ああ、これは夢だな、なんて漠然と思った。 　緑が目の前に広がっていて、馬が自由に走り回っている。遠くには小川も流れていて、これぞ自然！という光景があった。 「イヴァン様！こっちへ！」 　イヴァン、という名前に反応してしまう。ああここではこの名前なのか、と振り返ると1人の男が立っていた。逆光で顔は見えないが、きっと親しい仲なのだろう、心がほっと安らいだ気がする。 「こけたのか？そこら中に葉っぱがついてるぞ」 　白い服にデザインかのように散らかっている葉を指差す。男は慌てたように片手で葉っぱをはたき、ぼさぼさになっていた髪を手櫛で整える。 「お恥ずかしい……。イヴァン様に早く見せたくて、必死になってしまいまして」 　背の後ろにまわして隠していた手を前に差し出す。その手に握られていたのは、真っ赤に実った果物だった。その果物に見覚えはないものの、懐かしい気持ちが心を占める。 「すぐそこになってたんです。お好きですよね」 　男が笑顔を見せたのを雰囲気で感じる。 　男の顔にモヤが掛かったように霞んでいて顔はわからない。 「ありがとうな……」 　男の優しさに涙がこぼれそうになる。 　ただひとつの果物にここまで泣きそうになるか？なんて思いながら、ああ、そうだった、と心に浮かんだ言葉を口に出す。 「もうすぐ終わり、なんだな」 　そうだった、ここに来たのは最後にのんびり過ごす日くらいあってもいいか、と城を抜け出してきたのだった。 　国王であった父が亡くなり、それを追うように母も亡くなった。成人を迎える前に両親を亡くした頃、国の端っこで起こった小さな争いが他国に広がり、自分が知る頃には手の負えない状態になっていた。 　早くて明日、遅くても数日の間には他国が城を攻めてくる。 「お前はいいのか？俺についてきて」 　大事な者には暇を言い渡した。こいつにも暇を与えようとした所、男はそれを拒否した。なんでもはい、と肯定ばかりしていたこの男が珍しく断固として首を立てに振らなかった。 　数日後には生きている可能性のほうが低い。生きていたとしてもきっと自身で死を選んでしまうような仕打ちが待ってるかもしれない。それなのにこの男はそれすらも受け入れ、共に過ごすと言ってくれた。 「イヴァン様、今日は笑顔で過ごしましょう」 　男は笑顔を浮かべた気がするが、声は少しだけ憂いを帯びていた。 　 「私は私が死ぬことより、貴方が苦しむことのほうが悲しいのです」 　男が手を伸ばし頬に触れようとした。が、その手は宙を撫でるだけで、触れることはしなかった。 「最後まで貴方と共にいます」 　そう言い切った男に、今まで心の奥に閉じ込めていた言葉を言う 「……最期は両親の所で行きたいんだ」 　足元に視線を下げてそう言う。 　最後の最後にこんなワガママを……。子供だと嘲笑うだろうか……。 「イヴァン様」 　男は名前を呼ぶ。視線を上げると、男の優しい雰囲気を感じとる。ああ、きっといつも通り笑顔を浮かべている。 「命令してください。その命令があれば、私は成し遂げるまで生きていけると思うんです」 　その言葉に男の決意を感じ取る。ああ、こいつは戦で命を落とす覚悟をしている。 　 「……命令だ」 　辺りが急に静かになった気がする。 　男はじっと、続く言葉を待っていた。 「命令だ、お前は俺より先に死ぬな……」 　涙があふれそうになる。唇を噛みしめ、痛さで紛らわせる。男の目を見れずに、視線を下げて男の胸元を見る。 「……仰せのままに」 　膝をつき、男が目を合わせてくる。 　顔はモヤがかかって見えないが、震えている声が泣いているのを物語っている。 「お前はいつも俺より先に泣くんだな」 「イヴァン様が素直に泣けないみたいなので」 　なんて強がりを言う男にすこしだけ心を救われた。