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第5話
そんな顔も出来るのかと、またそれにも感心していた。すると次いで、足立もまた問い掛ける。
「鷹野サンはどうして?」
「オレは…」
鷹野は子供の頃に父親と車で出掛けた際に交通事故に遭い、消防士である人に命を助けられたと語った。酒気を帯びた父親の運転誤りにより、高速道路でトラックとの正面衝突事故に遭った車は前がぐしゃりと潰れ、助手席に乗っていた鷹野と運転席に乗っていた父親は閉じ込められてしまったらしい。ガソリンが漏れだし炎上し始める車からその人だけは諦めずにドアを抉じ開け自分を救ってくれたそうだ。だが、その時に父親を失っていることも告げると同時に鷹野はフラッシュバックした様にその惨劇を思い出す。何処か一点を見つめながら冷や汗をじわりとかくと、車に挟まれながら徐々に炎が襲うという状況での恐怖を思い出していた。その様子に足立は少しだけ眉を寄せながらそっと鷹野の手を両の手で包み込む。
「……ごめんね、嫌な事思い出させちゃった。大丈夫だよ、鷹野サン。アナタは生きてる」
敢えて父親の事を聞いて来ない事も、包まれる手の温度と向けられる言葉にも安堵が胸に広がり始めた。ゆるりと首を振り恐怖を追い払えば、らしくない自分に自嘲しつつ足立を見遣る。
「大丈夫だ。その時、オレも同じ様に救える命があるなら救いてぇって思ったのが初め。簡単に言えば、ヒーローってヤツに憧れてた」
「そうなんだ。でも、鷹野サンはもうヒーローじゃん。色んな命を救ってるでしょ」
鷹野はカップを手に取り少し呷っては喉を上下させて茶を嚥下し、ゆったりと瞬いて足立の言葉を聞き入れた。だがそれには少し疑問を持つばかりだ。自分は救える命をちゃんと救えていないのではないか、と。全てを救えるわけなど無いと分かっていながら、それが許せないのだ。目の前で消えていった命も沢山あった。それは救えていない、イコールヒーローになんてなれやしないと現実を叩き付けられているような感覚に陥る。そんな気持ちや感覚はしまい込み前を向こうと必死になる自分は何とも滑稽なんだろうと思いながらも、足立にはゆっくりと頷いてカップを持つ手を膝の上にそっと下ろした。
「そうなれてたらいいなと切に思う」
「ヒーローだよ、鷹野サンは」
その言葉にただただ感謝を込めて「さんきゅ」とだけ短く告げるともう一口茶を呷る。菓子に手を付けない鷹野に緩く首を傾ける足立が何故かと問い掛けつつ握られた手が離れれば、単純に甘い物は苦手だという言葉を次いだ。それには足立から疑問の声が再び上がる。
「じゃあ、何で部屋に上がってくれたの?」
「単純にお隣りさんと、オマエと親しくなれるならと思っただけだ」
その言葉に足立の呆けた顔が伺えると鷹野は緩く首を傾ける。白い頬がほんの少しだけ紅潮しているようにも見えた。
「鷹野サンってさ、タラシなの」
「何でそうなった」
拗ねた様な表情を滲ませる足立には更に首を傾ける。何故その様な考えに到達したのか、何故そんな表情をするのか全く分からないからだ。自分が何か変な発言をしたのかと考えてもそこには到底辿り着かなかった。
「……いいけどさ。俺と仲良くしたいって思ってくれたって事だよね。素直に喜ばなくちゃ」
「オマエはどうなの。オレと親しくなりてぇと思ってくれてんのか」
素直に鷹野は聞きたい事を真っ直ぐにぶつけるが、足立はそれに少し戸惑った様子を見せる。更に頬を染めていて顔は此方を向いているのに視線が噛み合わない。思わず逸らされた方に首を傾け視線を絡め取ると、短く問い掛ける様な声を放つ。
「ん?」
すると、漸くゆっくりと足立の口が開かれた。
「思ってなかったら……お菓子を口実にして部屋に呼んでないよ」
どうやら照れているのだろう、遠回しな言い方しかして来ない。それでも十分だと鷹野は鼻先で小さく笑いを漏らして空いた手で乱雑にふわりと柔らかい髪を混ぜる様に頭頂を撫でてやった。鷹野が褒める言葉を短く向けた後、赤茶の双眼が強く閉ざされ文句の言葉が紡がれる。
「ふっ、いい子」
「ちょっと鷹野サン、髪の毛ボサボサになっちゃう」
鷹野はその言葉に肩を竦ませれば丁寧に手櫛で髪の毛の流れを整えてやった。
長居をしてしまったので、鷹野はそろそろ自室に戻ろうと残った茶を全部呷る。それを見た足立が少しだけ寂しそうに眉尻を微かに下げて鷹野を見つめてきた。すると鷹野は大きな掌をそのまま頭頂にぽんと乗せ背を丸めて視線を合わせる。
「また話そうぜ。いつでもって訳にはいかねぇが、隣の部屋に居るからよ」
「…うんっ。俺は在宅ワークになるからいつでも居るよ。鷹野サンと話すの好き」
「さんきゅ。オレもだよ」
鷹野が穏やかに目を細めて告げれば足立はまた嬉しそうに笑う。そんな風に流れる時間が、空気が、お互いの胸に何処か安堵を生んでいた。
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