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10 高校教師と、遊び人

 美男子役の黒川さんに相談があると言われ、撮影が終わってから夕食を共にした。  日中は喫茶店だけど、夜はバーになる洒落た店。  それぞれ違うパスタを頼んで、黒川さんは早速語り出した。 「南方先生、私、今からでも役者になれますか?」  落ち着きながらも、真剣な表情。  彼は確か声優の養成所に通っていると言っていた。 「充分なれると思うけど、気持ちが変わったの?」  彼は、初めは『小野田役』のオーディションを受けたと言った。  白石役は節操なしで自己中心的な遊び人の役だが、今の黒川さんの表情なら確かに小野田役でも通る。  小野田役の遠田君を見た時に、小野田役になれなかったことに納得したそうだ。 「確かに、小野田役の精力旺盛な感じは、遠田君のほうが勝ってるかもね」 「やっぱりそうですよね。それと、私昨日、眼鏡をかけて北上先生っぽい格好してみたんです。その時も思ったんです」  黒川さんの身のこなしはとても勉強になるから、僕も見ていた。  北上先生の告白シーンをなかなか上手く再現していた。 「北上先生の役って、南方先生でも私でも頑張ればできそうですよね。でも、誰の北上先生が見たいかって言ったら、鹿島さんの北上先生じゃないですか?」 「彼は、何だろうね。とても独特な演技をするよね」 「私、それが羨ましくて。精一杯感情移入して、考えて考えてそれっぽく振る舞っても、多分追いつかないんですよ」  僕にも北上先生ができるだろうかと考えてみる。  恐らく、作り物の色気は出せても艶は出ない。  黒川さんは険しい表情で言葉を続ける。 「羨ましいし、悔しくて。だから白石だけは負けたくない。でももう、それだけじゃ満足できなくなってて。自分に足りないものがあるなら、今以上に自分に暗示をかけてみて、全身全霊でどこまでできるかやってみないと、気が済まないんです」  自分は今、物凄く貴重な場面に立ち会っているのではないだろうか。  人一人が、強い情熱と野心で自分の方向を定めて、その道に突き進もうとしている。 「声優の勉強も自分を構成するのに必要だから、最後までやりたいんです。その後で役者になろうとするのは、役者さんを()めてますか?」 「全然」  僕も情熱を持って方向を変えたが、彼の情熱はそれ以上に感じる。 「僕は役者はまだ二年しかやってないから、何か言うのはおこがましいんだけど、僕個人の意見を言うなら、君は相当な役者になれるよ」  今の気持ちを失わなければ、彼にはできる。  遠田君より、小野田君らしい小野田君になれるし、  鹿島さんよりも、北上先生らしい北上先生になれる。  それを確信したと同時に、彼がそうなるところを、その過程をずっと見てみたいと思った。  黒川さんは、熱意のこもった表情を(ゆる)め、はにかみながら目を細めた。 「そんな、ありがとうございます。今の考えで役者になっても、大丈夫なんですね」  薄々気づいていた。  今の現場で繰り広げられる何十通りものシナリオは、何も特殊な物語ではない。  男である自分が、男性に想いを募るのは、今の状況では自然な流れの出来事ではないか。  いや、この現場に来たせいで、感化されただけなのか。  それに黒川さんは『女性』だから、これは普通のことなのか。  わからないことも多いが、僕は恐らく最初から、彼に魅了されていた。  役者として俯瞰(ふかん)して自分を高める姿勢、勤勉さと熱意、若さと前途の開けた才能、全てを眩しく感じていた。 「既に白石君の役は、僕らの中では黒川さんにしかできないよ」  自分を現実に戻そうとそう口にすると、黒川さんは照れ笑いを見せた。 「白石くん役が決まってから、この格好をして外でも家でも白石くんになりきってましたから。ちょっと自信あります」  また彼を尊敬してしまう。  今白石君になっていないのは、礼儀として本当の自分で接してくれているのだろうか。  ふと、自分の顔が酷く穏やかな笑みの形になっている事に気付く。  いつからこの顔をしていたのだろう。  口元を手のひらで覆って、平静を取り戻そうとする。 「あの、僕よりも鹿島さんのほうがだいぶ長く舞台俳優をやってるはずだよ。どうして僕にこの話をしたのかな?」  僕は何を聞いているんだろう。  なぜこの場に僕が呼ばれたのかなど、聞いてどうするんだ。  僕の内心などわからない黒川さんは、素直な面持ちで言った。 「南方先生のほうが、私に近い役者な気がしたので、南方先生に聞いてみたかったんです」  自分本来の魅力を最大限に引き出すよりも、自分にないものを突き詰めながら、そつなくこなそうとするタイプの役者だと言うことか。  確かに近い、だから共感できる。 「また今度、一緒に食事をしないかな? もっと話を聞きたいんだけど」  シナリオのように、南方が白石君に想いを打ち明けたりは、しない。  僕のような地味でつまらない人間が、黒川さんのような眩しい人を側で見ていたいと思うなど、それこそおこがましい。  それでも、同じ現場に携わり、近くで見ても構わない時期だけでも、彼を近くで見ていたい。  黒川さんは少しテーブルの一点を見つめてから、 「私もお話を聞きたいです」  と、柔らかな表情で提案に了承してくれた。

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