4 / 17

第4話

 覚醒は突然だった。  その日、ユウリは、朝から体調不良で自室に閉じこもっていた。  体がひどく気怠く、手を動かすのも億劫。ベッドから這い出ることも出来ない。  風邪とは微妙に違う症状。  今まで感じたことがないようなドロドロとした熱が体内に渦巻いている。  トントンとノックの音が聞こえた。  寮監が手配してくれた医者に違いない。  ユウリは、寮で暮らしていた。  ユウリだけではない。  Ωから生まれた子どもは、国家で管理され、寮で生活する。  人口が減る一方のこの世界では、新しい命は最も尊重すべきもの。  子どもは国家の宝とされ、成人するまで国費で養育される。  どのΩから生まれたのか?とか、誰が同じΩから生まれたのか?ということは知らない。  そんなことを気にするものもいない。  従って、父親、母親、兄弟といった概念は希薄だ。  その中で、番のαとΩだけは例外だった。  彼らは家族という形態を作り、自らの子どもと一緒に暮らし、養育もする。  Ωを守り切る絶対的な力と、子どもを養育する潤沢な経済力に裏打ちされた行為。  優秀なαだけに許された特権だ。  それは、幸福の象徴であり、憧れの対象でもあった。 「はい、どうぞ」  ベッドの中から、手元のリモコンで開錠する。予想通り医者が現れた。  白衣を身にまとった白髪の男は、ドアが開くと同時にハンカチを取り出し、自らの口に当てた。  額には汗が噴き出し、目がギラギラと血走っている。  何かの衝動をこらえているかのように、プルプルと全身を震わせながら、入り口で立ちすくんでいる。 「先生?」  不審に思い、ベッドから身を起こして声を掛けた時だった。 「が、我慢できないっ」  その男はハンカチを放り出すと、あっという間にユウリに馬乗りになった。 「ちょ、やめろよっ!」  必死に抵抗するが、体に力が入らない。 「覚醒したばかりの発情初日だな。極上のΩの匂いがする。私の精を思いっきり注ぎ込んであげよう」 「や、やめろっ」  男が舌なめずりした。  吐き気がするほどおぞましいのに、抵抗する手に力が入らない。  体調不良だからじゃない。  男から発せられるαの匂いが、抵抗を封じ込める。 「んっ、んっ、や、やめろっ」  拒否する声に甘みが混じる。  本気で嫌なのに、体内を蠢く熱が邪魔をする。  悔しい。  思い通りにならない体に絶望する。  涙が、次から次と溢れ出る。  瞬く間に、下着ごとパジャマのズボンが引き下ろされた。  性器へと形をかえた排泄孔が晒される。  男はしわくちゃのシミが浮き出た手で、自らのペニスを取り出した。  それは、ヌラヌラと黒光りしていて、腹につきそうなほどそそり立っている。 「私の子を孕ましてやるぞ。お前たちΩは、孕むことが最大の悦びだからな?」  こんな状況なのに、コータの顔が思い浮かぶ。  あの笑顔を守るって誓った。  自分の身さえ守れないものが、コータを守ることが出来るはずがない。  伸ばした右手には電気スタンドの柄の感触。  ユウリはそれを握りしめ、思いっきり、男の後頭部に振り下ろした。 「ううっ」  男が怯む。その隙に、部屋を飛び出した。  走りながら、ずり落ちたズボンを上げ、身支度を整える。  足は、学校に向かっていた。  コータを連れて、逃げるつもりだ。  Ωに覚醒した以上、今までの生活を送ることはできない。  学校も強制的に退学となり、地下に潜るしかない。  コータも、遅かれ早かれ覚醒するだろう。  そうなると、今まで以上に危険な状態になる。  だから、一緒に身を隠す。  自分が必ず、守ってみせる。  怖くはなかった。  コータとなら、そんな生活も楽しいはず。     学校は昼休みの最中で、敷地内からガヤガヤと賑やかな声が聞こえてきた。  校門の前で、足を止める。  Ωの自分に反応する生徒がいるかもしれない。  このまま敷地に入るのは危険だ。  門の外で思案していると、向うからコータが歩いてきた。 「あれ? ユウリ? 大丈夫なの? 今からお見舞いに行くところだったんだよ? あれ? 何だろう? すごく良い匂いがする……」  笑顔でこちらに駆け寄ってくる。  コータに会いに来たはずなのに、今すぐ回れ右をして逃げ出したい。  全身に鳥肌が立ち、ぞわぞわと落ち着かない気持ちになる。  怖い。コータが怖い。  なぜかわからないが、怖くて仕方がない。  気付いた時には、後ずさって叫んでいた。 「と、とまれっ これ以上近づくな」  コータは校門の手前で立ち止まった。  笑顔は凍り付き、眉根を寄せて戸惑いの表情を浮かべている。  何かフォローをしなくちゃと思うのに、喉の奥で言葉が固まり、邪魔をする。 「ユウリ? あのね、僕、覚醒したんだ。αだったよ!」 「え? あ、あるふぁ?」 「うん、α。Ωなんかじゃなかった……これからは怯えることなく、堂々と生きていける。もう、ユウリに守ってもらわなくても大丈夫! ユウリみたいに格好いいαになれるように頑張るよっ! これからはαとして二人で協力して未来を切り開こう!」 「……Ωなんか? 守ってもらわなくても大丈夫って?」 「え? ユウリ?」  ようやく恐怖の原因を理解する。同時に、コータの言葉がザクザクと突き刺さる。  雄の気配にビクビク怯えて、地下に潜って暮す……コータと二人では感じなかった恐怖が、一人で過ごすこととなった途端、容赦なく襲いかかってくる。  想定外の絶望的な未来に、目の前が真っ暗になる。 「もう、俺は必要ないよなぁ……」 「ユウリ、どうしたの?」 「何でもない。コータ、よかったな。おめでとう。じゃあ、俺は、帰る。また、明日な?」 「え? どうしたの? 何か、変だよ? それにユウリから匂いが……」 「近づくなっ! 俺に触るなっ!」 「もしかして、ユウリ……」  ユウリはコータの手を乱暴に払いのけると、背を向けて歩き出した。  これ以上、コータのそばにいることはできない。  これからは、コータを守る必要はない。  コータが必要としているのは、Ωじゃなくて、「α」の自分だけ。     そもそも、「αのコータ」に、「Ωの自分」が出来ることがあるのだろうか?  もし、あるとしたら1つだけ……  急に、喧騒が遠くなる。  校門との間に透明なガラスが現れ、こちら側と隔てる。  近くて遠い、あちら側の生活。  泣きそうな視線が、背中に突き刺さる。心が苦しい。  振り向きたい。振り向けない。    できることなら、最後にもう一度、その笑顔を目に焼き付けたかった。    ここ数日、台風の影響で天気は荒れていた。  その台風も、昨晩、通り過ぎた。  今朝は、晴れ渡って雲一つない。  台風一過の青空。   ――曇りのない完璧な状態で彼の中で生き続けたい。  ユウリは、泣きたくなるような青空の中、永遠の別れを決心した。

ともだちにシェアしよう!