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「あの男に会いに行ってたんだろ? 一緒に住んでたって調査結果に書いてあった。アイツも、歩樹の特別なのか?」 「んんっ……うっ!」  声を出すことは出来ないから、首を小さく縦に振る。  前半部分は聞こえなかったが、貴司は歩樹にとって特別な存在に違いない。  今まで、恋人は何人かいたが、一緒に暮らした他人は貴司が初めてで……彼と一緒に過ごす内、色々なことを教えられた。  今思えば、恋情ではなかったのかもしれないが、彼との時間はそれまでに無く穏やか物だった。 (俺が貰ってばかりだった)  家で誰かが待っていて、笑顔で自分を迎えてくれる。そんな、普通の人には当たり前の幸せが……温かな物なのだと本当の意味で知れたのは、貴司と出会えたお陰だった。 「そうか」  ポツリと呟く楓の声に、怒りの色は浮かんでいない。言葉で説明出来ないから、勘違いされてしまっても仕方が無いと思っていた。  だけど、その場しのぎの嘘を吐くことは、どうしても出来なかった。 「じゃあ、あの時俺が帰って来なければ……アイツの所に逃げるつもりだったんだ」 「う……んぅっ」  それは楓の勘違いだと告げたくて、首を何度も横に振る。あの日、実際に行った先は母親の家なのだ。 「行かせない」  だけど気持ちは伝わらなくて、唸るような楓の声に、また暴力を振るわれるのかと思って瞼を閉じた途端……背筋にポタリと何かが落ちて、歩樹の身体がピクリと揺れた。  ***  何故なのか……ずっと答えに目を向けようとしなかった。  幼い頃の記憶のなかで一番頭に残っているのは、ドアノブから掛かった紐に首からぶら下がっていた母親の姿。あんな光景を目の当たりにして、記憶を消してしまえる人などそう存在はしないはずだ。  今思えば、立派な地方のマンションで、家政婦が毎日訪れ生活の世話をしていたのだから、それなりの援助があったのだろう。彼女は白く儚くて、いつも夢を見ているような虚ろな表情をしていた。 『楓っていう名前は、あなたのパパがつけたのよ』  フワリと笑うその顔は、だけど何かが足りなくて……唯一彼女がしてくれたことは一緒に眠る事だけで、世話という世話は全て他人に任せきりにされていた。

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