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07
ぬるま湯に入っているような幸せが続いていた。
このままずっと、と思っていたのに。後悔した時にはもう遅い。骨の髄まで刻まれていたはずなのに。
黒澤琥太郎って知ってる?と壮に聞かれたのは、学園祭が約1ヶ月後に迫ってる時だった。
壮は綺麗な眉を顰めて、黒澤琥太郎が学園祭の特別ゲストになったことを話した。寸前での変更で元々多い雑務が増えたことを嘆いでいる。
「あんまり無茶したら疲れるよ」
そう言うが、壮はため息が止まらない。
はぁ、と吐き出されるため息を、頭を撫で、慰めてやりたいと思うが、心に留める。
「無茶しないと、落ち着きそうにないんだよ」
今は壮の家の近くにある公園で佇んでいた。
学校終わり、定番となった送迎がてらバイトまでの時間を公園で壮と過ごしていた。
壮は溜まった疲れを吐き出すように、ベンチに腰掛けたまま空を仰ぎ息を吐く。学校では見せないような、少し態度の悪い姿だ。
「生徒会長だからってそこまでしなくても、2年の子とかもいるんじゃないの?加賀とかもいるんだし」
流れる汗を拭いつつ、公園にある自販機で買ったお茶を頬に当てる。
「みんな一緒に頑張ってるし、俺1人だけサボったりできないよ」
そう言う壮に、昔の姿が重なる。
「しんどくなる前に、俺に頼ること。」
一口だけ口をつけたお茶を、壮の頬に当てる。
冷たさにびっくりしたあと、目尻が下がり笑顔を浮かべる。
「わかってる」
「学園祭、手伝えることは手伝うから。お代は……ゆかりでいいよ」
そう言うと壮は少しだけ笑みをこぼした。
肯定の意味のそれに伊織も笑顔を浮かべる。
いまから超売れっ子と打ち合わせ、と壮は言った。その相手が黒澤で、伊織は不満げに頬を膨らませてしまう。
「15時には終わるから。今日はカレーだって。」
座っている伊織の頭をぽんぽん、と叩き、壮は生徒会室を後にした。壮から触れられることは少なく、顔に熱が集まるのを感じる。
「恋人同士みたいだね」
ニヤニヤとした笑みを浮かべて、加賀はそう言う。
伊織の気持ちを知っての反応で、すこしだけイラッとしてしまう。
「そんな真っ赤な顔で凄んでも怖くありませーん」
食べかけだったパンにかじり付き、頬に手をやる。頬だけが熱くなっていて、手のひらで冷まそうとするが、中々冷めないし、目の前の加賀は意地の悪い顔で見てくる。
もう伊織が壮に好意を抱いているのを確信している加賀。応援してるのか、冷やかしてるのか分からないが、自分の弱いところを知られたみたいで、2人きりだとすこし居心地が悪い。
「冴島くん、目の下ちょっとクマできてたね」
そういえば、と加賀は言った。
身体が白い壮の目の下に薄黒いクマが出来ていた。それは当然伊織も気付いている事で、ここ数日虫の居所が悪い原因にもなっていた。
「学祭の準備に、勉強にあんま寝れてないみたい」
昨夜のことを思い出す。
もう寝ようか、と自室の窓を見た時、壮の家の光が煌々と光っていた。時刻はもう日付を変わっていて、いつもなら暗くなっているはずの時間だった。
数日前に公園でああ聞いてしまった以上、壮のやることを陰ながら支えることしかできない。生徒会の人間しかできないような事を、生徒会と関係のない伊織にやらせることはないし、勉強も教えてもらう立場の伊織にできることはない。支える、と言っても何をすればいいのかわからない。
「……俺には、できる限界ってあるから、……本当は頼みたくないけど、あいつのこと頼むな」
本当は自分の力だけで守りたいが、そうできないのを痛感している。四六時中目を離さない訳にはいかないし、壮には壮の世界がある。その世界も大事にしてやりたい、と思う。いろんな物をみて、いろんな事を経験して、伊織の隣を選んで欲しい、と。
「……言われなくても」
加賀は目を伏せて、口元に笑顔を浮かべた。
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