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第20話
「僕がβ?冗談はよしてください、佐伯さん」
相模は何としてもβだとバレるわけにはいかなかった。笑ってごまかす相模を見透かしたように、佐伯は退路を潰してくる。
「巷ではαのフェロモンを模した香水があるらしいな。――あの日君からは香りはしなかったが、今日はする。おかしな話とは思わないか?」
グラスを傾け、注がれたワインの香りを嗅ぎながら佐伯は言った。ゆっくりとグラスを回し、中身を揺らす。すべて掌中の内と言わんばかりの態度に相模は引けを取ってしまう。しかし、ここで負けてはいけないと相模は思い直す。伊達に下積みからの5年間αを演じてはいない。
「佐伯さん、差し出がましいようですが、いいことをお教えして差し上げますよ」
声色も変えず、笑顔で相模がそういうと、佐伯の眉が興味深そうに動いた。淡々と相模は続ける。
「匂いをつける香水もあれば、反対に消す香水もあるんですよ。どちらかというとデオトラントのようなものですが」
「へぇ…、そんなものがあるのか。」
「ええ。良ければ今度サンプルをお送りいたしますよ」
「…楽しみにしておくよ」
スルスルと漏れる嘘に佐伯は折れた様子だった。納得はしていないようだが。
「まあ、というのは冗談にして…。強いて挙げるなら目がね、あの青年と一緒だったよ」
変掃除はサングラスをかけているが、あの一周だけ佐伯を威嚇するためにズラしたことを思い出した。佐伯の言う通り、目は変えられない。
「あの時はキキを守るのに必死で。
まさか昔からのお知り合いだとは…」
佐伯がそういうと、次は佐伯の纏う空気が澱んだ。どうやら佐伯にとって、「真白」という存在は今でも大切な地位を占めているらしい。
「…何を真白から聞いたんだ」
先ほどまでと違い一段と冷たい物言いをする佐伯。その露骨な態度に相模も嫌な言い方で応酬する。
「あなたが冷徹でキキを捨てたことなんてキキは言ってないですよ。…ただ想像に難くないだけです」
「ほぅ?」
撫で付けていた佐伯の前髪が崩れる。解けて前髪のかかった顔は、最初よりも若く見えた。佐伯の表向きの顔が剥がれたように相模は感じた。
「キキは真白はあなたのことがずっと好きだったと言ってました。俺があなたについて聞いたのはそれだけです」
「私が真白を捨てたと?
君もαならわかるだろ、運命の番には誰も抗えない。
――『αなら』なおさら」
(捨てた以外のなんでも無いだろう!)
その物言いに、相模はどうしようもない怒りを感じた。この人もやはり傲慢だ。人の気持ちを踏みにじって、なんとも思わない人間なのだ。
佐伯と話してから改めてキキの話していたことを思うと、当時の佐伯はなんと言ってキキを突き放したのか。想像するだけで胸が締め付けられた。自分でさえ、こんなにも痛みを感じるのだ。キキの精神が病むのも無理はなかった。
「悲しむキキをみたくないから手放した、
とでも言いたげですね」
「私は真白を大切に思っていた。それは誓って言えることだ。でもなぜ、真白は私の元から離れてしまったのかわからない」
(本当にわからないのか?この男は。
人を好きになったことがないのか?)
綺麗に着飾って、顔に貼り付けている権力はお飾りなのか。自分よりも目の前の男は虚像に見えた。あまりに正直すぎる「本当」は、虚ろで人間的な情熱はない。
「久しぶりに会って、どうして私の顔を見て狼狽えるんだ…」
「あなたは真白をどうしたいんですか?
手元に置いてまた苦しめたいんですか?」
思わず相模は口を挟んでしまった。
「苦しめたい?慈しみたいの間違いだろう」
視線はまさしく火花を散らしてお互いを見つめあう。相模の心にあるのはキキを守りたいという気持ちだけだった。しかし、今それが別の形に変化しようとしていた。
「…そんなに愛してたのなら、なぜ噛んであげなかったんです?」
相模の言葉に佐伯の返事はなかった。
もとよりそれしか話す気がなかったので食事もほどほどに場はお開きとなった。
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