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散らかりすぎてて彼しか呼べない(2/2)

 僕は唇の下まで湯に浸かって、自分の胸の中に生じた違和感について考えた。  彼氏とエッチなことをするために、匠を追い出す? 匠が満喫やカラオケに行くのに、僕は部屋で彼氏とエッチ? その様子を想像して、僕は急に切なくなった。 「それって、つまんなくない?」 「なにが?」 「僕、匠と遊びたい。なんで彼氏とエッチしなきゃいけないの?」  唇を尖らせる僕に、匠は顔を背ける。 「そんなの知らねぇよ。彼氏と話し合えよ」 「ねえ、匠は? 匠は僕と一緒にいたくない? 彼氏とエッチなんかしてないで、俺と満喫とかカラオケとか行こうぜって思わない?」 「思うけど。彼氏がいるんだろ? 彼氏を優先しろよ」  匠は、腕をつかんだ僕の手を振り払う。 「彼氏、あの部屋に来るの? 匠が片づけてくれた、偽物の僕の部屋に来るの? それで『きれいに片づいてるね』ってほめてもらって、匠がきれいにしてくれたベッドでエッチなことするの? このベッドは匠が整えてくれたんだよって言えないけど、心の中でそう思いながら、するの?」  僕は胸に浮かぶ違和感を一生懸命訴えたけど、匠の反応は冷ややかだった。 「別にそれでいいだろ。こうやって借りは返してもらってるんだし」  匠はお湯をかき寄せ、左右の腕を交互になでる。その腕が、今はちょっと遠く感じて悲しい気持ちになった。 「彼氏と続いちゃったら、僕はずっと片づけ上手って嘘をつき続けるの? 困るたびに本当の僕を知ってる匠を呼ぶの?」 「いつでも呼べばいいだろ」 「匠は、なんなの? 困ったときに助けに来てくれる、ヒーロー? 匠はヒーローになりたいの?」 「そういうわけじゃ……」  匠は急に歯切れが悪くなり、僕はさらに言い募った。 「ねえ、匠。匠はなんでこんなに、僕のことを助けてくれるの? ねえ!」  匠の正面に回り込んで見上げると、彼は眉間に皺を寄せて顔を逸らした。 「なんで彼氏が来る朝に、そんなことを俺に聞くんだよ。集中しろ、集中。一本集中!」 「集中できないよ。ねえ。ねえってば。なんで匠は僕のことを助けてくれるの?」  両肩をつかんで揺さぶったら、匠は前後にゆらゆら揺れて、「あー、ちくしょう」とつぶやいた。  匠は顔を背け、いらいらした口調で言った。 「そんなの、好きだからに決まってんだろ。好きで、放っておけないから、助けてるに決まってんだろ。彼氏がいるってわかってても、涼香が幸せになるならそれでいい、幸せになる手伝いをしてやろうって思ってるからだろ。何を言わせるんだ、ばか」  匠はお湯をすくってざぶざぶと顔を洗い始め、僕は頭の中が急に熱くなって、視界がぐるぐるしはじめた。 「涼香、大丈夫か? しっかりしろ」  脱衣所の籐椅子に寝て、扇風機の風を独り占めし、冷たいタオルで頭と首の後ろを冷やしてもらった。  かいがいしく世話を焼いてくれる匠の姿を見て、僕はばかだったなぁと思う。  こんなに素敵な人が、僕を好きでいてくれるのに気づかなかったなんて。  僕だって、うれしいことも悲しいことも、困ったことも、全部一番最初に匠に打ち明けるくらい、彼のことが好きなのに、気づかなかったなんて。 「ねえ、匠」  ミネラルウォーターの蓋をねじ切ってくれる匠に声をかけ、冷たい水をひと息に飲んでから、僕は言った。 「僕も匠のこと、好きになっていい? 両思いになると途端に冷めちゃうタイプ? 好きにならないほうがいい?」 「いや、両思いなら普通にうれしいけど。彼氏はどうするんだ?」 「別れる。ごめんね、ほかに好きな人ができちゃったって、正直に言う」 「もう少しオブラートに包め。でももう会わないなら、それははっきり伝えろ」 「うん。そうする」  おいしそうな彼氏を家に連れ込むのが楽しみって思ってたけど、今はもう全然楽しみじゃなかった。ベッドの上で匠のことを思い出しながらするなんて絶対に嫌だったし、そういうことは全部、匠としたいと思ってた。  街路樹が朝陽できらきら光る道を、自転車を押して歩きながら、僕は彼氏に謝罪メッセージを送った。  僕と同じで、心よりも身体が目的だっただろう彼氏からの返信はあっさりしていて、僕たちは円満に別れた。  そのやりとりを匠に見せ、僕は顔をのぞきこんだ。匠は、少しほっとしたような顔をしていた。  その顔を見て、僕は今まで匠に、たくさんの我慢を強いていたのかもと思った。僕はごめんねの気持ちを込めて、わざと明るい声を出した。 「ねえ、匠。部屋に帰ったら、さっそくしちゃう?」  匠は横目でぎろりと僕を見て、そっぽを向いた。 「しない。寝不足だから寝たいし、する前にイチャイチャしたい」 「わー、ロマンチストー!」 「お前がエロすぎるんだ、ばか」  僕たちは朝の道を笑いあって進み、三日後にはまた散らかるであろう部屋に入った。  部屋はまたすぐに散らかっちゃうけど、匠がそばにいてくれたら、心はいつまでも片付いたままでいられる気がした。

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