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第45章

豊高は混乱した。 暴力を振るう父親が、なぜ自分を愛していると言えるのか。 「そんなわけないだろ!」 豊高には父親の拳に乗せられた感情がそれとは思えなかった。思い通りにならない怒り。それしか、感じられなかった。 「あいつは、全部自分の思い通りにしたいだけだ!最低なヤツなんだ!」 それを皮切りに、豊高の口から弾丸のように罵詈雑言が飛び出す。しかし表情は銃弾を浴びたかのように苦痛に満ちていた。 楓は、ただ悲しげな顔をするのみだった。 やがて豊高は脳からも喉からも力を使い果たし、口をきかなくなった。 「気は済んだか?」 楓は尋ねる。 「・・・ムカつく」 豊高は俯いた。感情のままわめき散らし、自分が幼稚な人間に思えたのだ。 「なぜ、立花康平がお前に手を挙げるようになったか、考えたことはあるか?」 「そんなの・・・・・」 なぜか、幸せな家族の情景が目に浮かんだ。あの、夢で見た親子3人の姿が。 ーーーー昔から、豊高には甘かったものね そう、昔は、厳しかったが今ほどではなかった。 小学校、中学校に上がるにつれ、言い換えれば、成績が意味を持つようになるにつれ、厳しくなっていった。反抗期もあり、父親とぶつかる事がしばしばあった。 父親と対立する決定的な引き金になったのが、あの中学生最後の年の事件だった。父親は豊高のすべてを拒絶し、豊高は父親のすべてを諦めた。その癖、気に入らないことがあると暴力を振るう。 そうだ、ここからだ。父親が暴力を振るうようになったのは。覚えている範囲では、男性社員と揉めたり、帰りが遅くなったり、石蕗を家に上げたりした時だ。 ふと、何かが頭をかすめた気がした。 正直、豊高はそのよぎった考えを認めたくなかった。 「・・・楓」 「なんだ」 「やっぱり、俺は、認めない」 「何を」 「あいつが俺を、」 「気付いてるはずだ」 「本当に、俺の・・・・・ため・・・?」 あのような事件が起きないよう、所謂悪い虫がつかないよう、怒っていたのではないか。 「てか、俺の、せい?」 あんな父親にしたのは、自分だったというのか。 「ユタカのせいではない」 楓はきっぱりと言った。 「道を踏み外したのは、あちらの方だ。それに、」 楓は一度言葉を切る。豊高は待ったが、楓はそれきり黙ってしまった。長い沈黙のあと、ようやく重い口を開く。 「・・・・・離れるしか、術はないだろう」 豊高は眉をひそめる。黙っている間、楓の目は一度左右に彷徨い、何か考えている気がした。 「・・・・・嘘だ」 ここまできて、隠し立てをすることに苛ついた。捲し立てようとすると、楓が牽制する。 「ユタカ」 「なんだよ」 「言ってはいけないと思っていたことがある」 楓は思いつめたように眉根を寄せ、口元を硬ばらせている。 「だからなんだよ」 楓は豊高を真っ直ぐ見据えた。 「好きだ」 ストレートな言葉に胸を射抜かれ、瞬く間に赤面する。楓の目は真剣そのものだった。 「な、なんだよいきなり」 「ユタカは?」 「え・・・」 「お前はどうなんだと聞いている」 豊高は先程から狼狽えてばかりいる。いや、その、あの、と顔を真っ赤にしながら口の中で言葉を転がす。誤魔化しは楓の真っ直ぐな目が許さなかった。 豊高は今にもべそをかきそうな顔で 「・・・・・・嫌いだ、お前なんか」 そう言って、ふいと顔を背けた。耳まで赤く染まっている。 楓は、フッと息を漏らし、寂しげに微笑んだ。豊高はそんな楓をキッと睨んだかと思えば、きつく目を瞑り、身を乗り出し、噛み付くようにキスをした。 楓が目を見開き驚いた表情を見せると、やってやったとばかりに鼻を鳴らした。楓はどこか満足そうに、それで充分だ、と零した。 不意に、どこからか携帯電話の着信音が鳴る。楓はポケットから携帯電話を取り出すと、もう行かなければ、と告げた。 「待てよ、どこ行くんだよ」 楓は答えない。立ち上がり、椅子を整えると黙ってキッチンを出た。 「携帯持ってんなら連絡先教えろよ」 楓は豊高に背を向けたまま、黒いスニーカーに踵を押し込んでいる。 「いい加減にしろよ、俺の質問に一つも答えてないだろ」 豊高は、一度唇をひき結んで、意を決して聞いた。 「"楓"っていう名前だって、嘘なんじゃないのか」 楓は靴を履き終えると、振り向いて 「同じだ」 と豊高を指差した。 「え?」 「カシワギユタカ」 今度は楓が自身を指差す。 「マジかよお前・・・」 豊高は頭を抱え、ため息を吐く。 「何から何まで嘘かよ、ふざけんな」 「もう一つ、教えてやる」 彼は豊高の耳元で囁いた。思わず声を上げて驚愕する豊高に、続いて耳打ちする。 「なんだよ、それ」 「よく調べておけ・・・じゃあな」 豊高の頭をくしゃりと撫で、彼は去って行った。 豊高は暫く呆然としていた。楓の告白、本当の名前、そしてーーー しかし、思い返せば納得する部分もあった。 あの、中性的な雰囲気に細い身体、小さな手、顔の輪郭を隠す長い髪。また、あんな事件があったにもかかわらず、簡単に心を許してしまった理由。 未だに頭に渦巻いて、混乱している。 楓は何を言いたかったのか、何を伝えたかったのか、何をしに来たのか。 ーーーーーーじゃあな 最後の声が頭に響く。別れを言いにきたのだと、直感した。 途端、豊高の携帯電話が鳴った。 『豊高くん、三村だ』 「あ、三村さん、さっき」 『ごめん、俺は行かなきゃ。豊高君は家にいてくれ』 「三村さん、楓は、」 『さっき車に乗っていった。まずいぞ、彼は、1人で立花康平に会う気だ』 豊高の顔がサッと青くなった。

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