18 / 33

Coffee Stain(1/5)

「ういっす、がんばってきます!」  編集部の人たちの注意と応援を受けて、俺は打ち合わせブースを目指した。  あの涼先生に表紙イラストをお願いできるなんて、堅苦しい文芸部に異動になってよかった。毎日情景描写ばっかりの難解な小説を読むのはつらいけど、そんなの全部チャラにできる。  途中、自販機の前で足を止める。  先生の好きな飲み物はブラックコーヒー。所詮は紙コップのコーヒーだけど、せめて少しでもおいしくなるように。  俺はコーヒーのボタンを押しながら、呪文を唱えた。 「おいしくなぁれ♡」  世界一おいしくなったであろうコーヒーを手に、新進気鋭のイラストレーター、涼先生の元へ向かう。 「お待たせいたしましたっあああああああ!?」  テーブルの上にコーヒーを置こうとして、手前の椅子の足に靴の先が引っかかった。  左手には持っていたコーヒーは、慣性の法則で紙コップから飛び出していく。 「うわっ」  俺にはスローモーションに見えたけど、防ぎきれない、一瞬の出来事だった。  先生のサラサラの前髪から、美しい顔、真っ白なパーカーまで、すべてにコーヒーがかかった。 「うわわわわ、どうしよう。申し訳ありません。ええと、ハンカチ!」  ハンカチを取り出し、先生の髪や顔を拭こうとしたとき、ハンカチを持った手のジャケットの袖口が、無事だったほうの紙コップに引っかかって倒れた。 「あんぎゃああああああああ!」 テーブルの上には手帳サイズの小さなクロッキー帳があって、流れ出たコーヒーが攻め込んでいく。表紙のみならず、白い紙の束までもが茶色に染まっていく。  俺は床にへたりこみ、そのまま土下座した。 「腹を切ってお詫びを!」 「そんなことより、タオルないの?」  俺は編集部へ走り、「やばい、先生の頭からコーヒーぶっかけちゃった! クロッキー帳にも! 誰か一緒に来て!」と騒ぎつつ、応募者全員プレゼントで余ったハンカチタオルをかき集め、駆け戻った。  一緒に走ってきてくれた先輩たちと必死に先生とクロッキー帳を拭く。  しかし、パーカーとクロッキー帳が白く戻ることはなかった。 「本っ当に申し訳ございませんっっっ!」  先輩たちにまで一緒に頭を下げさせたが、先生は濡れたパーカーが肌に触れないよう前にひっぱったまま、冷たい目つきだ。 「失敗したのは彼でしょう。ほかの方が頭を下げる必要はないのでは」  先生はため息をついた。 「クロッキー帳は鉛筆を使って書いていて、この程度の水濡れで絵が見えなくなることはないから、まあいいよ。でも……」  見下ろした真っ白なパーカーには、白の刺繍が施されていて、その糸と縫い目は見事にコーヒーで染まっていた。  やばい。それは僕ですら知っている世界的スポーツメーカーと先生がコラボした超激レア限定モデルだ。 「僕自身も一着しか持ってないんだよね」  先輩たちは静まり返り、俺は再び土下座した。 「やっぱり腹を切ってお詫びします!」 「そんなことされても、うれしくないけど」 「あの。同じものは無理かも知れませんが、買い直させてください! 俺の給料の範囲内で!」 「社員のミス、給料で払わせるの? この会社、大丈夫?」  先生は全員を見渡し、冷たい声で言った。 「で、どうするの?」

ともだちにシェアしよう!