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(全てが今更……だ。とりあえず今は……)  感傷に浸っている余裕などないと思った歩樹は急いで準備を済ませると、荷物を持って立ち上がった。  母親の住む家を出たのは昼を少し過ぎた頃。それからすぐ、夏休み中の佑樹に電話で連絡した。  自分が帰る三時頃から一時間ほど楓を外に呼び出して欲しいと伝えると、声から何かを悟ったのか……聡い弟は理由も聞かずに「いいよ」と明るく答えてくれ、だから歩樹は荷物を取りに家に帰って来られたのだ。 (いつか佑樹には、ちゃんと話そう)  母親の家で聞いた全てを、きっと彼ならば受け入れられる。それによって佑樹の暮らしが変わるわけではないけれど……黙っていると綻んだ時、要らない疑心を生むだろうから。  そしてもう一つ。 (楓には、俺が必要だ)  家から離れて成功しても、拭い切れない怒りがあるから楓はここへと帰って来た。そして、それを向ける矛先は、結局のところ自分しかいない。 (多分……これからどうしたいのかは、アイツ自身も分かってない)  大人だから割り切れだなんて、前に楓へと告げたけれど、大人になってもそう簡単に切り替えなんて出来やしないと歩樹は目を伏せ考える。  今まで、物分かりのいいふりをして、上辺だけ取り繕って、深くを見ないようにしていた。 『アンタはいつもそうだ。なんでも悟ったような顔して、誰にでも平等で……』  昔、楓に言われた言葉が頭の中へと木霊する。 (違う、そうじゃない。俺は……)  今は少しだけ時間が欲しい。  結論は決まっているけれど、その為の覚悟を決める時間が今は必要だ。冷静に……考える時間が。  書き置きはリビングのテーブル上に残しておいた。  少しの間家を空けるが、仕事にはきちんと出る……と、書いた紙を読んだ時、楓はどう思うのか? (行こう)  暫し考えに浸っていたが、時間が無いと思い出し、玄関へと向かった歩樹は手早い動作で靴を履く。  二十分しか過ぎていないが、万が一戻って来たら出て行けなくなってしまう。

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