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第3話

 ユウリは、ユラユラと夢の世界を漂っていた。  夢の中で、懸命に走っていた。  トラックのコーナーを抜け、直線で勝負をかける。  あと、もう少し。ゴールテープに届く。  上体がブレないように腕を正しく振る。  ラストスパートで後続を引き離した。トップでゴールする。  振り返ると、コータが満面の笑顔でバスタオルを手に抱き付いてきた。 「ユウリ、すごい! 優勝! おめでとうっ!」  色素の薄いフワフワの撒き毛に、アーモンド型の茶色の瞳。  小さく華奢な身体つき。  コータは奇跡のように可愛い。  これは、高1のときの記憶だ。インターハイの400mでユウリは優勝した。 「ありがとう。コータが応援してくれたおかげだよ?」  中学生のような幼い体を引き寄せて、わしゃわしゃと乱暴に頭を撫でる。  コータの笑顔が見たくて頑張った。コータがそこにいるだけで、力が自然に湧いてくる。  色々な人からのお祝いの言葉を受けているうちに、いつの間にかコータとはぐれていた。  表彰台から姿を探すが、見当たらない。  足元から這い上がってくるような悪い予感に、居ても立っても居られず、心当たりを探し回った。  コータ、コータ……っ!  会場や控室、廊下。どこにもいない。  どこにいるんだ!?  そのとき、わずかに人の争う声が聞こえた気がして、全速力で向かう。  そこにあるのは、使用禁止のトイレ。 「何しているんだ!」  勢いよく駆け込んで叫んだ。  個室が1つのみの小さなトイレで、コータが複数の男に抑え込まれていた。  シャツはビリビリに引き裂かれ、乳首があらわになっている。  ズボンはちゃんと穿いたまま。最悪の事態は免れた。  少し、ホッとしたものの、とてもじゃないけど許せるものではない。  ユウリは怒りでコブシを震わせながら、ゆっくりと言葉を続けた。 「コータはΩじゃない。こいつを襲えば、強姦罪が成立するぞ」  強姦罪は殺人と同じく極刑だ。一生、刑務所から出てくることは出来ない。 「まだ、覚醒していないだけだろ? こいつは絶対Ωだ。早いか遅いかの違いじゃないか?」 「例えΩであったとしても、覚醒前のレイプは重罪だ」  男たちは舌打ちし、忌々しそうな表情を浮かべたが、大人しく引き下がった。  人類の共通財産であるとして、Ωへのレイプは認められている。  人口が減る一方のこの世界では、どんな手段を用いたとしても、孕ませることが出来れば正義。  人類の繁栄のため、一人でも多くの人間を生み出すことが推奨されている。  従って、Ωに対しては強姦罪や監禁罪が適用されない。  もちろん、孕むことのないβやα、覚醒前のものに対する行為は厳しく罰せられる。  覚醒は、通常、第二次成長期が終わった頃に始まる。  成人するまで覚醒しないものもいる。  しかし、覚醒しないものはなく、必ずαかβ、Ωのいずれかになる。  ユウリもコータもまだ覚醒していなかった  覚醒するまでは、どのタイプかわからないとしているが、それぞれの身にまとう雰囲気で予想をつけることができる。  例えば、勉強や運動、リーダーシップ等、何かに秀でているものはαであり、  他者を性的に惹きつける魅力があるものは、Ωであることが多い。  覚醒すると、それぞれ独特の匂いを発する。  βも匂いを発するが、β自身はそれを感知することは出来ない。  βは匂いの感知能力が著しく低い。  ただし、例外がある。Ωに3か月ごとに訪れる発情期の時だけは、感知可能となる。  その期間は、Ωから発せられる匂いがきつく、フェロモンもとんでもなく強烈だからだ。    ユウリは、羽織っていた上着をコータに被せた。  上からギュッと抱きしめる。  腕の下で、コータの体が小刻みに震えているのがわかる。  激しい憤りが湧き上がる。殴ってやればよかった。  コータがこんな風に狙われるのは、初めてではない。  小さいころから、数え切れないほどあった。  そのたびに、ユウリが守ってきた。  誰であっても、コータを傷つけるものは許さない。  自分が守ってみせる。何度目かになる誓いをたてる。 「ユウリ、ありがとう。これからも僕を守ってくれる?」  コータの声は、消え入りそうなほど小さかった。  顔を覗き込むと、唇が重なった。 「あ、ごめん」  偶然ぶつかってしまったと思い、慌てて身を引くと、追いかけるようにもう一度重なった。 「ええっ?」 「……うん」  目で会話を交わす。二人とも顔が真っ赤。  瞳を閉じて、もう一度、唇を重ねた。  こんなにも長い時間、ともに過ごしてきたのに、これが初めてのキスだった。  タガが外れたように、チュッチュッと何度もついばむキスを繰り返した。  コータの体の震えはいつの間にか止まっていた。 「ねえ?あの約束覚えてる?」 「え?」    コータが真っ赤になって、小さな声で呟く。 「昔、ユウリが、『Ω狩りから守ってみせる。大人になったら番になろう』ってプロポーズしてくれたんだよ?」 「ちゃんと覚えてるよ」  ユウリは優しい笑みを浮かべた後、真面目な顔で正面から向き直った。  改めて、プロポーズだ。幼い自分には負けられない。 「コータ? 覚醒したら、番になろう。一生、コータを守る」  コータは、嬉しそうに破顔した。 「ありがとう。約束だよ?」  番は、αとΩの間でなければ成り立たない。  Ωとβでは子どもを設けることはできるが、番にはなれない。  二人ともはっきりと言葉にはしなかったが、昔から「ユウリはαでコータはΩ」だと確信していた。   飽きもせず、キスを繰り返す。  徐々に、深いものに変化する。 「ユウリのことが好き」 「俺もコータのことが好きだ」  緩やかで、最高に幸福な時間。こんな風に時を積み重ねて行くものだと思っていた。  二人が覚醒したのは、それから数日後のことだった。

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