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最終話 ㉓
この部屋に来て1週間になるが、一向にくつろげない。部屋の雰囲気にも慣れないし、住んでいる男にも気を許せない。
それでも、生気を補充するために、何の感情も沸かないその男と交わる。男はまだ、夢の中の出来事だと思っているらしい。でも、それでいい。その方が面倒でない。
本当は。あの部屋を出られればそれでいいと思っていた。そのために、配達員として時々圭介のアパートを訪れる男に目を付けていた。あの夜。圭介の限界を目の辺りにした夜。
タイミングよく、その配達員がアパートの他の部屋に荷物を届けにきた。迷う余裕もなくそいつに取り憑いた。
そのままこの男のマンションへと移動して、そこに留まっている。男は独身の一人暮らしだった。年齢からすると20代後半ぐらいで、趣味は筋トレらしく、家では時間さえあれば筋肉と向き合っているつまらない男だった。が、そのおかげか体つきは引き締まっていたし、顔も悪くはなかった。
『ごめん』
圭介が苦しそうに謝る顔が忘れられない。あんな顔をさせたのは自分だ。あの顔をもうさせたくないし、見たくない。そう強く思った。
圭介を殺したくない。
圭介の寝顔を見ながら、髪の毛をゆっくりと梳いた。これが、圭介に触れられる最後でも。圭介が生きて、幸せになってくれるなら。しばらく圭介の寝顔を眺めた後、台所で圭介を起こさないように朝ご飯を仕込んだ。
ひじき入りの卵焼きが出来上がり、皿に盛ったタイミングで、樹の耳に聞き慣れた配達トラックの音が聞こえてきた。今しかない。樹は自分の中にあるありったけの力を込めてその場から離れた。
圭介のアパートを出られれば、もう自分はこの世に留まる理由もないと思っていた。このまま、生気が尽きて消えてしまってもいいか、と。しかし、最後の最後で欲が出た。
圭介を遠くからでもいい。見ていたい。元気になって、誰かと出会い、幸せになる姿を見たい。そう思った。
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