もう、家族が元に戻ることはないだろうと感じていた。あって当たり前に思っていた家庭が、自分を形成して来た基盤とも言えるものが壊れかけている。不安だった。
亀裂だらけの地面の上に立たされている想像が浮かんだ。地面の裂け目は深く、底知れぬ闇が広がり、空も暗く黒い。歩けど歩けど黒の景色は変わらない。やがて疲労に視界が白く霞んでいく。自分の姿は、白い闇に呑み込まれていく。
豊高は目を覚ますと、ようやく自分が夢を見ていたことに気づいた。いつの間にか朝になっている。
疲労は酷かったが、明るさやひんやりした空気のおかげで少し落ち着きを取り戻す。窓から差す朝日が頭や胸の中で澱んでいたどす黒い靄をいくらか晴らしてくれた。
自動販売機で紙コップのコーヒーを買う。紙の匂いが鼻につくが温かさが身体に染み渡る。今頃になって眠気を覚えた。しかし、仮眠室をいつまでつかっていいものか迷い、我慢して起きていることにした。
「おはよ。早いね」
聞き覚えのある声に、重くなってきた瞼をこじ開けた。三村が隣に腰掛け、豊高の顔をちらりと見る。
「まだ寝てたら?すっげー顔」
でもまあ、眠れないか、とひとりごちた。
「・・・・・学校、行きたいから」
豊高の言葉に三村は目を丸くする。何気なく口走ったことだった。疲れ果てていたが、学校に行けば、日常に身を溶け込ませれば、いくらか落ち着く気がした。
「真面目だねぇ・・・・」
呆れたように、または感心したように三村は言った。
「着替えは?どうやって行くの?」
「取り敢えず駅までいって、家帰って、あ、それだと遅刻かも」
「送ろうか?」
「でも」
「・・・・・どうすんの?」
豊高は考えるが、一向にまとまらない。唇をもぞもぞと動かすのみだ。
「分かった。乗ってけ」
三村は来た時と同じように半ば強引に豊高を車に乗せ、自宅と学校の最寄駅に送り届けた。何度も礼を言う豊高に、いいから、と笑い、
「取り敢えず、なんかあったら連絡して。こっちも知らせるようにするから」
と言い残していった。
車が去った後、体を通学路の進行方向に向けた途端、いつもの風景が目に映った。スイッチが切り替わる。
非日常から日常へ。
学校では、いつも通りすごした。
退屈な授業や陰口を聞き流し、休み時間には空き教室で昼食を食べ、午後からは部活動に参加する。
以前と違うのは、赤松が隣にいた、ということだ。彼と話していると、余計な雑音は耳に入りづらくなり、かなり過ごしやすくなった。
豊高は一緒に過ごすうちに、一つずつ赤松のことがわかってきた。左利きであること、昼食は弁当であること、読書が好きで、ライトノベルをよく読むことーーーー。
そして、今日また一つ分かったことがある。観察眼が思いの外鋭いということだ。
「なんかあった?」
赤松は朝、豊高の顔を見るなりこう言っていた。
豊高は顔が引きつりそうになったが、「いや、別に」と答えると、それ以上何も言って来なかった。
しかし、帰り際に
「そういや、今更だけどメルアド教えて」
と言われた。
「なんで?」
と豊高が返しつつ、赤外線で連絡先を交換すると、
「夜メール来ても全然気にしないから。朝見るから」
赤松はそう言って携帯電話をポケットにしまった。
「だから、いつでもメールして」
コートに袖を通す、豊高より少し広い背中に頼もしさ、不器用な気遣いが見てとれ、
「・・・・・ありがと」
と思わず小さく呟いていた。
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