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「いや、思い出して貰えて嬉しいよ。実はもう東京の家は引き払ってこっちに帰って来てるんだ。明後日から実家の病院で働くことになってる。だから、貴司とはすれ違いだね……ここで会えて良かった」 「え? そうなんですか? じゃあ東京のあのマンションに行っても会えなかったんだ。だったらホント、偶然に感謝しなきゃ」  嬉しそうに微笑む貴司に、自分は上手く笑みを返せているだろうか? 不安な気持ちが胸を過ぎるが、彼にとっての自分は常にしっかりしていなければならない。 「そういえば、こんな所で油を売って、彼に見られたらマズいんじゃないか?」  貴司の相手は彼にかなり執着し、監禁までした人物だ。色々な絡みがあり、半ば巻き込まれるような形で歩樹は貴司を救出し、半年ほど東京の自分のマンションに匿った。  結局、その後二人は結ばれたのだが、貴司の相手が自分を良く思っている筈も無い。 「それは平気です。セイは今日実家に呼ばれて居ないけど、アユに会った事はちゃんと後で話すから」 「そうか。ならもう心配は要らないみたいだな」  隠し事はしないという貴司の姿勢が彼の成長を伺わせ、今の歩樹には眩しく見える。 「アユは……少し痩せた? なんだか凄く疲れてるみたい」 「ああ、引越しやら新しい職場への挨拶やらで忙しかったからね。確かにかなり疲れてるよ」  彼にまで指摘されるようでは下手に平気だと強がるよりも、認めた方が逆に心配を掛けないだろうと判断して、歩樹は敢えてそう答えた。 「アユは自分のことより、周りを大事にし過ぎちゃうから、あんまり無理しないで自分を大切にして欲しいって思います。なんて、俺なんかに心配されるとまた頑張っちゃいそうですけど」  困ったように微笑みながらも、以前よりずっとはっきりと話すようになった貴司の姿に、歩樹の胸へと温かいものが満ちてくる。 「アユは優しくて、大人で、しっかりしてて……家族ってどういうものか良く分からないけど、あの半年、アユが兄さんだったらいいのにって思ってました。だから俺もアユに少しは頼って欲しいです。もし、愚痴でも何でも俺が役に立てるなら言って下さい。アユが凄く頑張ってるの俺は知ってるつもりだから」

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