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Coffee Stain(5/5)
トーク画面に『おつかれさま』のスタンプが来た。コーヒーを差し出す女の子だ。
「うわ! 自分の公式スタンプを送れるって、本人にしかできない技じゃん!」
俺は同じスタンプを押した。
『ありがとう。僕のスタンプ、使ってくれてるの』
『使わせていただいてます』
ほんの数十秒、時間が空いてからまたメッセージが来た。
『提案なんだけど。プライベートだし、タメでよくない? もしよければ春生って呼んでいい?』
「タメ!? まじか!」
取り落としそうになったスマホをキャッチして、俺は慌てて打った。
『俺はタメ大歓迎です。でも緊張する。慣れるまでは敬語が混ざるかも。涼って呼んでいい?』
『うん。よろしく』
挨拶だけで終わるかなと思っていたら、さらにメッセージが来た。
『今日、打ち合わせが終わって帰る時、めちゃくちゃ寂しくて驚いた』
思いがけない言葉に、俺の心臓はぎゅっと絞られた。頬が緩み、意味まなく部屋の中を見回してしまう。涼が不安になる前に、返信しなきゃ。
『俺も。涼のこと考えてた』
『今も会いたい?』
『すごく会いたい』
『じゃあ会う? 近くまで行くよ』
『俺が行く。たぶんそんなに遠くないよ。俺、千川に住んでるから』
『隣の駅じゃん。だったら、うちに来てよ。アトリエの住所はわかる? その隣に住んでる』
文字を送りあいながら服を着替え、ひょっとしたらの可能性を考えて、明日そのまま出勤できるように洗面道具と会社のIDをボディバッグに入れた。
まだ地下鉄は余裕で動いていた。終電は0:15。涼も仕事が詰まってるし、午前0時には解散しよう。
そう思いながら、アトリエに行った。
豪奢な低層マンションの最上階まで上がり、指示された通り、アトリエの隣の部屋のインターホンを押す。
「ごめんね、わざわざ来てもらっちゃって」
ドアを開けてくれた涼は、髪がぬれていた。爽やかなミントの香りが鼻腔をくすぐる。
「こっちこそ、押しかけてごめん」
目の前に涼がいるだけでうれしかった。抱きしめないように気をつけて、おとなしくリビングのソファに座る。
「コーヒー、飲む? さっき帰ってくる途中で、美味しい豆を買って来たんだ」
わざわざハンドドリップしてくれて、部屋の中に甘く香ばしい匂いが広がった。
「ペアのマグカップでごめんね。これしかなくて」
「これ『涼のみちくさいっぱい展』で売ってたやつだ。すごくいいアイディアだと思った。二つのマグカップの向きで、カップルの組み合わせが変えられるのが」
どちらのマグカップにも、花束を持って照れる男の子と女の子が描かれている。カップをくっつける角度で男性同士、女性同士、男性と女性のどのカップルにもできて、ミュージアムショップの目玉商品になっていた。
「このマグカップ、デザインが先で、キービジュアルの『こいするとけい』はあとから描いたんだ」
『こいするとけい』は、性別の組み合わせにとらわれない優しい恋の作品だった。
「撮影可能エリアだったから、写真を撮った」
スマホを見せると、涼は頬を赤くして「ありがとう。うれしい」と言った。そして
「ひょっとして、僕のことが大好きでしょ? 恋とか愛とか、そういうレベルで好きでしょ?」
と笑った。
「うん。大好き。恋とか愛とかのレベルで」
俺は正直に答えた。そして、真っ赤になっている涼の顔をのぞきこんで訪ねた。
「涼も俺のこと、恋とか愛とかのレベルで好きだよな?」
「うん、好き」
彼はうなずき、俺の腰に両腕を回し抱きついてきて、俺も頭が熱くなった。
肩をくっつけあってコーヒーを飲み、膝枕をしたりされたりしながら、子どもの頃の記憶や初恋、好きなアーティストを語り合った。
「そろそろ終電じゃない? 帰ったほうがいいよ。明日も仕事なんだろ?」
「うん」
そんな会話をするくせに、涼は俺の肩に頭を乗せたまま動かないし、俺も涼の髪を指に巻きつけたままでいた。
話し込むうちに顔が近づいて、キスをしたのは明け方だった。
「舌を入れたら、いろいろ止まらなくなって、無断欠勤しそう」
「それはダメ。我慢しなきゃね」
そう言い合って小鳥みたいなキスばかりしていたのに、朝になってあわただしく床の上で肌を重ねた。
熱中しているときも最高だったが、終えたあと、肌が冷めるのと入れ違いにこみあげてくる愛しさが、もっともっとやばかった。涼を抱きしめ、キスを繰り返しながら本気で言った。
「今日、会社休もうかな」
「ありえない。会社員だからって、甘ったれんなよ。駅の改札まで一緒に行ってあげるから、がんばれ!」
涼は腕からするりと抜け出て、俺が脱ぎ捨てた服やパンツをぽいぽい投げてよこした。
このまま涼を連れて会社に行きたかったけど、涼は改札の前でつないでいた手を離し、にっこり笑った。
「はい、いってらっしゃい。仕事が終わったら、また来ていいから。昼までには簡単なラフを送る!」
俺はしぶしぶ出勤し、眠気覚ましのコーヒーを淹れた。
『お世話になっております。イラストレーターの涼です。ご依頼頂いた表紙のラフができあがりました。以下のリンクに格納致しました。ご確認ください』
真面目なビジネスメールの最後に、社交辞令のようにメッセージがあった。
『また美味しいコーヒーをご一緒しましょう』
送られてきたラフはどれも優しい愛と温もりにあふれていて、全部を使いたいと思った。
今日の仕事が終わったら、おいしいパン屋でクロワッサンとバゲットを買い、二人分の朝食を用意しよう。涼の淹れるコーヒーに合うように、バターたっぷりのやつがいい。
俺は真面目な返信を書きながら、コーヒーを絶対にこぼさないように、気をつけて机に置いた。
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