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第31話

キキは佐伯に囲われてからというもの、多めに抑制剤を常用摂取するようになった。それが自身の身体を痛めつける行為であっても、やめることはできなかった。佐伯と寝たあとはセーフセックスで有ろうと無かろうとアフターピルを飲む。 意識としてはセックス中や佐伯といる時は真白に占領されていて、1人になった途端キキに戻る。真白は薬を飲んでくれないので、キキは意識が戻る度薬を飲んでいる状態だった。 そこまでしてキキが薬を飲むのは、佐伯と番になりたくないからだった。番になるくらいなら、死んだほうがマシだと最近は切実に思うようになった。Ωが発情期時の性行為中に頸を噛むことでαはΩを番いにできる。言い換えると発情期が来ないかぎり、それが性行為中であっても頸を噛んだところで番にはできないのだ。 薬で誘発している3ヶ月に一度の発情期だが、周期はもうすでに崩れ始めていて予測がつかなかった。誘発剤として処方されている薬を飲まなければ、理論上はキキの身体では発情期は起こらないはずなのだが、念には念をとキキは抑制剤を飲むことをやめることができない。 ある日、キキの行動を不審に思った佐伯に抑制剤の過剰摂取が見つかってしまった。薬を手に取り口に運ぼうとした瞬間、背後から佐伯に咎められる。 「薬の過剰摂取は身体に悪いと習わなかったのか?」 その言葉を聞き、キキは手が止まる。キキだって本当は飲みたくはなかった。この行為の代償はきっと、想像しているよりも大きいのだ。最近は記憶障害も併発してきている。キキはもう夢現の状態で、何が現実で、何が夢で、本当は自分がキキなのか真白なのかすら区別がついていなかった。 「あなたには関係ない…」 やめなさい、そう言われて薬を取り上げられた。返してと叫ぶと佐伯はそれをゴミ箱に投げ入れる。 「ひどい…」 「頼む、頼むから自分をそれ以上傷つけないでくれ。俺は君と無理に番になりたいわけじゃない。…正直もう俺も、君が誰なのかわからない」 佐伯はキキの手を引き、ソファーへ座らせる。佐伯は手早くホットココアを入れ、キキに差し出した。おずおずとキキもそれを受け取り、口をつける。甘く、優しい味がした。 「君は多分キキだと思うから、君とならまだマシに会話ができる。君が望むのであれば、俺がα用の抑制剤でも、殺精子剤でも飲む。いやじゃなければ、首輪も用意しよう。…でも、真白だけは手放したくないんだ。すまない…。俺は君を幸せにはできないんだ…」 どこまでも真白のことを好きな男が、甘美な譲歩案を提示してくる。そもそも佐伯がどこまでキキのフェロモンに影響されているかは未知数だった。キキはほかのオメガに比べて極端にフェロモン濃度は低い。匂いを感じる機関は正常に機能しているから、αのフェロモンに当てられれば気持ちは高揚して雄を求めるようになる。しかしそれでも一定以上のフェロモンは出なかった。佐伯が自分で薬を飲んでくれるに越したことはないが、正常な機能にいわばロックを掛けるのだ。わざわざ、そんなことを佐伯にさせたくはなかった。 「佐伯さん…優しいんですね」 「優しい?俺が…?君にひどいことをしているのにか?」 「あなたは真白にしか興味がないのに、僕のことを心配してくれるじゃないですか。僕がいなければあなたは真白と一緒になれるのに」 キキが儚げにそういうと、相模はそれは違うと否定した。 「君は君なんだろう、俺にはわかる。一緒にいて混乱することの方が多いが、君は真白じゃない。それがいいとか、悪いじゃなくて、俺は君をひとりの人間として尊重したいんだ」 「…じゃあ首輪(チョーカー)をください。あなたは薬なんて飲まないで。僕みたいにならないでほしい」 「僕みたいってどういうことなんだ?」 「 話はまた今度にしましょう。僕の話なんて面白くないから。…絶対にあなたは自分を大切にしてくださいね」 「あぁわかった」 あまりにキキが真剣にいうものだから、佐伯はそれに負けて首を縦に降る。 「秘書に首輪は用意させよう、解除方法は俺は知れないようにしておく。君は?」 「僕の記憶は真白と一緒だから、僕が寝ているうちに首輪をつけてもらえませんか」 「わかった、仕事がまだあると思うが、その時はどうする?秘書に外させようか」 「そうですね、そうしてください」 「これで君はもう、薬を飲まないと約束してくれるかい?」 キキはゆっくり首を縦に振った。そして儚く微笑んだ。佐伯はキキが何も発していないのに、「さようなら」と言った気がした。 佐伯はその日キキが眠ったのを見届けると、至急秘書に用意させた首輪を嵌める。 カチャンと施錠する音が響いた。これが何を繋ぎ留める鍵なのか、佐伯は柄にもなく考える。 (真白さえ、そばにいればいいと思っていた) 再会してからの自分は、それまでの失われた時間を取り戻すかのように躍起になって真白に接触を図った。話すうちに、真白には、真白とは別のキキという人格があることがわかった。そしてむしろ、今は真白ではなくキキとして生きていることを知った。キキには最初興味などなかったが、相模の言葉を受けて改めて彼が生まれた意味を佐伯なりに考えた。それはきっと単なる現実逃避の果てにできた人格などではなくて、生まれ変わりたいという願望からできたのだろう。 話し方も性格も考え方も、真白とは何もかもが違った。今でこそ話す機会は少なくなったが、最初のうちはキキと話す機会の方が真白よりも多かった気がした。

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