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第9話

◇◇◇ もう大丈夫と判断したキキは息を整えて個室を出る。注射型の抑制剤は想像以上に効き目があった。 (驚くくらい楽だな、注射) 症状は落ち着いたものの、薬で押さえ込んでいるに過ぎなかった。いつこの薬が切れるかわからない。 (早く家に帰らなきゃ) 急ぎ足になったのがいけなかったのか、トイレを出てフロアの角を曲がろうとすると酷い頭痛に襲われた。動いたことにより血液循環が良くなり薬が早く全身に巡ってしまったようだった。立っていられなくなるほどの頭痛に、ズルズルと壁に縋り付く。足もだんだん踏ん張りが効かなくなってキキは床に座り込んでしまった。 (まさか、副作用…!?) 注意書きには何て書いてあっただろう。ちゃんと読めばよかったと思ってももう遅かった。酷い頭痛と虚脱感。そしてまたどんどんと息が上がってくる感じがする。切れたわけではないとは思いたいが確かめるすべもない。言えることはこの状態でαに見つかったら一貫の終わり、と言うことだった。 「誰かいるの?」 前方から声が聞こえた。キキの霞みがかった視界に相模が映る。 (撮影現場一緒だったのか…?) キキは相模に助けを求めたかったが、すんでのところで思いとどまる。相模はαで自分はΩ、助けるどこか相模にとって自分は格好の餌食なのだ。どれだけ理性的なαであっても、Ωのフェロモンによって本能が勝ってしまう。それはまぎれもない事実なのだ。 (相模はαだ、逃げなきゃ…) そう思うのにキキの身体は言うことを聞かない。力の入らなくなった手足で必死にもがくがなしのつぶてだった。 「キキ…、どうした顔が赤いぞ?」 その間にも相模がキキに近づいてくる。相模はキキの前にしゃがみこみ顔を覗き込んできた。目の前に相模の顔が大きく映る。「大丈夫か?と問いかけてくる相模。今はその優しさが鬱陶しいと思いながら、こうしてる間にも意識が遠のいていく。 撮影はもう終わって帰るだけなのに、薬の副作用のせいで身体が動かない。文字通りの劇薬はキキを内側から壊していく。 「な、ん…でもな、い」 急に息が吸い込みづらくなり、肩を大きく上下させて呼吸する。涙が滲み、溢れてくる。しかしそんな顔を相模には見られたくなくて、キキは全身で放っておいてくれという空気を出した。 (相模はα、逃げないと…) (でも、別に妊娠はしないのだし、 相模に襲われたからと言って、…) (助けて(抱いて欲しい)) そんなことを思ってしまうほどにキキは理性と本能の間で揺れ動いていた。 「…なんでもないことないでしょ」 相模はそう言うとキキの脇に腕を入れてキキを立たせる。 「立てるか?…無理そうだな」 しかし、足が踏ん張りが少しも効かないと分かるとキキを横抱きにして抱きかかえた。 「もう仕事は終わったのか。マネージャーは…?」 もう喋る気力もなくてキキは首を振る。おかしいなと思った時点で連絡すべきだったがもう遅い。最後だからといって返すべきではなかった。 相模の暖かさに涙がとまらない。顔をすり寄せると相模がキキの上で息を飲んだ。 「…キキ、」 もうどうにでもなってしまえばいい、そう思いながらキキは相模の腕の中で意識を手放した。

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