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 バイトだと嘘をついて、壮の家を後にした。  少し恐怖を含んだ瞳を真っ直ぐ見ることができず、会話も盛り上がらなかった。壮の母親は不穏な空気を察知したのか、いつもより口数が多くなっていた。  自宅の玄関を開け、リビングから聞こえる母親の声を無視し、自室の鍵を閉める。  はあ、と何度目かわからないため息をこぼした。  一纏めにした両手、力任せにしすぎて怪我をしたかもしれない。あの恐怖を含んだ瞳でまた見られるかもしれない。もう二度と壮の気の抜いた所を見れないかとしれない。そんな後悔が頭の中をぐるぐると回る。  それほどまでに、黒澤の存在は大きかった。  こう離れている間にも、壮は黒澤のことを思い出してるかもしれない。過去に思い焦がれた相手を思い出し、また恋をするかもしれない。そんな考えが頭の中を支配する。  否応にも次の日はやってくる。寝てなくても明るくなり、時間になれば母親が部屋の扉をドンドンと叩いてくる。 「早く出るわよ」  ずる休みしようとしてる気配を察したのか、母親が玄関で仁王立ちしていた。 「あんた勉強もついていくのギリギリなんだから、体調不良以外で休むのなんて許さないわよ」  何度も聞いた言葉に、はぁ、と息を吐き制服に腕を通した。寝てないせいで髪をセットする元気も、コンタクトをいれる気力すらなく、最低限の身支度だけ済ます。 「今日は歩いて行きなさいよ」  靴を吐き、母親の隣に立ったとき、そう言われる。  目の下にくっきりと現れていたクマを見つけたみたいだ。 「わかってるよ」  母親と玄関を出て、マンションの階段へと向かう。母親はコツコツとエレベーターの方へ。  肩に重石を乗せたようなダルさがある。肩を回してみたり、腕を空に伸ばしてみたりするが、良くなる気配はない。  身体が重いまま学校へと向かっていった。  授業中も眠気がくることは無く、ぼーっとしていたら時間が過ぎ去っていた。午後は学園祭の準備で、白雪姫の劇の練習だ。  主演の白雪姫と、王子役と台本を見ながら話していく。  すぐ後ろでは壮が黙々と小道具を作っていた。  朝から何度か呼び止められそうな雰囲気はあった。でも呼び止められる前に、壮の前から逃げた。昨日の夕方の事がまだ押し込められてない。また2人きりになると、変なことをしてしまうかもしれない。  そう思うと昼も生徒会室にはいけなかったし、昼食も喉を通らなかった。 「もう疲れた!やめやめ!!!」  ワガママにそう言うのは白雪姫役のクラスメイト。  その声に皆も、今日は終わろうか、と片付けをしていく。壮の方をみると、教室の後ろで小道具を片付けているのが見えた。 「壮、帰ろ」  いつもより少しだけ小さな声になったが、壮は振り向いて、ああ、と答えてくれた。  チラッと壮の手首をみると、昨日着いた傷なのか、擦れた跡があった。  先に教室の扉へと歩いていき、壮が来たのを確認してから廊下へ出る。 「今日、バイクじゃないから」  そうなんだ、とすぐ後ろから返事が聞こえる。  道ゆく生徒が壮のことを見て、挨拶をしたりしてるのを聞いて、気軽に話しかけるなよ、なんて思ってしまう自分を置き去りにするかのように歩くスピードを早める。 「……なあ伊織」  裏門に付き、門に手をかけたとき壮の小さな声が聞こえた。 「なにをそこまで怒ってるの」  門を開けたまま壮の方を向くと、壮は門を潜り抜ける。自身も通り、ガシャン、と門を閉める。思ってたより大きい音が出て、壮は肩を竦めていた。 「怒ってない、……怒ってないよ」  一度目は自分に、二度目はすこし声のトーンを落ち着かせ、壮へ。 「心配なんだよ、壮が」  誰かに取られてしまいそうで。と心の中で続ける。口に出しては言えない言葉だ。   「壮はいつだって……」  手の届かない所へ行ってしまう。  今回も、きっと、届かず終わってしまうのではないか。また、胸が張り裂けそうなあの気持ちを味わなければいけないのか。 「そんなに気に触る事をしたのか、俺は」  壮の手が伸びてくるのが見えて、悟られないようにそれを避ける。  過保護なだけだよ、と伝える。 「壮は壮なのにね」  イヴァンではない。目の前にいるのは冴島壮で、俺の幼なじみ。言い聞かすように口に出すが、壮は意味がわからないと言ったように、キョトンとしていた。  そんな壮の隣を通り抜け、帰り道へと足を進める。 「俺は」  少しだけ大きな声で壮が声を出した。 「俺はお前のこと親友だと思ってるよ」  すぐ隣に着いた壮は伊織のことをじっと見て、そう言った。  親友、もうそれじゃあ満足できないんだよ。  心の中でそう言った。でもこれも口には出せない。 「俺もそう思ってるよ」  自然に笑えただろうか、自然に言えただろうか。  笑顔を浮かべて、歩みを進めた。  

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