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どしゃぶり洋菓子店(2/2)
「コウちゃん、ごめんね! コウちゃんという彼氏がありながら、ついうっかり若い男の色気に惑わされちゃって! 若い男の性欲に任せた荒々しい腰つきが新鮮で、最高だったんだ!」
嫌な予感が的中した僕は、目を閉じて深呼吸をした。そして強く念じた。
ドアを閉めてくれ。下品なセリフが商店街全体に響き渡ってるから、早くドアを閉めてくれ。
コウちゃんは両手を膝に置き、背筋を伸ばして毅然とした態度で言い放った。
「アタシ、今、おいしいケーキを食べてるの! 話しかけないでちょうだい。緩みきったケツの穴をぱくぱくさせながら青臭い精液をあふれさせて喜んでる、ユルガバケツマ〇コの話なんて聞きたくないっ!」
ドアを閉めてくれ。ドアを!
「僕がユルガバケツマ〇コなのは、本当のことだよ。むっちりした可愛い男の恥ずかしがり屋な仮性△茎ち✕ぽを見たら、上の口でも下の口でも咥えてあげたいって思うのは、自然の摂理だろ? これは誰にも抗えない、大自然の掟なんだ! ぐちょぐちょのセックスしちゃうのは本能だよ! セックスは神が与えた最高のご褒美だ! ケツマ〇コばんざーーーい!!!!!」
「ドアを閉めろおおおおおおお!!!!!」
僕の叫びに、コウちゃんの厳しい声が重なる。
「それには及びませんっ! テメェはアタシが帰るまでに、荷物を持って出ていけ! テメェの痕跡は、オナニーしたティッシュ一枚残すんじゃねぇぞ」
「だからドアを……」
「わかったよ。全部持っていく。コウちゃんには大きすぎるLサイズのコンドームもね。コウちゃんが短小でも、セックスは楽しかったよ。演技を信じちゃう可愛いところも好きだった。次の彼氏には、もっと前戯してあげるといいと思う。あとガシマ〇は嫌われるよ。がんばってね」
「ドア……」
僕の願いむなしく、下品な会話はすべて商店街に響き渡った。明日からの営業どうしよう。
元彼が鼻歌を歌いながら出て行き、僕はようやくドアを閉めた。
と思ったら、またすぐにドアが開いた。
「お別れ記念に、コウちゃんのプレゲの腕時計もらっていい?」
「ふざけんじゃねぇ。俺のものが一つでもなくなってたら、テメェのマイナンバーカードのコピーを警察に、ウミガメのコスプレしてケツからピンポン玉産卵してる動画はXに突き出すからな」
「ええ、そんな程度で許してくれるの? じゃあやっぱりもらってくね!」
元彼は笑顔でスキップしながら立ち去り、僕はあらためてドアを閉めて、コウちゃんの背中を見た。
「プレゲって高級な腕時計じゃない? いいの?」
「そんなに高いやつじゃないし、アイツも次に住む場所の敷金や礼金が必要だろうから、いいわよ」
ずずっと鼻をすする音が聞こえた。
「好きだったんだね」
こくん、と縦に頭が揺れて、僕は胸が痛かった。
「何かもうひとつ、ケーキを食べる? サバランとか、どう?」
「好きよ、サバラン」
僕はグラン・マルニエとオレンジジュースに少しシナモンを効かせたシロップを小さなスポイトに吸い上げ、サバランに挿して提供した。
「面白いわね。楽しいわ、こういう演出」
スポイトを押してシロップを行き渡らせ、コウちゃんは笑顔でサバランを食べた。大きな口に、気持ちよくサバランが消えていく。
僕はコウちゃんの向かいに座り、その姿を鑑賞した。
モンブラン、オペラ、アップルパイも食べて、そのたびに涙が乾き、口角が上がっていくのはうれしかった。どのケーキも丁寧に味わって食べてくれて、明け方になってようやく口を拭った。
「あの子の浮気は初めてじゃないの。もともとあんまりアタシのことを好きじゃなかったのに、善意で一緒にいてくれたんだと思うわ」
三杯目のコーヒーを飲みながら、コウちゃんは小さくため息をついた。僕は向かい合ってコーヒーを飲み、首を横に振る。
「一緒にいることは善意でも、浮気するのは悪意だよ。もし悪意すら感じてないなら、手の施しようがない。さっさと見切りをつけて正解だよ」
「ありがと。優しいのね。今すぐあんたの前にひざまずいて、股間のジュニアにキスしたい気分よ」
「その前にキスする場所は、たくさんあるだろう」
「そうねえ。口、そして乳首かしら」
僕は肩をすくめてコーヒーをすする。
「まずは名前を聞いて、目を合わせて、握手をして、会話をして、ハグをして。相互理解と身体接触を少しずつ深めてから、セックスに踏み切りたいと思ってるけど、僕は」
「名前なんて、セックスのあとに聞くものだと思ってたわ。あんた、そんな悠長なことを言ってるから童貞なのね」
「処女ではないけどね」
「そんな感じはしてたわ。あたし、男とセックスしたがる男は、一瞬で見抜けるの」
「見抜かれてるとは思ってた。でも、一瞬で気を許しすぎ。だから浮気男にいいようにつけ込まれるんじゃない?」
僕たちは小さく笑って、それから真面目な気持ちで彼に言った。
「でも、本当に名前を聞く前にセックスするような、コミュ力も常識もない人は、プレゲの腕時計なんて買えないと思うよ。そんなに無理して自分の性を嘲笑って生きなくても、コウちゃんは素敵な人だと思う」
コウちゃんは目を見開き、カップからだばだばとコーヒーをこぼした。
「あんた、天使なの?」
「パティシエだよ」
「こんなに美味しいケーキを作るんだから、やっぱり天使だわ。ここのケーキ、本当に大好きなの。仕事がつらくても、クズ男ばっかり引き当てて悔しい思いをしても、あんたの作るケーキは、毎回必ずアタシを立ち直らせてくれるのよ。特別な魔法がかかったケーキなの」
「ありがとう。僕もコウちゃんがケーキを食べる姿に元気をもらった。また食べて」
「もちろん食べるわ。目を合わせて、握手して、あんたのことも食べるわ」
「その前に僕の名前を聞いてよ。夏っていうんだ」
「アタシはコウタ。古い歌って書くの、面白いでしょ。気に入ってるのよ」
僕たちはコーヒーでびしゃびしゃになったテーブル越しに目を合わせ、握手をした。そのまま自然な引力に任せ、唇を触れ合わせる。
「こんなキスだけなんて、高校生みたいだわ」
「高校生なら、もっと時間をかけて、手順を踏むと思うけど。出会った日にキスするなんて、充分大人だ」
僕たちは立ち上がり、テーブルを回り込んでハグをした。
「アタシ、夏と手順を踏んで恋愛したいわ。抱き合うだけで心が震えて涙が出てくるなんて、久しぶりの感情よ」
コウちゃんは僕の肩に目を押しつけた。肩は温かく濡れて、僕は彼を愛おしいと思いながら、髪をなでた。
「今まで、恋愛お疲れ様。僕はどこにも行かないし、ヤキモチを妬かせて相手を試すようなこともしない。だから、焦らずにいこう」
腕に力を込めて強く抱き合って、僕たちの恋ははじまった。
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